鬼が生まれるまで03

時間の経過は早いもので、気づけばヴィルトワールへと出発する日を迎えていた。
肌寒さが続いていたピエタールの街も、少しずつ暖かくなってきている。
ベロニカ、アンナ、レアンはすでに孤児院を出ていた。
三人が孤児院を出る前に羊皮紙を数枚渡しておいたのだが、全員律儀に手紙を送ってくれている。
ざっと目を通したが、現時点では問題なく働くことが出来ているようだ。
仕事に早く慣れたいとか、珍しい花を見つけたとか、そんな何気ない日常が綴られていてほっと息をつく。
出発前に手紙をかいておくか、とシェスも返事を書いて昨日配達を依頼したばかりだ。

「あー…しくった。しばらく孤児院にいねぇってことも書いておいたほうが良かったか。出先でも手軽に連絡できりゃあいいんだけどな」

こういう時、魔力と才能に溢れて技術を磨いた魔術師が羨ましく感じる。
手紙という手段を用いなくとも相手に声や文字を伝える術があるらしいからだ。
残念ながら大した魔力もないシェスには無理な話なのだが。

ヴィルトワールに向かうこの日のために、シェスは短期の仕事を複数受け持つことでできるだけ路銀を稼いだし、顔見知りの冒険者に以前よりも熱心に技術を教えてもらったりもした。
これで突発的に出費が必要になったり、多少のアクシデントがあってもきっとなんとかなる。

ちなみにルギオは孤児院で留守番だ。

「俺までついていったら孤児院でなにかあったときに対処できない」

一応声をかけてみたが、ルギオからはそんな返答が返ってきたのでそれ以上食い下がるのはやめた。
身体を鍛えていたルギオはきづけば用心棒のような立ち位置になっていた。
ピエタールは比較的治安が良い街だが、おつかいに出た孤児がごろつきに絡まれたら怪我をするかもしれない。子どもたちのおつかいに付き添いでルギオがいってくれれば安心だろう。
カスペルがしばらくいない間、力仕事を手伝う男手がいたほうがいいのもある。

せっかくなら道中一緒だと楽しかったかもしれないなと思ったが、軽口をたたきあうような仲だったため素直に口にするのは気恥ずかしかったので言わなかった。

「シェスは意外と寂しがり」

などと言われた日には、そのまま小突き合いから殴り合い待ったなしだ。
(互いに本気の殴り合いではないので孤児院の面々も困ったように笑うだけだが)

「ルギオのやろー、俺よりちょいとばかしでかくなったからって調子に乗りやがって!」

憎まれ口をたたきながら必要なものを入れた鞄とポーチの中身を乱暴に確認するのは三度目だ。
些か神経質かもしれないが、ベルナッタとカスペルの危機感の薄さを考えれば自分がその分気をつけたほうがいいだろう。
ふと、視界に、黒い布が映る。

「…………」

ハンガーに掛けられているのは先日ベルナッタとカスペルが手渡してきた黄色のラインが入った黒いカソックと黒いケープ。
つまり神父が着るような衣装だ。
ヴィルトワールではこれを着る必要があるらしい。
確かに普段来ている簡素な布の服で、敬虔な信徒たちが往来する大聖堂に入るわけにもいかないだろう。

――ふふ、シェスのサイズに合わせて用意したんですよ。
――きっと似合いますぞ!

なんて言いながら着替えの分も含めて数着のカソックとケープを手渡されたときは、叶うならば孤児院や教会に従事したいと思っている自分の考えを見透かされているように感じ、それはもう変な顔になってしまったのだが。
二人の掛け値なしの愛情は本当にこそばゆい。
現地についてから着替えればいいかと思ったのだが、着ているところを見たいとベルナッタとカスペルを筆頭に孤児院の子どもたちにせがまれたのを思い出して、出発前に袖を通すことにした。
布の擦れる音が静かに室内に響く。

「おお…。すげーな。マジでぴったりじゃん」

普段着と全く違う装いに多少の違和感はあったものの、それでもこの神父服はシェスにぴったりだった。
一緒に渡された白い手袋をつけて、いつも持ち歩いている青銅でできた十字架を首にかける。
鏡をみれば、やや緊張した面持ちのシェスの姿が写っていた。
愛想良い笑みをふっと浮かべてみれば、就任したばかりの若い神父に見えなくもない。

「…ふーん。悪くねぇ。神父様っぽい。ま、あそこまで筋肉が爆発してはないけどな!」

小生意気なことをいいながらケープを整えるその表情は親の真似をして喜んでいる子供のような顔だったが、言及するものはこの場にいない。
荷物を手にして自室を後にする。

「シェス、もう出発?」
「おう」

廊下で声をかけてきたのはルギオだ。
頭一つ分でかくなった昔なじみにひらりと手を振り返答する。

「神父服、似合わないな」
「うるせー、俺だってガラじゃねぇのぐらいわかってるっつーの」
「チンピラ神父感がある」
「このやろう!誰がチンピラだ!!誰が!!!」

憎まれ口をたたき合いながら廊下をともに歩いていく。
どうやら見送ってくれるらしい。

「いつ頃帰ってくるんだ」
「春が終わるころには帰ってくるぜ」
「そうか。まあ、きをつけて」
「おー」
「土産はヴィルトワールのお菓子で」
「んな金あるか!!」
「子どもたちが楽しみにしている」
「…ぐっ。……あんま期待すんなよ」

わかっているとでもいいたげに軽くうなずくルギオに苦々しい顔を向けて肩をすくめる。
ルギオと騒いでいるのが聞こえてきたのか、わらわらと子どもたちが集まってきて一緒に歩き始めた。
子どもたちがひな鳥のように後をついてくる様子に、ふっと笑みを返してベルナッタとカスペルが待つ玄関口へと向かう。

「おはようございます、シェス」
「おお!その服着てくれたのですねシェス!!似合っていますぞ!!」
「ほんとうですね~。とっても素敵ですよ!!」

予想以上に手放しで褒めてくる二人にたまらず顔を背けてしまう。
この二人はいつだって真っ直ぐで眩しい。

「…あーー、んなこというの二人ぐらいだろ…。待たせて悪い。もう出発できるぜ」
「わかりました。それではみなさん、行ってきますね。いい子にしているんですよ」
「なるべく早く帰ってきますから。よく寝て、よく遊んで、健やかにたくましく過ごすのですよ!!」
「いってらっしゃい、神父様!」
「行ってらっしゃいシスター・ベルナッタ!!」
「シェスおにいちゃんがんばってね~!!」

子どもたち、ベルナッタ以外のシスター、カスペルの代理でやってきた神父に見送られて、三人はピエタールを出発した。



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結論から言えば道中野犬に襲われはしたものの、拍子抜けするほど順調に三人はヴィルトワールにたどり着くことができた。
ヴィルトワールは人通りも多く店も多い大きな街だった。
大聖堂に祈りを捧げに遠方から訪れる信徒や、行商人が数多く訪れるのだろう。
ピエタールよりも宿や食事処が多く、外から見ても店内はとても賑わっているのが分かる。
市場だと思われる大通りにはいろんな店が立ち並んでいる。
露天商が広げる銀細工はどれも精巧な作りで興味深かったし、見たことのないような素材の布地や色とりどりの糸はもし自分の懐が潤っていたら思わず買いたくなるほどだ。

大聖堂に赴いて堅苦しい口調で延々と堂々巡りな話が続いたときには正直うんざりとしたが、言葉遣いに気をつけて控えめに微笑みを浮かべていたおかげか、孤児の自分が発言しても思ったよりも邪険にされなかったのは僥倖だった。

意外だったのは、ベルナッタとカスペルがまわりの聖職者に一目おかれていることだった。
なにせ、シェスが知っているのはのほほんと子どもたちに惜しみない愛情を注いでくれる二人の姿だけ。
シェスがさり気なく耳打ちした内容を汲んでくれて、かつ毅然とした態度で理路整然と意見を述べる二人に驚くと同時に内心誇らしく思ったはここだけの話だ。

直接伝えるのはあまりにも照れくさいし、ルギオにいった日には「親離れできてないな」などと馬鹿にされるに決まっている。

ルギオ自身だっていまだ子供扱いされて、背伸びをしたベルナッタに頭を撫でられるたびに困ったような照れくさそうな顔をしているくせに。と言い返す準備は万端だが。

寄り合いがおわった後、帰り間際に礼拝堂に足を運んだ。
ピエタールの教会よりもずっと大きく鮮やかなステンドグラスからキラキラと光が降り注ぐ様子はとても美しく、光り物が好きなアンナがみたら喜びそうだと思う。
手紙に書く内容がまた一つ増えたな、と物思いにふけっていると。

「あ、あの…」
「ん? 何か?」

背後から声をかけられた。
声をかけてきたのは一人の少女だった。
まだ十代半ばだろうか。
ここのシスター、もしくはシスター見習いだろう。

「新しくここに来られる神父様ですか?」

少女は礼拝堂に訪れたシェスに興味を惹かれて声をかけてきたらしい。
幼少時からよくあることだったので、蜂蜜色の瞳を細めて人懐っこい笑顔を浮かべて応える。
シェスの柔らかい金色の髪がさらっとゆれて、長い睫毛がぱちりと動いた。
喋らなければ美人と言われているのは何も身内贔屓というわけではない。
実際、幼少時よりも整った顔立ちになったシェスはヴィルトワールについてもすれ違う人が何度か振り向くほどだった。
例に漏れず好奇心をのぞかせている少女の顔もほんのりと朱に染まっている。
シェスは少女の疑問に答えるために薄い唇を控えめに開いた。

「いや、ピエタールからシスターと神父様の付き添いで」

自分でやっておいてなんだが、普段の粗暴な口調に慣れているせいか、こういう話し方をするとむず痒くて仕方がない。
だが、少女にはよかったのだろう。
そうなんですね、とどこか嬉しそうに引き続き会話をしてほしそうにしていた。

「ここにくるのは初めてで。よかったら、色々おしえてくれないか?」
「えっ、あっ、ハイ!私でよろしければ…っ」

さりげなく探りを入れれば、ここでどういう人間がどういう役職についているのか、普段どういう活動をしているのか、情報はいとも簡単に手に入った。
面倒ごとに巻き込まれたことも少なくないが、こういうとき自分の容姿は役に立つ。
もし孤児院に何かあったときに役に立つかもしれないと、手に入れた情報を頭に叩き込んでシェスは大聖堂を後にした。
ベルナッタとカスペルは先に外で待っているだろう。
合流したら今日は宿で一泊して、明日ピエタールへ馬車で帰ることになる。

ピエタールで待っている子どもたちに土産に買って帰るお菓子をどうするか考えながら、ヴィルトワールの大通りを歩く。
そんな日持ちするお菓子があるのかどうか。
無ければ別のものを買うべきか、道中の他の村や街で買うか決めなければならない。
懐に余裕はないが、高級なものでなければなんとかなるだろう。
馬車が出る時間は昼頃だ。
それまでにはどうするか決めて行動に移さなければ。








すれ違う他人から向けられる艶味を帯びた視線を躱しながら、シェスは宿へと帰っていった。

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