鬼が生まれるまで02

彩り豊かな紫陽花に大粒の雨が降り注いでいる。
水のカーテンが窓ガラスを覆う孤児院の一室に三人の人影があった。
つい先日二十一歳になったシェスと、シスターの一人―――ベルナッタ―――、神父―――カスペル―――だ。

「二人でヴィルトワールに行くって?」

【ヴィルトワール】はこの地方一帯でも大きな街だ。この地方一帯の教会すべてに影響力を持つ大聖堂と教団があり、敬虔な者が多いその街は聖職者の街とも言われている。

「ええ、まだ先ですが枢機卿ドミニエル様から各教会へ通達がきましたので、行かなければなりません」
「通達?なんか問題ごとでもあったのか。まさかその枢機卿様とやらが孤児院をどうこうするとかじゃねぇよな?」
「とんでもない!ドミニエル様は慈悲深い方ですぞ!!」
「孤児院をつくろうと提案してくださった方がドミニエル様なんですよ」
「へー」

針に糸を通しながら、シェスは二人の話に適当に相槌を打つ。
シェスが幼少の頃から面倒を見てくれていた二人はほとんど外見が変わっていない。
エルフであるベルナッタはともかく、屈強すぎる体格を除けば人間にしか見えないカスペルはどういうことなのか。
それはこの孤児院の謎の一つである。

「信者の皆様から頂いた寄付を子どもたちのためにもっと活かすにはどうすればよいか、各孤児院を経営している教会の代表者が集まって話し合いをするとのことでした」
「ふーん」

(要は集めた寄付金をどう使うか会計会議をするってわけか。人間、生きるにはどうやっても金が必要だもんな)

即物的な思考を巡らせながらシェスは机の上に視線を向ける。
机の上には昨日孤児の一人が泣きながら持ってきた猫のぬいぐるみがある。
子供同士のちょっとした喧嘩で腕が取れてしまったらしい。
泣きじゃくりながら、「猫さんのおてて、なおる…?」と縋るような眼差しを向けられては直さないわけにはいかなかった。
まあ、もともとこのぬいぐるみはシェスがつくったものだったし、つくったものが破損するのは遊びたいざかりの子供がたくさんいればよくあることだ。
言われなくても直すつもりだったからたいしたことでもない。

はみ出た綿をぎゅうぎゅうと戻して、取れた腕をぐいと肩口におしつけ、ぷつりと針を指し均等に縫い目を作っていく。

ついでとばかりに取れかけていたボタンでできた瞳もつけなおした。

「馬車で行くのか?」
「そうなります。徒歩だといつつくかわかりませんからね~」

ヴィルトワールはここからかなり遠いところにある。
馬車をつかったとしても到着に一ヶ月はかかるだろう。
帰ってくることを考えれば併せて二ヶ月だ。
世の中には飛竜にのせてもらい空路を行く方法や、転移陣をつかって瞬時に目的地に移動する方法もあるらしいが、前者は運賃が非常に高額で手が出ないし、後者は才能と魔力を兼ね備えた魔術師でないと不可能だ。
馬車と御者はどうやら用意してもらえるらしいが、食費や宿泊費は出ないらしい。

「食費も、宿泊費も出ねぇって、ちょっとあんまりじゃねーか? 道中どうするんだよ?」
「だ、大丈夫ですよ。いざとなったら狩りがあります」
「狩り」
「そうですとも。落ち葉を集めればベッドになりますしね!!」
「落ち葉」

二人のことだ。孤児院の子どもたちの負担にならないように、とか言って、自分の食費を削って野宿しながら行くかもしれないとシェスは思っていたが、今の発言で確信した。
絶対にやる。絶対にだ。

「おい!野宿前提じゃねーかっ!!野党とかゴブリンに襲われたらどうするんだよ!?」
「まあ、心配してくれてるんですねシェス。嬉しいです!」
「さすがはシェス。いい子に育って私達も鼻が高い!!」
「そ、そういう話はしてねぇ!!」

子供を見るような優しい眼差しを向けられて、居たたまれなさにシェスの声が上擦る。
関係としては間違っていないのだが、今はもうそんな扱いをされたら羞恥を感じる年だ。
この二人は自分を含め孤児たちを大事にしてくれているが、いつまでたっても小さな子供のように扱ってくるから困る。

「自分の身は自分で守れますよ?」
「護身術は聖職者の嗜みですからな!!」
「そんなもん嗜まれてたまるか!!」
「はっはっはっ」「ふふふ」

確かにベルナッタとカスペルは聖職者にあるまじき戦闘能力を持っている。
街でみかける冒険者達―――報酬次第で色々な仕事を請け負う何でも屋のようなもの―――と比べても遜色ないどころか実力が上かもしれない。
だが、呆れるほど人がいいし危機感がないのだ。
あきらかに嘘だとわかる演技にころりと騙されて有り金全部を持ち去られたり、命をやり取りするような危険な取引に巻き込まれるのではと思うと気が気じゃなかった。

「いつ出発するんだ?」
「今年の冬が終わる頃ですよ」
「冬から春にかけてか。結構日数あいてんな。そういや神父さまとシスターがいない間、孤児院はどうするんだよ」
「神父でしたら、代理の方が来てくださいます。きっと私よりも力強い方がきてくださるでしょう!」
「そうそう筋肉おばけな神父がいてたまるか」
「筋肉との対話をすることで心身健康で清らかな信徒に」
「ならねーーーーよっ!!!?」

話がどんどん脱線していくが、ベルナッタはニコニコと見守っているし、カスペルは放っておけばどんどん脱線していくだろう。
二人のマイペースさにシェスが片手で顔を覆いながら唸り声を上げるのはいつものことだ。

「神父様、ちょっと筋肉の話をやめろ」
「なぜですかシェス!!」
「いいから!!」

筋肉に関する話題を禁止されて心なしかしょんぼりしているカスペルを尻目にベルナッタの話を根気よく聞くことにする。
代理の人間が秋に来ること、教会と孤児院に関する業務や子どもたちの情報共有とヴィルトワールへ行くための準備に時間がかかること、他の街や村の教会も似たような状況であることを踏まえ、今年の冬が終わる頃に出発することにしたらしい。
枢機卿にも了承済みだそうだ。

窓の外へ視線を投げる。外はいまだ雨が降り続いている。

「…俺も行く」

シェスがぽつりと呟いた言葉に、二人はキョトンと瞳をまたたかせた。

「二人とも金の使い方がなってないだろ。たいして金を支給してもらえねぇならうまくやりくりしてヴィルトワールまでいくべきだ。帰りのことも考えると尚更な。あと、二人で行くのははやっぱりどうかと思うぜ。万が一御者や馬になにかあったら困るだろ」

説得力がない内容だと自分でも思う。この二人なら馬車を守りながら戦うのだって問題ないだろう。正直に言えば自分がついていきたいだけなのだ。

「俺は金勘定できるし、自分の身は自分で守れるし、御者の様子も見てやるよ。見ず知らずの傭兵や冒険者雇うよりずっと信用できるだろ?」

持ち前の人懐っこさで街にあるギルドの受付嬢や駆け出しから中堅レベルぐらいまでの冒険者たちと面識があるシェスは、ベルナッタやカスペルより情報通だと自分で思っている。
手先の器用さを気に入られて、何人かの冒険者にちょっとした小技を教えてもらうこともあった。
鍵開け、罠設置、罠解除、話術、気配の消し方、ナイフで身を護る方法などであったので、なんとなくおおっぴらにしなかったが。
試しに鍵をかけ直した小さな宝箱を解錠させてもらったときはそれはもう興奮したし、技能を身につければ試してみたくなるものだ。

雇う予定はないと二人は言うが、道中何があるのかわからない。
二人にそのつもりがなくても、相手の口車に乗せられて半ば強引に契約をされ、あとで高額の報酬を要求される可能性は大いにあるのだ。
あの稼業も他の職と同様信用が第一ではあるが、素行が良くない者は少なくない。

それに好奇心もあった。シェスは町の外に憧れを抱いていた。
奉公先や引き取り手によるが、金銭的に余裕がない自分たち孤児にとって別の村や街に行く機会なんて滅多にない。
もし叶うなら、いろんな村や町に行ってみたいと思ったのだ。

「シェスの気持ちは嬉しいですが、シェスが誘拐されるかもしれないと思うと心配ですね…」
「はあ!?されねーよ!?俺をいくつだと思ってんだ!!もうガキじゃねぇんだぞ!!?」
「シェスは昔から美人さんでしたからな!!」
「野郎に美人とか言ってんじゃねー!!!」
「知らない人にお菓子を渡されたらどうするんですっ!だめですよ、ついていったら。めっですよ!!」
「ついていかねーーよっ!!!!!!!!!」

さきほども感じたことだが、ベルナッタやカスペルにとって、シェスはいつまでたっても可愛い子供の一人らしい。
こうして変わらない愛情を向けてくれることに関しては感謝しているし嬉しいとも思っているが、反面、自分を対等に見てもらえないことに苛立ちやもどかしさを感じてしまう。

結局、シェスが二人をどうにか言いくるめた頃には夕食の準備に取り掛からなければならない時間だった。
たしか話はじめたのは昼食後だったはずなのだが。時間の流れは早い。

合間に針を動かすことを忘れなかった結果、猫のぬいぐるみはすっかり元通りになったのでまあよしとするかとシェスは思った。
おまけでつけたリボンの飾りと一緒にあとで持ち主に返せばきっと喜ぶだろう。

席について夕食を取りながらさりげなく様子を見ていたが、ぬいぐるみの件で喧嘩をしていた子供二人の動きはぎこちなかった。
「ちゃんと仲直りしろよ」と一言添えたほうがいいかもしれない。

「シェスにぃ、ごはん冷めちゃうよ」

ぼんやりと子どもたちを眺めているシェスの耳に聞き慣れた声が流れ込んでくる。
顔を向けると、目尻のたれた緑色の瞳と目があった。
茶色の髪をふわふわとさせて控えめに様子をうかがってきたのは15歳になったレアンだった。
相変わらず内気で引っ込み思案だが、自分より小さい子供達が増えてきてしっかりしなければと思ったらしく、前よりは社交的になった気がする。

「ん? おお、悪い。お前はもう食べたのか?」
「ううん、今から。一緒に食べていい?」
「いいぜ」
「えへへ」

嬉しそうに隣に座る弟分に穏やかな眼差しを向けながらフォークを手に取る。
今日の夕食もささやかで物足りない量だが美味しそうだ。

「ルギオたちは?」
「ルギオはもう食べ終わって、お皿洗ってるよ。終わったら庭で運動するんだって」
「あいつ最近やたら鍛えてんな」

同い年のルギオは数年前から身体を鍛え始めた。
寡黙で生真面目な性分だったのもあって、今ではしっかりとした体つきになり、そのへんのごろつきなら問題なく返り討ちにできるほどだ。
ちなみに身長もかなり差をつけられてしまったのだが悔しいので話題にするつもりはない。

「ベロニカとアンナは身辺整理してるよ」
「ああ。もうすぐか…」

奉公先に行く準備だとすぐにわかった。相変わらず仲がいい二人が、ああでもないこうでもないといいながら、そんなにない私物を整理しているのだろう。
鮮明に二人の様子が想像できて思わず笑ってしまったシェスだが、対するレアンの表情はどこか翳りがある。

「どうした?」
「う、ううん。ベロニカとアンナはいいなあって…。ここを出ても二人一緒だから」
「お前は人見知りだからなあ。けど、いいかんじのやつだったんだろ」
「…うん」

レアンも近日中にこの孤児院を出ることになった。
農村で働く人間がほしいと、そこ一帯を治める領主が視察に来たのがきっかけだ。
土いじりが好きなレアンは植物を育てるのがうまかった。
孤児院に咲いている花や栽培している野菜はレアンが中心になって手入れしていたものばかりだ。
それを聞いた領主がレアンに興味を持ったらしい。
事前に簡単な顔合わせをして、正式に雇用が決まったらしい。
質素ながら衣食住は保証してくれるようだ。

「でも、やっぱりさみしい」
「ちびっこみたいなこと言うなよ」
「ううう…」
「手紙、送ってやるから」
「…ほんと?」
「ほんと、ほんと。まあ、お貴族様みたいに高価な羊皮紙を贅沢には使えねぇけど、日雇いのバイトでさ、粗悪品で売り物にならねえ羊皮紙をもらえることがあるんだよ。お前用に余分に同封して送ればお前が返事をかけるだろ?」

ベロニカとアンナにも手紙を送るつもりだった。
ベルナッタとカスペルについていっている間は手紙を受け取れないが、どうせ頻繁に羊皮紙が手に入る身分でもない。
よくて数ヶ月に一回、下手すれば数年に一回になるだろう。
けれど孤児院をでてからも仲が良かったメンバーとのつながりが途絶えないと知ってレアンの頬に赤みが増した。
会話の途中から泣きそうになっていたのに現金なものだ。
まあ、シェス自身もたとえみんなばらばらになってもできるだけ繋がりを持っていたかったので人のことはいえないのだが。

食堂から窓の外をみる。雨は止んでいたが外は曇り空だ。
洗濯物がたまってきたので明日は晴れるといいと思う。

「そろそろ部屋に戻るわ」
「うん、わかった。おつかれさまシェスにぃ」
「おつかれさん」

ベルナッタとカスペルとともにヴィルトワールに向かうのはまだ先だが今から準備しておくに越したことはないだろう。







必要なものを頭の中でまとめながら、シェスはレアンに軽く手を降って食堂を後にした。

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