夜明けの星08


――ノウがシェスに料理を作るようになって数日後。

 

「シェスさん、あのね、今日はスクランブルエッグつくってみたよ」
「ふーん、どろどろしてんな~。半熟なんてかわいいもんじゃねぇわ、これ」
「えっ、う、うわあ、すごいどろどろしてる…。うう…っ!火加減弱すぎたかも…」

 

――それから1週間後。

 

「シェスさん!今日野菜炒めつくったよ」
「芯がかてぇ~…」
「うええ、ほんとだ、ごめんなさい…。野菜入れる順番まちがえたかなあ…」

 

――それから数週間がたって。

 

「シェスさん」
「…なあ、お前、ほぼ毎日つくってねぇか?」
「は、はやく、上手になりたくて…」
「…そーかよ」

 

最近ではネズミや蝙蝠、ゴブリン数体の討伐ならできるようになったノウ。
いまだ動きがぎこちないところはあるが、剣の扱いもだいぶマシになったものだとシェスは思う。
そんなノウは依頼を受けていない日は、宿の厨房を借りてせっせと料理に勤しみ、シェスに頼んで味見をしてもらっていた。

 

(――はっ。っつーか、何で、いまさら、味なんてするんだか)

 

うっすらと味がわかるようになったシェスが真っ先に抱いたのは、歓喜ではなく恐怖だった。
人間らしい感覚が戻ってくればいいのにと確かに思っていたはずなのに、実際にシェスの胸の内に湧き上がってきたのは激しい恐怖だった。
半端に人間らしさが戻ってこようが、自分の性質は変わらない。
血が必要なのは変わらないし、人を食い殺したことはなかったことにはならない。

自分が"鬼"であることは変わらないのだ。

だから、自分のために作られた料理が目の前に置かれるこのあたたかくて懐かしい時間は、正直シェスにとって苦痛でしかなくて。
もう食べられないと床に投げつければ目の前の子供―少し背が伸びたが自分からすればまだ子供だ―は、大層悲しみながらも自分に料理を差し出してくることをやめるのだろうか。

だが、かつての孤児院ぐらしで食べ物を粗末にすることに抵抗のあるシェスは、結局少量ながらノウが作ったものを口にしていた。
ノウもシェスに一人前まるまるつくることは避け、小皿に少しどうですかといった感じで置いてくるので拒絶しづらいのも理由の一つだ。
意外と策士なのか、それとも誰かに入れ知恵されたか。
それから、こちらを伺うようにみつめてくる細い瞳が、シェスが仕方無しに食べ尽くして空になった皿を返すと、とても、とても嬉しそうにするから、結局食器を手に取るしか無かった。
今日もノウが少量の肉が入った野菜の煮物を出してきたので、小皿をつついてもぐもぐと咀嚼する。
とんでもない塩気が口内に広がってシェスは思わず吹き出しそうになった。

 

「グエッ、しょっぱ!!」
「えっ!…うわっ、ほんとだ、塩いれすぎちゃった」
「ドジかよ」
「うえええ…」

 

今日も失敗した料理に容赦ない批判を向けると、ノウが眉を八の字に曲げて涙ぐむ。
こんな顔をしているくせに、どうせまた目の前の子供はシェスに料理を作るのだろう。
諦めが悪くて、しつこいったらない。
好意的に表現すれば、粘り強くて根性があるとも言えるが。
依頼で手に入れた銀貨で買った質の悪い羊皮紙の束を紐でくくった手帳に、懸命に料理の失敗と対策を書いているノウをシェスは眺める。
真面目に料理の記録をしているノウの料理技術が次第に上達してきていることにシェスは気づいている。
他にも気づいたことがある。

 

(ああ、こいつ。長い文章も書けるようになったんだな)

 

料理のレシピやメモで長い文章を書くにはそれなりの知識が必要だ。
故郷の村ではノウの二番目の兄が文字の読み書きや計算を独学で勉強していたらしいが、教えてもらったことはなかったらしい。
忙しい兄に必要以上に迷惑をかけたくないといっていたが、話を聞く限り良好な関係を気づいているらしい兄弟のようだから、ノウが頼めばきっと快く教えた気もするが。

人間だった頃のシェスも忙しい時は断っていたが、孤児院の弟分や妹分に頼られるのは内心こそばゆくて嬉しいことだったので頼まれればできるだけ応えてやったものだ。

ホルドナで指南役をしていた男たちがまともにノウを指導したはずがないのも想像に容易い。
実際ノウは名前や簡単な単語はともかく、意味を理解して文章を書くことなんて到底できなかった。
今では簡単な文章なら書けるようになったのだから、日夜努力しているのだろう。

シェスは、音を出さずに口を動かす。


(なあ、何でそんなに頑張ってんだ)


ノウはシェスの音のない言葉に気づかない。

 

「つ、次こそ、美味しいの作るね。ちゃんと味見もしてから出すね」
「おい、まて、味見してなかったのかよ」
「つ、作るのに必死で!」
「ほー?」

 

首を傾げて艶やかにシェスは笑い、即座にくすんだ金髪に覆われた頭をガシッと掴んだ。

 

「あ、ああー、シェスさんがぐりぐりしてくるうう」
「うるせえ、味見してないもんを俺に食わせてんじゃねーぞ!」
「でも、シェスさんがこのまえ凄まじいのつくったとき、味見してなか…」
「うるせえ」
「うええええ…!」
「ケケケケ!!」

 

ぐりぐりされて涙目になったノウが逃げようとバタバタしているのを嘲笑う。

 


(なあ、何でそんなに俺と飯を食いたがるんだ。なあ…)

 


顔にも声にも出さず、シェスの胸の内で問いかけるように俯いて呻いて、今日もその端正な顔に歪んだ笑みを貼り付けた。

 

 

 

 

 

 


「――ううー、今日もシェスさんがいじわるする…」

 

ようやくシェスから開放されたノウが涙目でシェスを見上げる。
食堂にちらほらと客がやってくる時間になったので、二人は寝室に戻っていた。

 

「ちょーっとした、スキンシップだろ。こんなに綺麗で可愛い俺に構われて嬉しいくせに」
「かわいい…?あっ、こうもりさんのシェスさん、かわいいね!」
「くそ、このひよこちゃん、めんどくせぇな。自然に話をずらしてきやがる」
「な、なんで!?」
「お前、俺の蝙蝠フォルム大好きだよな~。そんな、期待を込めてみつめられると逆に蝙蝠化する気が失せるぜ」
「そ、そんなあ…」

 

蝙蝠姿がよほど気に入ったのか、シェスが白い蝙蝠姿でテーブルの上でコロコロ転がったりクッションの上で丸くなったりしていると、それを見つけたノウに途端に捕まえられて持ち運ばれることが増えて、シェスはなんとも複雑である。
不快感や苛立ちはないが、人肌のあたたかさと懐かしさは、シェスの中で遠い昔に粉々に砕け散って歪んだそれが、まるで元のまともな形だった頃にもどろうとして軋むような音と痛みを与えてきて、シェスの精神をざわつかせるからだ。
だから、蝙蝠姿のとき、バサバサと飛び去ってわざとノウが届かなさそうな棚の上に逃げることもあるのだが。

 


――しぇ、シェスさん。そんなにいやだったの?ご、ごめんなさい…。
――…ぎぃ~~~~!

 


結局なんだかんだそばに置いている子供が、しゅんと肩を落として悲痛な声で謝罪してくれば、文句混じりの鳴き声を漏らしてその腕の中に降りていくしか無い。
仕方なく、そう、仕方なくだ。

 

「――あっ、そうだ!シェスさん。あのね、そういえばお願いしたことがあったんだった…!!」
「なんだよ」
「お手紙ってかいてもいい?」
「手紙?」
「うん。あのね、これ買ったんだ」

 

テーブルの上にそっと置かれたのは青い硝子玉のついた髪留めと紅い硝子玉のついた髪留めだ。

 

「姉さんと、妹に髪留め送ってあげたくて。あと、おれ、元気にしてるよ。って送ってもいい?」
「――、姉と妹」
「うん。…シェスさん、どうしたの?」

 

ゆらゆら、ゆらゆらと。蜂蜜色の瞳が揺れる。
薄い唇は相変わらず薄っすらと弧を描いていて、かすかな笑みを象っている。
久しぶりにノウが故郷の家族のことを口にした事実に、シェスは少なからず動揺した。
動揺した事実に、さらに戸惑った。
何故動揺したのか、シェス自身わからなかったからだ。

手紙を送るということは、現状を家族に知らせるということなのだろう。
ホルドナから遠く離れたここになぜいるのか、経緯をどう説明するのだろうか。
そもそも世話役の男たちがどうなったか、ノウは家族に報告するつもりだろうか。
家族が心配して帰ってこいといったら、どうするのだろうか。
聞きたいことはたくさんあったが、

 

「……ネーチャンと妹が恋しいのか、お前」
「えっ?」
「帰りたいのか?家族のとこに」

 

口にしたのはたったそれだけだった。

 

(なんだ、いいじゃねーか。帰りたくなったんだったら、帰してやれば。べつにこんな、なんでも屋みたいなこと続けなくてもいいだろーし。文字の読み書き、計算も多少できるようになったわけで?故郷とやらに帰っても、食うのには困らないだろ)

 

そう思うのに、シェスの内心はざわざわとざわめいている。
ノウはシェスの様子に首を傾げていたが、やがてハッとしたように慌てて口を開いた。

 

「えっ、えっ!あの、あのね、かえらないよ!お手紙送るだけだよ!!」
「…なんだよ、ネーチャンが恋しくて、胸の中に飛び込みたいのかと思ったぜ。お前のネーチャンの体型はしらねーが、さぞかしやわらか」
「わあああ!!なんてこというの!?もーっ!!もーっ!!」

 

顔を真っ赤にしてばたばたと手をふるノウに、意地悪く笑うシェス。

 

「元気ってかくのはいいけどな、お前、現状をどう伝えんだ」
「現状…?」
「おいおい、しっかりしてくれよ、ひよこちゃん。お前の大事な大事なニーチャン、ネーチャンたちは、お前がホルドナでクソ野郎どもに面倒見てもらってたことしか知らないんだろ?」
「うん」
「それが、今やぜんぜん違う場所で、超絶美人な俺とひとつ屋根の下で暮らしてるんだぜ?どう説明するんだ?ん?」
「あっ、ほんとだ。えっと、姉さんたちになんてお手紙し…待って、言い方!シェスさんのその言い方、なんかだめだとおもう!?」
「おっと、お前、思春期のむずかしい時期だったか。この言い方がだめなんてちょっとは中身も育ったか?…そりゃあ、綺麗な俺や、宿に来る、たまにそこそこ美人なネーチャンを目で追うのも仕方がない話だよなァ」
「シェスさん!!!!!!!」
「ヒヒヒッ!」

 

ノウの顔はずっと真っ赤なままで、まるで熟れたトマトのようだ。
その顔を見ていたシェスは、すっと胸のざわめきが消えていったことに気づいて、その事実から無意識に目を逸らした。

 

「……書けばいいんじゃねーの、手紙」
「えっ、いいの?」
「さっきだって書くのはいいっつったろーが。ただ、そうだなァ。事情があって別の人に面倒見てもらってます~とかは書いておけよ。あと場所が違うのもな」
「わ、わかった!」
「うっかり、その髪留め同封し忘れるなよ~、ケケケ…」
「だ、だいじょうぶだよ!わすれないもん!!」
「どうかねぇ…。荷物袋の整理も苦手なひよこちゃんは、必要な薬草やロープを入れ忘れたりするからなァ~」
「うう……っ!!」

 

忘れ物の多さに何度か頬を抓られたことがあるノウは、反論できずうめき声を上げるしか無い。
実際、荷物袋の整理はシェスにしてもらってるのが現状である。

 

「まあ、出すときは声掛けな。役所まで付き合ってやるよ」
「…!わー、ありがとう、シェスさん!!」
「おー、じゃあ、さっさと書いちまいな。俺は今から一眠りする」
「うん!」

 

顔を綻ばせたノウが机に向かって羊皮紙を広げるのを確認したシェスは、白い霧をまとって蝙蝠の姿にその身を変えた。
バサリと羽ばたいて、部屋に自分で設置した木と針金で作った棒状の物にぶら下がる。
ベッドが空いているのでそちらで寝そべってもいいのだが、そこで寝ていると十中八九ノウが勝手に自分を持ち上げて弄び始めるので今日は避けることにした。
なんとなくそういう気分ではなかったから。

 

「姉、さんへ。げんきにして、ますか。おれは、げんきです。いまは――、――」

 

ノウが羽ペンを懸命に動かしながら文字を綴りはじめ、羊皮紙が擦れる音が聞こえてくる。
書きたい内容を口にしながら書くのは癖なのだろうか。
内容が丸聞こえなのは大丈夫なのだろうかと思うが、まあ、本人がいいならいいのだろう。

シェスは逆さまにぶら下がりながら、ノウの声を耳で拾う。
その時間は思っていた以上に穏やかで心地が良くて。


――やはり、苦しかった。

 

 

 

 

 

 

 

「――、―タ―ー、―神―さ、ま…」

 

うとうととまどろむ意識の向こうから誰かの声が聞こえる。
ぼんやりとした意識のまま歩き出せばぐにゃぐにゃと波打つ真っ黒な地面が自分の足を飲み込んで吐き出した。
見上げれば何処までも広がる黒い空がずしりと全身にのしかかってくるようだ。
明らかにおかしい景色である。
これが現実でないことを何処か他人事のように感じながら歩くと、ぽつんと誰かが座っているのが見えた。
こちらの方に向かい合った状態で座っているのは青年のようだった。
青年の柔らかい金色の髪がゆらゆらと揺れている。
シェスが白銀の髪をシャラシャラと揺らしてそちらに近づくと、俯いていた青年がゆっくりと顔を上げた。

 

「―――、――」

 

怒りと憎悪と絶望と苦痛と後悔と恐怖で顔を歪めた青年が、シェスを見上げてぼろぼろと涙を流す。

 

「……、………」

 

悲しみと虚無と諦観と快楽と愉悦と恐怖で顔を歪めたシェスは、座り込んでいる男を見下ろして艶やかに歪んだ顔で嗤う。
青年の蜂蜜色の瞳がゆらゆらと揺れている。
シェスの蜂蜜色の瞳がぐにゃぐにゃと歪んでいる。
青年は真っ赤に染まった、ところどころちぎれたナニカを力なく抱えている。
足元には血溜まりが広がって、青年の口は紅く染まっていた。

 

「――ばけ、もの」

 

座り込んでいた男が呪いを込めて震える声でシェスに言った。

 

「――、はは、この、ひとごろし」

 

シェスが艷やかな声で呪いを込めて目の前の青年を嘲笑う。
気づけばシェスの口も紅く染まっていた。
いつ、染まったのだろうか。
いつからだったろうか。
覚えていない。

青年が震える手で聖水を握りしめる。
シェスがゆったりと腰に取り付けていた赤黒い銃に手を伸ばして―――――。

 

「―――、さ――」

 

それから。

 

「―――ス、さん――」

 

それから、互いを。

 

 

 

 

 

 

 

「―――シェスさん!」
「―――――――――――!!」

 

目の前の青年がかき消えて、視界から黒い世界が消えた。
パチパチと蜂蜜色の瞳を瞬く。
逆さまの視界に、そういえば自分は蝙蝠姿でぶら下がって眠っていたのを思い出した。

 

「シェスさん、手紙かけたよ。ちゃんと髪留めも同封した!」

 

見てみて、とノウはシェスに二通の手紙を見せてくる。

 

「まだ役所あいてるかな…。出しに行ってもいい?…えっと、シェスさん眠かったらねててもいいよ。おれ、ひとりでもちゃんと役所いけるようにがんばるから」

 

反応が鈍いシェスを、疲労がたまっていると判断したらしい。
ノウは少し寂しそうにしながら、手紙を小さな布かばんに入れて上着を羽織る。
じっとそれを見下ろしていたシェスは、

 

「……キィ!」
「えっ…わあ!?」

 

バサリと羽ばたいてノウの頭の上に着地した。
くすんだ金髪をクシャクシャにしながら頭上で身体を落ち着ける。

 

「わー、わー!髪くしゃくしゃになっちゃうよーー!?」
「キャキャキャキャ!」
「も、もうーー!!」
「キイキイ」
「…?あっ、もしかして、シェスさん、コウモリさんの姿でいっしょにいってくれるの?」
「キィ」
「…えへへ、じゃあ、いっしょにいこ」

 

ノウとしてはシェスが同行してくれるならどちらの姿でも嬉しかったので、まだ柔らかい頬をほんのり上気させ笑みを浮かべた。

 

「姉さんたち、よろこんでくれるかなあ」
「………キイー」

 

相槌代わりに鳴き声がノウの頭上で響く。

 

 

 

 

シェスがどんな顔をしているのか頭の上に乗られているノウが気づくことはなかった。

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