鬼が生まれるまで04

ガタゴトと馬車に揺られて道中を行く。
ヴィルトワールを出た一行はいくつかの村や街を経由して鬱蒼とした森を進んでいた。
空は分厚い雲に覆われ鉛色に染まっている。

「シスターも神父様もほいほい頼み事を安請け合いしやがって! 予定よりかなり遅れちまってるんだぞ!!ったく…」

孤児院の子どもたちに買ったクッキー缶を弄りながらシェスは呆れ混じりのためいきをついた。
見立てではそろそろピエタールに帰り着く頃だったのだが、予定より馬車の進みが遅れていてまだ目的地は遠い。
「開封しなければ長く持ちますよ」とヴィルトワールの菓子店で言われたクッキー缶をじっと見つめる。
予算ギリギリだったが、この量なら一人一枚はクッキーをたべれるはずだ。
喜ぶ子どもたちの顔を思い浮かべると早く帰りたくなってくる。

鬱蒼とした森は湿度が高く、せっかく買ったクッキーがしけったり、カビが生えてしまわないか心配だが、シェスにはどうしようもないのでただ祈ることしかできない。
お人好しなベルナッタとカスペルが、行く先々で村人の頼まれごとに耳を傾けて解決しまくらなければこんなに時間がかかることもなかったのだが。
シェスが恨みがましく見つめても二人はニコニコと笑うばかりだ。

「ふふ、すみません、シェス。でも困っている方を放ってはおけなかったのです」
「迷える子羊にこの手が届くのであれば差し伸べるのは当然のことです!!」
「二人がそういう性分ってのはわかってんだけどよ。手当たり次第に引き受けるのはやめろよな。いくらシスターと神父様でも体力に限界はあるだろ。……だいたい何だよゴブリン退治って。俺達がやる仕事じゃねーだろ!」

ベルナッタとカスペルが請け負った頼まれごとは、屋根に登った猫が降りられなくなったから助けてほしいとか、好きな女性がいるのだがどうしたら振り向いてもらえるか助言がほしいといった些細なものから、家畜が襲われるから野犬をどうにかしたい、村の近くにゴブリンがいるみたいで怖いからなんとかしてほしいといった、どちらかといえば冒険者や傭兵の仕事など多岐にわたっていた。


ゴブリンはシェスのような自分が住んでいる街からほとんどでたことがない一般人でも知っている有名な妖魔だ。


特徴としては人間の子供程度の背丈で緑色の肌をしている、集団で生活しており時折家畜や人間の子供をさらって食べる、などがある。
基本的に知能は低いが、中には知力が高い個体も存在し魔術を扱うものもいるらしい。

知能が低い単体を相手取るならシェスでも問題なく撃退できるが、知能が高い個体だったり徒党を組まれて襲われれば、駆け出しの冒険者どころか中堅の冒険者ですら命を落とすことがあるような相手だ。
そんな妖魔退治まで詳細を聞かず気軽に引き受けた二人に、真横にいたシェスが頭を抱えて唸り声を上げたのも無理のないことだった。
(その後ゴブリンの目撃情報が多い洞窟に向かい戦闘になったのだが、カスペルが拳で一発ゴブリンを沈めたのをみたときは、正直目を疑った。本当に人間なのかあやしいところだ)

「シェス、私達のことを心配してくれてるんですね。嬉しいです!」
「ええ、本当に!シェスはいい子ですな!!」
「だから!その!!いい子、っていうのやめろよ!!っつーか、このやりとり前やんなかったか!?」

実際危ない場面があったというのにのほほんとした態度を崩さない二人に、苛立たしく頭をがりがりと掻く。
二人の実力が自分よりもずっと上なのはわかっているが、何かあってからでは遅いのだ。
もっと気をつけてほしい。

「本当、神父さんたちは仲がいいなあ」
「私達の存在、このまま忘れられそうだねぇ。ま、いいんだけどさ!」

穏やかでのんびりとした声と快活で大きな声が馬車内で反響し、シェスは続けるつもりだった小言をぐっと喉の奥に飲み込んだ。
ヴィルトワールへ向かうときにはいなかった二人組が馬車の中で思い思いに寛いでいる。
一人は大きな両手斧をもった屈強な女性、カーラ。
一人はゆったりとしたローブと杖を持った柔和な青年、ヘンリーだ。

「わ、忘れてねーよ。神父さまとシスターが俺の話を聞かねーから…」
「シェスくんも大変なんだね~」
「一人しっかりしてるやつがいれば安心さ。せいぜいがんばんな。あっはっは!」
「くそっ、他人事だと思って…!!」

カーラとヘンリーは、道中で立ち寄った村でゴブリン退治を請け負った際共闘した冒険者だ。
カーラが前衛で斧を振り回し、ヘンリーが魔術で後方から支援して戦うのが普段の戦闘スタイルらしい。
二人で行動することが多いが、臨時でメンバーを集めて多人数パーティで依頼を受けることもあるとか。
ベルナッタとカスペルがゴブリン退治に行くといいだしたときはどうなることかと思ったが、協力を申し出てくれた前衛特化のカーラと、攻撃魔術に長けたヘンリーのおかげで、ほとんど被害なく解決できたのはありがたかった。
二人は流れの冒険者で、そろそろ別の場所へ移動したいという。
ならばこれもなにかの縁だと、こうして共にピエタールへと向かっているのだ。

屈強な体格を裏切らない腕力と裏表のない陽気な神父、カスペル。
普段おっとりしているが意外と身のこなしが軽く聖魔法にも長けたシスター、ベルナッタ。
重量級の斧を軽々と振り回し敵をなぎ倒す戦士、カーラ。
様々な魔術を操って敵を翻弄しカーラをサポートする魔術師、ヘンリー。
こうしてみると偶然の出会いだったとはいえ、バランスの取れた組み合わせだったのだろう。

(…俺とは大違いだよな)

談笑している四人を横目でみながら、シェスはそっとため息をつく。
ピエタールにいるときに顔見知りの冒険者たちにナイフの扱い方を教えてもらった。
知名度の高い遭遇しやすい妖魔の特徴と弱点も教えてもらった。
洞窟内で索敵も罠探知も問題なくできた。
カーラ達から「筋がいい」なんていわれ得意な気持ちになったものだ。

だが、実際にゴブリンを目の前にしたシェスは情けないことに一瞬足がすくんでしまったのだ。
カスペルたちがさりげなくフォローしたため大事には至らなかったが、下手をしたら自分や他の誰かが大怪我をしていたかもしれない。
野犬のときは問題なく対応できていたから、なおさら自分で自分が許せなかった。

「シェス? どうかしましたか?」
「……ん、いや、なんでもねぇよ。シスター」

シェスの様子に気づいたのかベルナッタが首を傾げて声をかけてきてくれたが、これ以上情けない姿を見せたくなかったので何でも無いように誤魔化す。

次なんてなくていいが、もし似たような状況に陥ったら足手まといにだけはなるまいと、シェスは青銅でできた十字架を無意識に握りしめた。

ガタゴトと馬車が森の中を走る。森の出口はまだ見えてこない。
舗装されていない地面を走る車輪が起こす振動で荷台が揺れる音だけがあたりに響き、森の静けさをこちらへと伝えてくる。


(…この森、こんなに広かったか?)


ヴィルトワールへ向かう際も通った森だ。
あのときはもっとあっさりと森を抜けて開けた街道を馬車で移動した気がするのだが。
はやくピエタールに戻りたいと気持ちが焦りを生んで、時間がかかっているように感じるのかもしれない。
念の為今どのあたりを走っているかは尋ねておこうと、シェスは荷台の中を移動する。

「なあ」
「はい?なんでしょう」
「あのさ―――、」

シェスが御者に訪ねようと馬車の荷台から顔を出したとき。




――――ぽつんっ。




「うお…っ?」
「あっ」

頭上にひやっとした冷たさと小さな衝撃を感じてシェスが頭上を見上げると、鉛のようにどろりとした空から大粒の雫がぱたぱたと落ちはじめた。御者も小さく声を漏らす。

みるみるうちに地面の色が変わり、ところどころに水たまりが現れる。
このままだと地を打つような激しい雨に変わるのは時間の問題だろう。
ゴロゴロと音を立てて空の向こうから近づいてくる光に、シェスは無意識に身を固くした。
小さい頃孤児院の庭に生えていた木に落ちて黒く焦げ落ちていくのを目の当たりしてからどうもあれは苦手だ。

「ありゃ、まずいね。一雨きそうじゃないか」
「しかも、雷雨か。こんなところに雷が落ちたら大変だね…」

カーラとヘンリーも外の様子に気づいたのだろう。
迫りくる悪天候から逃れられないことにきづいて顔をしかめている。

「御者の方は大丈夫ですか?このままでは濡れて風邪をひいてしまいますね…」
「それは一大事!風邪はこじらせると大変ですからな!!私の上着をお貸ししましょうか?」
「い、いえ、神父様の服をお借りするなんて申し訳ない。一応着替えはありますのでお気遣いなく」
「そもそも神父様の服じゃでかすぎるだろ」

雨はどんどん強さを増していく。このまま走り続けるのは危険かもしれない。
この森は、川辺や小さな崖があるのだ。
馬が足を滑らせたり、馬車の車輪が水でぬかるんだ地面にひっかかって馬車が転倒する可能性がある。
それに、この雨量だと川が氾濫している可能性もあった。
反乱した川は脅威だ。
激流に流されればそのままどこまでも流されていくだろうし、そのまえに溺れてしまうだろう。

「どこかで休めるといいんだけどな…」

この道沿いには洞窟や山小屋などの休める場所は見当たらなかったはずだ。
出口が近ければ森を抜けてしまったほうが早いのだが、いまだ出口は見当たらない。
ここはどのあたりなのだろうか。
降り注ぐ雨で視界が制限されて、今自分たちがどのあたりにいるのか皆目見当がつかない。

「あ!あれをみて」

ヘンリーが突然声を上げてある方向を指さした。
全員の視線がヘンリーに集まりそのまま指さした方向へと視線が流れていく。
今通っている道から離れた木々の向こうに何かが見える。

「……洋館?」

見えたのは古ぼけた建物だった。

「この森、生活されている方がいらっしゃったんですね」
「ここ、住むには不便じゃないかい?魚や木の実はとれそうだけどねぇ」
「こういうところに住む人もいると思うし、なにか事情があるのかもしれないよ~。なんとも言えないけど」
「もしかしたら森のなかで自然と言う名の様々な試練に立ち向かい、自らを研磨し健康な肉体をつくりあげているのかもしれません!!」
「ねぇよ!!!!」
「ほらほら、遊んでないで、あの洋館にいってみない? もしかしたらやすませてくれるかもしれないし」

ヘンリーの言葉に反対する理由もなかったので全員承諾する。
雨に打たれながらも馬を走らせてくれた御者は、全身びしょびしょに濡れている。
このままだと風邪をひいてしまいそうだ。
シェス達も少し疲れていたので休ませてもらえるに越したことはない。
だめなときは近くに馬車を止めさせてもらって荷台の中で雨が通り過ぎるのを待てばいい。
雨が止んだら火をおこしてみんなで温まりたいものだ。

「洋館が廃墟だったらどうすんだ?」
「そのときは中に危険がないか確認して、一晩使わせてもらおうじゃないか」
「妖魔の巣窟になっていたら?」
「まず拳で語り合いましょう!」
「神父様の"まずは"はおかしいんだよなァ!!」

もし洋館にゴブリンがコボルトがいて襲いかかってきた場合は自分の身を守ることを優先すると決め、一同は洋館の方へと向かった。

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