鬼が生まれるまで05

森のなかに佇んでいた洋館はひっそりと静まり返っていた。
小さな庭には雑草が生い茂り、扉の金具は錆びついている。
三階建てだろうか。ここからみえる窓はすべて固く閉じられており、明かりが灯っているところは一つもない。
眼の前の建物が人の手から離れて久しいのは誰が見ても明らかだった。


「――ごめんください。どなたかいらっしゃいますか?」


重厚な扉をベルナッタがトントンとノックする。
何度か繰り返してみたが返事はない。


雨は未だ降り続いており、容赦なくシェス達の体温を奪っていく。
不法侵入になるが、雨風を凌がせてもらおうと扉に手をかける。


「…鍵は、開いてんな」


そのまま開けようとしたシェスを制してカスペルがゆっくりと両開きの扉を開くと、ギイィーーッと耳障りな音が鼓膜を震わせた。
細心の注意を払いながら足を踏み入れると、だだっ広い空間が広がっていた。
洋館のロビーだ。


ロビーは全体的に広々としていて天井が吹き抜けになっていた。
人が三人横一列に並んでも余裕がありそうな階段が踊り場を起点に二手に分かれて二階へと続いていて、一階を見渡せば絵画や彫刻、剥製と言った調度品が並べられている。
名のある貴族の別荘だったのかもしれない。


「外観からすごいとは思っていたけど、豪勢なお屋敷だったみたいだねぇ」
「だいぶ年季が入っているけどね」


カーラとヘンリーが言うとおりだった。
足元の赤い絨毯はすっかり色褪せて所々に埃が降り積もっている。
頭上高くに鎮座している豪勢なシャンデリアは遠目にも破損しているのがわかったし、少し傾いているようだ。


陶器でできた鉢植えには、茶色く枯れた紙屑みたいな茎や葉が、腰の曲がった老人のようにうなだれている。
この洋館が人の手にあった頃は観葉植物でも植えていたのだろうか。
それ知る術はないが。


索敵も含めて一行は洋館内を探索する。
人里離れた場所に建てられた建造物が人の手を離れたあと妖魔の住処になっていることは少なくない。
適当に部屋をかりて一息ついたと思った矢先に奇襲されたら危険だ。
内部の構造を把握していなかったせいで袋小路に追い詰められ、退路を断たれれば全滅の危険すらある。
探索した結果わかったのは、一階はロビーと食堂、応接間、浴室、二階は談話室と客室、三階は書斎、礼拝堂、寝室になっているということだった。


「まあ!礼拝堂がありますよ。お掃除はしばらくされてないようですが…」
「そりゃそうだろ。ざっとみてもこの洋館放置されてから結構立ってるっぽいし」
「ふーむ、もったいないですな。小規模ながらしっかりとしたつくりですのに」


礼拝堂があるのには驚いた。
あとで祈りを捧げてもいいだろうかと穏やかに笑うベルナッタとカスペルを横目に部屋全体を見渡す。
色あせた長椅子と小さな祭壇、ヴィルトワールの大聖堂にあったものには劣るがステンドグラスの窓まであった。
以前に洋館に住んでいたものは信心深い人間だったのだろう。
家族や使用人も交えて祈りを捧げていたのかもしれない。


規模も内装も異なるが礼拝堂はシェスにとっても馴染み深い場所だ。
朽ちて久しい場所であるはずだが、不思議と気持ちが落ち着いた。


ネズミや羽虫には遭遇したものの、ゴブリンやコボルトといった妖魔や山賊の類は見当たらない。
ひとまずは安心か。と安堵に包まれた空気の中、雨で濡れ冷え切った身体を暖めたいと言い出したのは誰だったか。
どこで休むか相談しながら階段を降りていくなか、一階の応接間に暖炉があり、薪さえあれば火が起こせそうだったのをシェスは思い出した。


「あー、そういやさ。一階に暖炉がある部屋があったぜ」


応接間に向かった一行は暖炉に近づいた。
壁や家具の痛みは激しかったが、暖炉と煙突は多少汚れているものの問題なさそうだ。
今日一日ぐらい使用しても大丈夫だろう。
木でできた壊れかけの椅子を薪代わりに拝借する。


「あとは火がいるね~。僕がつけるよ。みんな少し離れていて」


ヘンリーが短い詠唱を唱えてくるりと杖で弧を描くと、ぼあっと音を立てて熱を帯びた赤い光が暖炉へ飛んで薪を包み込む。
程なくして暖炉からはぱちぱちと音がなり、赤々とした低い炎が踊るように波打ち始めた。
シェスが興味深そうにヘンリーの杖を見る。


「へえ。やっぱ、魔術って便利だな」
「カーラには怒られるんだけどね…魔法使わなくても良いような場面でも魔法使うな!って。初歩的な魔術だから君でも使えると思うよ。やってみたら?」
「マッチ一本分ぐらいの火なら出せっけど、薪を燃やすレベルは俺には無理」
「シェスの出す炎は可愛いです」
「ええ、シェスがだす炎はまるで小人の帽子のようですな!!」
「う、うるせー!!シスターと神父様もたいしてかわんねーだろうが!!」
「いいじゃないか。あたしなんて全然使えないよ。かろうじて土属性がマシってぐらいかねぇ」
「まあ、そうなんですね。土属性の魔術は身体を頑強にできる術がありますから、カーラさんのように前衛で戦われる方と相性が良さそうです」
「まさにそれさ!もっと魔力があれば土で作った、ええとなんだっけ?」
「ゴーレム?」
「それだそれ。そういうのも使役できるらしいね」
「ゴーレム!すばらしい!!いったいどれほど力強いのでしょう、ぜひとも」
「神父様、筋肉にまつわる話は禁止な」
「なぜですかシェス!!」


暖炉の火がゆっくりと室内の温度を上げて、水をたっぷり吸って重たくなった衣服を乾かしていく。
灯り代わりに一行を照らす暖かい熱に身を委ねながら、シェスたちはピエタールの話を、カーラ達は今まで受けた依頼や挑んだダンジョンの話を思い思いに口にした。
御者は遠慮いていたのかはじめは静かに話を聞くばかりだったが、外で停めている馬車と馬の話になると口数が多くなりいろいろと話しをし始めた。


その後はすごかった。怒涛の勢いで今馬車を引いている馬の名前と好物を語られた。
御者が馬が好きなことはよくわかった。


干し肉をかじりながらぬるくなった水を喉の奥に流し込む。


「今、何時ぐらいだ?」
「そうですね、森の中を走っていたのが夕暮れどきでしたから、もう夜の遅い時間でしょうか」


シェスは腕時計や懐中時計といった高価な物は持っていないし、他のメンバーも同様だった。
残念ながら洋館の中にあった古時計は時を刻むのを止めて久しいらしく、針はぴたりと止まったままだ。
ならば外の様子を見て確認しようと応接間の窓から外を伺えば、分厚い雲ごしに見える空はどろりと濃い藍色に染まっていて、激しく降り注いでいた雨はいつのまにか絹糸のように細くなっていた。


明確な時間はわからないが、ベルナッタが言ったようにもう夜なのだろう。


「夜中に森を走り抜けるのもありっちゃありだけど、今日はここで一晩明かしてから明朝出発するか?」
「どちらでも構わないよ。ただ、ここ、ゴブリンやコボルトはいなかったけど、ウィスプやゴーストが出てくる可能性があるから一応見張りは立てておいたほうが良いかもしれないね」
「そうですな!では交代で見張りをしましょう!!」
「あたしゃ、ゴースト系は苦手でねぇ…。あいつら斧が効きやしない。出ないでくれるとありがたいよ」
「ご安心くださいカーラさん。いざとなったら、私と神父様が拳で説得いたしますから!」
「拳で」
「はい!拳で!!」
「…シスターと神父様がいってることマジだぜ。ウィスプとかゴーストレベルならぶん殴って浄化しちまうんだよ」
「へ、へえーー…。すごいんだね~…」
「頭おかしいって言っていいぜ」


顔を引き攣らせてるカーラ達の気持ちはよくわかる。
シェスだって始めてみたときはわけが分からなかった。
「来世は穏やかにすごすのですよ!!」「安らかに!!」という掛け声と裏拳で沈んでいくゴーストたちが浮かべた驚愕の表情をシェスはしばらく忘れないだろう。


「…じゃ、じゃあ、気を取り直して。見張りをたてようか。僕かカーラが先にやればいいかい?」
「よろしいんですか?」
「構わないさ。慣れているからね」
「俺たちも交代すっから頃合いを見て起こしてくれ」
「了解だよ~。じゃあ先に休んでおいて」
「ありがとうございます。あっ…そうです!神父さま、神父さま……」


見張りと仮眠にわかれて各々が行動し始めた矢先、ベルナッタがくいっとカスペルの服を引いた。


「はい?なんでしょう!!」
「ほら、もうすぐだったと思うんです」
「……? ああ、なるほど!そうですな…!!」


「「シェス!!」」
「うお、あっ!?な、なんだよ!!」


こしょこしょと話をする二人に首を傾げていたシェスだったが、突然ばっとこちらに近寄ってきた二人に思わずビクッと固まった。
何事かとシェスが声を上げる前に、


「シェス、誕生日おめでとうございます」
「シェスのこれからの一年が良いものでありますように!」


まるで自分の祝い事かのような柔らかい笑顔で二人は言った。








「………あ?」








唐突な祝福を受けてシェスは唖然とした。
それにきづいているのかいないのか、ベルナッタが優しく囁いてくる。


「ふふ、日付が変わったのかわからないので気が早いかもしれないのですが。もうそろそろでしたよね」




――――誕生日。




厳密に言えば、生まれて間もない頃に孤児院に捨てられたシェスの誕生日は不明だ。
けれど、孤児院の大人たちはすべての子供が生まれた日を祝福されるべきだと考えたらしい。
春が終わり夏が始まる前の雨が多い時期に孤児院の入り口に捨てられていたシェスは、拾われた日が誕生日になった。
誕生日がわからない子どもたちは、みんな似たような流れで仮初めの誕生日を与えられたのだ。


贅沢できる環境ではなかったが、大人たちは子どもたちの誕生日を可能な限り祝ってくれた。
シェスが幼少時に迎えた誕生日には、ベルナッタを始めとしたシスターたちが卵と牛乳、それから高価でなかなか手に入らない砂糖を使ってプリンを作ってくれた。
初めて食べたときは本当に美味しくて、早く食べたい、けれど食べたらなくなってしまうと、幼いながらに葛藤したものだ。


カスペルは「内緒ですぞ!」とチョコレートをまるまる一枚くれた。
結局見つかってしまい、他の子供達に「神父さま、ぼくも!」「私もーー!!」と群がられて飲み込まれていたが。


市場で見かけるような白いクリームと赤いイチゴが乗ったケーキも、両手いっぱいのお菓子やおもちゃもなかったが、あれは幸せなことだったのだろう。


あの頃のシェスは「なぜ自分は捨てられたんだ」と癇癪を起こしてばかりの頃だった。
色んな物を投げて壊してしまったし、言ってはいけないこともたくさん言った気がする。
手間がかかる面倒な子供だったろう。


それなのに。


―――この日が来るまえからずっとそうでしたけれど。あなたは私達の大切な家族ですよ。
―――家族の誕生日は祝うものですからな。誕生日おめでとうございます、シェス。


そう言って抱きしめてくれたのだ。
あたたかくて嬉しかった。 本当に嬉しかった。


「おや、誕生日だったのかい。めでたいじゃあないか!酒場でどんちゃん騒ぎできないのが残念だよ」
「カーラは酒が飲みたいだけだよね、それ」
「おっと、バレてしまったかい」
「最初から誤魔化す気ないくせに。でも、そうなんだ、おめでとう」
「おめでとう!」
「え、ええと、おめでとうございます…」


まだ会って間もないカーラ達にまで祝われて、むず痒い気持ちに身体をよじらせたくなる。
御者まで控えめにパチパチと手をたたくものだからたまったものではない。


「ど、どーも…。っつーか、もう、そんな年でもねーだろ。22だぞ、22ッ!!」


ぬるま湯のような視線から逃げるように、シェスは顔を背けて怒ったような困ったような顔でベルナッタとカスペルを睨むが、微かに紅みを帯びた頬のせいで迫力はまったくない。


「いくつになっても、シェスは私達の、孤児院のみんなの可愛い子供ですよ!」
「―――うっ、っぐ……」


恨みがましい抵抗を満面の笑顔で完膚なきまでに叩きのめされて押し黙る。


「シェスは照れ屋さんですからな!」
「う、うるせえ!!」
「ふふふ、小さい頃はちょこちょことと後ろをついてきて、可愛かったです~。まるでひよこさんみたいでした!」
「誰がひよこだ!!いつの話してんだよ!!今その話、必要か!!?なあ、おい!!!お前らも聞くな!!!」
「あはは」
「ふっ、くく」
「…ふふ」
「っだーーーーーーっ!!わらってんじゃねーーっ!!!」
「安心してください、シェス!」
「この流れで何を安心するんだよ!?」
「今だってシェスはかわいいヒヨコさんですよ!!」
「安心する要素が一辺たりともねぇなァ!!?」
「帰ったらまた改めてお祝いしましょうぞ!!」
「くそがっ!話が一方通行すぎる!!!」


ふざけた会話を交わし、表面上怒って呆れながらもシェスの心は弾んでいた。 
孤児院の中でも一番子どもたちの面倒を見てくれていたベルナッタとカスペルがシェスは幼少時から好きだった。
ベルナッタは姉であり母のようなものであり、カスペルは父のようなもので、親を慕うような柔らかく穏やかな思慕を二人に幼い頃から抱いている。


 他の子供だってそうだ。
 だから、この二人が職務以外で時間を持て余していると、どこからともなく子供が集まって纏わりついていたものだ。


 そんな二人を独り占めしている状況に、この年になって親離れできていない子供みたいな感情ではあるのだが、年甲斐もなくはしゃいでいたのは事実だ。


子供の頃よりできることがたくさん増えた。
人が良すぎて少々抜けている二人にかわって雑務をこなしてやろうと思ってついてきたし、孤児院に戻ってもそのつもりだった。 


神に祈りを、なんてやっぱりいまだにガラではないと思うのだが、この二人のように孤児院で子どもたちの面倒を見るのも悪くない。 
だから計算以外はてんでだめだった頭に鞭を打って、隙間時間に必死に勉強していた。 


教会の、いや、孤児院の。 
血のつながらない家族たちのためになにかできればと。
 


































そう、思っていたのだ。
心の底から。 

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