夜明けの星09

「役所あいててよかった!シェスさんもいっしょにいってくれてありがとう~」
「キィキィ」

夕陽が石畳を照らす帰り道を、ノウの上着のフードに潜り込んでいる蝙蝠姿のシェスと一緒にノウが歩いている。
無事に姉と妹に手紙を送ることができたノウは気分も足取りも軽やかだ。
すれ違う人々は市場で買った食材を抱えていて、通りに並ぶ家からはほんのりと玉ねぎを炒める匂いがする。

「もうすぐ夕食の時間だね。シェスさん、今日はずっとこうもりさんのままなの?」
「…………」

ノウの問いかけに、フードの中でもぞもぞしているシェスは答えない。

「…夕食はやっぱりいらない?」
「ギェ~」

おずおずと問いかければ、フードの中から聞こえてくるのは否定的な鳴き声で。
シェスが何を言っているのかわからないが自分の問いかけに対して拒絶しているのは明らかだったので、ノウはそっとため息をついた。

「そっかあ…。あ、でもおれがご飯食べてる間いっしょにいてくれる?」
「キイ」
「えへへ、いいのかな?じゃあ、いっしょにいてね」

人見知りなノウとしては一人で食堂に行って食事をするのは寂しいので、シェスが蝙蝠の姿でも人の姿でもそばにいてくれるなら嬉しい。
欲を言えば、いつかいっしょに食事を取りたいが、今それを言うとやはり彼は嫌がるだろう。
フードの中でシェスが自分の髪の毛をクシャクシャにしている気配がしてくすぐったい。
頭にひんやりとした重みを感じながらノウは考える。

(また、ごはんつくろっと。次は何を作ってみようかな。今度はちゃんと美味しく作れるといいなあ。いろいろつくろうって毎回違うもの作ってるけど、ちゃんと美味しくできるまで同じもの作り続けたほうがいいのかな)

ノウの頭の中は現在、次に何を作るかでいっぱいである。
今やすっかり料理が趣味になってしまった。
有名料理店で見かけるような見た目も味も一流な料理を作れるようになろうとまでは思わないが、かつて母や姉が作ってくれた素朴ながらもあたたかい料理をつくれるように頑張りたい。
そうして自分が作った料理を、いつかシェスが「おいしい」といってくれたら嬉しい。

ノウはシェスに喜んでほしかった。

絆創膏だらけの指でせっせと料理に励んで、何度「まずい」と突き返されても作り続けているのは、どこか不安定で怖くて優しい彼に喜んでほしいからだ。
ノウは咄嗟の判断で動いたり効率よく作業することは得意ではなかったが、時間をかけて試行錯誤しながら作業をするのは好きだった。
ありがたいことに、依頼中などの切羽詰まった状況でなければシェスはノウがもたついていても見守ってアドバイスをしてくれるし、料理を練習しているときは忙しい時間帯でなければ宿の亭主が根気よくつきあってくれた。

(そうだ、お菓子、もつくってみたいな。何がいいかな?クッキー?でもお菓子の方がむずかしかったりする?うーん…。親父さんに聞いてみようっと。そういえばこの前たべたお菓子美味しかったなあ)

依頼先で裕福な老婦人が振る舞ってくれたお菓子を思い出す。
牛乳と砂糖と卵でつくられたそれは「プリン」といって、ふるふるとやわらかい不思議な触感で、甘くて美味しかった。
今まで食べたことのない味にノウは顔を赤くして感動したのも記憶に新しい。
そういえばシェスもプリンの方をじっと見ていた気がしたので、もしかしたら興味があるお菓子なのかもしれない。

(プリン、つくってみようかな…。お金ためて、お砂糖すこしでいいから買って…。でもお砂糖はきっと何回も買えないから、失敗しないようにすごくきをつけてつくんなきゃ)

プリンにつかわれている材料のうち卵や牛乳は故郷でも馴染みのあるものだったが、砂糖は高級品である。
どうにかして手に入れたいところだ。
別の依頼では依頼人にスープを振る舞ってもらったこともある。
ソーセージ、大きく荒く切ったニンジン、タマネギ、セロリなどの野菜が入ったスープだった。
細かい味はわからないが、薬草の香りが仄かにした気がする。


(あのスープ、うちでも食べたことがあるなあ。うちのはお肉はあまり入ってなかったけど、おじいちゃんとおばあちゃんが好きだったスープに味が似てた気がする。あの、スープつくってみようかな。スープみたいな液体物?はつくったことなかったかも。固形より、液体のほうがシェスさんもたべやすいかな。血、も、液体だもんね…)

ノウの中で次の献立が組み立てられていく。
考え事に夢中になったノウがなにもないところで躓いて、巻き添えになったフードの中のシェスが奇声をあげて怒り狂ったのはまた別の話だ。

 

 


「――ごちそうさまでした!」
「ん」

宿の食堂の一角。
食事をとっていたノウに向かい合うように座っているのは、蝙蝠姿をやめて今は人の姿になっているシェスだ。
しなやかな足を組んで掲示板から剥ぎ取ってきた依頼書を眺めているだけで他の客からちらちらと視線が飛んできているので、綺麗な人は大変だなあと思うノウである。
当の本人は慣れた様子で、時折蜂蜜色の瞳を艶やかに細めてそれに答えているが。
相変わらず端正な顔にこびりついている笑顔をみると、ノウはなんだか胸の底がシクシクと痛むような気がして、口の中に運んだ野菜と一緒に出かかった声を飲み込み、別の話題を口にした。

「野菜、やわらかくておいしかったね」

食事を終えたノウの前には空になった皿が並んでいる。
今日食べたのは、鳥の胸肉と野菜を炒めたものだった。
焦げ目のついた皮の部分がコリコリしていて歯ごたえが楽しかったし、野菜は芯まで柔らかかった。
拠点にしている宿――狭間の追憶亭――の亭主がつくった料理はいつも美味しい。
毎日同じ味、美味しさでつくる難しさを今のノウは知っているので、いつも同じくらい美味しい料理をつくれてすごいと思っている。

(にんじん、甘いなあ。バター使ってるのかな)

塩加減や使っている食材がなにか考えるのが癖になってしまったノウだが、純粋に味を楽しむことも忘れていない。
口の中に残った味の名残ににこにこと笑顔を浮かべる。

「お前、ガキのくせに好き嫌いすくねぇな」
「おれの家、畑で野菜育ててたもん。野菜、すきだよ」
「おうおう、そうかよ。えらい、えらい」
「ほんと?え、えへへ…」

ぞんざいながらもシェスに褒められれば悪い気はしない。
頬をうっすら赤くして口元をむにゃむにゃと動かしながらはにかむようにノウは笑った。

「あ、あのね、シェスさん」
「なんだよ」
「今日姉さんと妹にお手紙だしたでしょ?シェスさんにもお手紙書いたんだ」

先程部屋で姉と妹に手紙を綴った際、うとうととまどろんでいるシェスに気づいたノウは、こっそりシェスにも手紙を書いていたのだ。
渡すタイミングを考えあぐねていたが、褒められた勢いに乗ってシェスの様子を伺う。

「…アア?毎日顔つき合わせてんのに手紙なんているかァ?」
「う、うう、文字の練習もかねてるから!かねてるの!!」
「はーん…?」
「えっと、だからね、おれが寝たあとよかったらよんでね」
「何で寝たあとなんだよ」
「め、目の前でよまれるとちょっとはずかしい…」

やはり自分が起きているときにリアルタイムに読まれるのは落ち着かない。
先程よりもノウの頬の赤みが増したのに気づいたのか、シェスはその端正な顔にうっすらと意地の悪い笑みを浮かべた。

「…ああー、なんか急に部屋に戻りたくなったぜ」
「えっ!?」
「そうだなァ、暇つぶしになにか読むのも悪くねぇな。たとえばお前の書いたいじらしいラブレターとか?」
「…!!わー!!まって!!だめ!!だめだよ!!まだよまないでよお!!あとふつうのお手紙だよ!!?」
「じゃー、今読んでも問題ねぇな!」
「わーー!!!!?」

颯爽と部屋に戻ろうとするシェスに慌ててノウが縋り付く。

「だめだってば!だめ!だめーー!!」
「なんなら、音読してやろうかァ!」
「うわーーーん!!!!」
「おいこら、そこの二人!騒ぐなら部屋に戻ってからにしろ!!」

シェスとノウのやりとりは、亭主に叱責されるまで続いたのだった。

 

 

 

「――えっと、あのね、あれ、あれがお手紙」

部屋に戻ったノウがもたもたと寝間着に着替えながら机の上を指差している。
シェスが視線を向ければ机の上にはくるりと巻かれた羊皮紙が置いてあった。

「おうおう、わかった、わかった。しかたねーから読んでやるよ、さっさと寝な。いい加減寝ないと起きてる間にお前を膝に乗せて音読し始めんぞ」
「わーーーっ!?なんでそういうこというの!?寝るから!寝るからまって!!」

シェスはそういうことをすればノウが困り果てて身悶えるのを知っていてわざとそういうことをいってくる上に、いざとなったら実行してくるタイプなので本当にやりかねない。
だからノウはバタバタと急いで着替えてベッドの中に潜り込んだ。

「シェスさんのいじわる…」
「ヒヒヒ、俺の性根がこんなだってもういい加減理解しただろ、ひよこちゃん。毎日、毎日、俺とお前はひとつ屋根の下でくらしてるんだからよォ」
「うう…!」

不満を告げれば、相変わらず悪意を感じる言い回しで謳うように嗤いながら一蹴されてしまうのだから唸るしか無い。

(シェスさんいっつもおれのことからかう…。ううー、おれも、シェスさんをびっくりさせれたらいいのになあ…。やっぱり、はやくおいしいごはんをつくれるようにならなくちゃ…。おいしいごはんつくったら、シェスさんびっくりしてくれるかもしれないもん)

シェスの数少ない苦手分野である料理ができるようになれば、いつも笑顔を貼り付けているシェスの違う反応が見れるかもしれない。

シェスに手伝ってもらいながらも自分の力で依頼を受けて、自分で料理をして、自分が稼いだ銀貨でご飯を食べて、買い物をして。
贅沢な毎日ではないし、心が踊るような大冒険もない。
けれどノウは、ベッドの傍らでこちらの様子を見ているシェスと過ごす毎日が楽しいと思っていた。
だから。

(もっと、ちゃんと、シェスさんのこと、しりたい、な…)

そんなことを考えながらシーツと毛布につつまれながらうとうとと微睡んでいれば、すぐに睡魔がノウの意識を柔らかく包み込む。
やがてノウがすうすうと寝息をたてはじめるのにたいして時間はかからなかった。

すやすやと寝始めたノウを見下ろしていたシェスは、机の上に丸められた羊皮紙をひょいと掴み上げる。

「手紙、ねえ…」

たおやかな指が羊皮紙に触れると擦れてかさついた音が部屋に響く。
こそばゆい感覚とじりじりと何かが焼き付くような感覚に身体が揺れる。
一瞬手元に寄せた羊皮紙に視線を落とすことを躊躇ったのはなぜか、自分でもわからない。
薄い唇から細い息を吐いて羊皮紙を開けば、懸命に並べられた拙い文字がシェスの視界に飛び込んできた。

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シェスさんへ

いつもありがとう。

ねえさんと、いもうとに手紙をかいてもいいっていってくれてありがとう。
ホルドナでも手紙をだしたけど、返事かえってこなくてさみしかったんだ。
でも、もしかしたら、ちゃんととどいてなかったのかなっていまはおもいます。
こんどはちゃんととどくといいな。

武器と防具、かってくれてありがとう。
剣のれんしゅう、みてくれてありがとう。
前はね、ぜんぜん剣もちあげられなかったけど、すこしだけもてるようになりました。

いつもおはなしきいてくれてありがとう。
おれ、おはなしするのがにがてなのにきいてくれるからとてもうれしいです。

あのね、ねえさんといもうとにおくった髪留めね。
三つかえたんだ。
だからね、シェスさんにもかいました。

シェスさんの髪ながいから、髪結ぶのにつかってくれると嬉しいです。
この前そろそろじゃまになってきたっていってたけど、えっと、切るのはなんだかもったいないと思います。
シェスさんの髪、市場の白いきれいな布と糸みたいでおれはいいなっておもいます。

もっと剣をがんばるね。
もっと料理も頑張るね。

だから、これからも、よろしくおねがいします。

ノウ
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「――、かみどめ」

他にも言いたいことはあったのだが、口にできたのはたった一言だけだった。
ほろっと溢れた声が自分が思った以上にたどたどしかったのは、綴られた文字が、言葉が、思いの外シェスの歪に凝り固まった何かに突き刺さったからかもしれない。

綴られていたのは、ただただあたたかい文字だった。
綴られていたのは、ただただ穏やかな言葉だった。

それが、酷く、恐ろしかった。

ぼんやりとした顔で視線をめぐらせれば、確かに羊皮紙の傍らに小さな髪留めが置かれていた。
手にとってまじまじと見れば、その髪留めには緑色のガラス玉がついている。
シェスは長いもみあげを片方緑色のガラス玉で括っているのだが、それにあわせて買ったのだろうか。
くるり、くるりとまわせばガラス玉は室内のランプの光を受けてきらきらと瞬いている。

そういえば、ベッドですやすやと寝息を立てているノウの瞳も緑色だった。
眠たそうな細い瞳のせいでわかりにくいが、驚いたノウがカッと見開くとみえる瞳孔は気質に似合わず鋭くてなんとなく面白かったことを覚えている。
本人は目付きが悪いことでからかわれたことがあるらしく気にしているようだが。

「髪留め、ね。ひひ、貢物ってやつかァ?ま、もらえるんならもらうしかねぇなァ」

思考がとりとめなくちりばっていきそうになるのを抑えて、皮肉交じりに意地悪く嗤う。
悪い気はしない。むしろ気分がいい。
なのに、胸のうちに広がるあたたかい温度に精神が軋む音が何度も聞こえて息が詰まる。
ざわざわ、ざわざわとさざめく不快な感覚が浮いては沈み、沈んでは浮いてくる。
ノウを連れ去ってともに過ごすようになってから、シェスの内面は常に正気と狂気と歓喜と悲哀の間で揺れていた。
それよりもずっと前から、シェスの思考は矛盾と破綻に満ちていたが、ここ最近は感情の揺れがより激しくなっている気がする。
首をカクっと傾けてシェスはぼんやりと嗤う。

――自分と食事がしたいといって、与えた小遣いを食材にあてるノウ。

「なあ、ひよこちゃん」

――自分につかってほしいといって、与えた小遣いを自分への贈り物に使うノウ。

「俺はさァ」

――姉や妹といった"家族"と"同列の贈り物"を自分に添える、ノウ。

「お前が」

遠い昔。

姉のように母のように慕っていたシスター服を着た女性におもちゃのような腕輪を渡して、父のように慕っていた神父服を着た男性に拙い似顔絵を描いて渡した、はにかみながら生意気な口を聞いていた子供が。

弟分や妹分がはにかみながら差し出してきた川辺で拾ったきれいな石や小ぶりの愛らしい花を、こそばゆい顔で笑いながら受け取っていた青年が。

 

 

 

「――お前が、怖ぇよ」

 

 

 

 


遠くて暗くて寒い場所で泣いているような気がした。

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