鬼が生まれるまで01

 

まだ人間だった頃のシェスの話。

 

幾度か季節が巡り、少し肌寒い日が続く小さな町「ピエタール」。




孤児院の一室には二十歳になったシェスの姿があった。
思うように身長が伸びなかった身体は小柄だが、豹のようにしなやかで均整の取れた手足と、蜂蜜色の釣り上がった流麗な瞳は、子供の頃よりも一層彼の美貌を際立たせている。
ちなみに口調の悪さも一層磨きがかかってしまった。


粗暴な口調に眉をひそめる者もいるが、綺麗な顔立ちで人懐っこく愛想が良いシェスは市場の婦人方に受けが良く、回る口と容姿を生かして食料品や日用品をまけてもらうことも多い。
シェスの口の悪さを知っている者からは、口を開かなければなあ…と茶化すように言われ、「どういう意味だこのやろう!」と昔なじみとじゃれ合うのは日常茶飯事だ。


孤児は一定の年齢に達すると孤児院を出ていかなければならない。
見目の良さと、生まれつき手先が器用なシェスは引き取り希望者もそれなりにいたのだが、本人が頑なに孤児院から離れようとしなかった。


現在は便利屋よろしくいろいろな仕事を日雇いで受けながら孤児院に入り浸り、孤児院でも雑用をこつこつとこなしていくことにした。
(昔なじみにばれるとなんだか気恥ずかしいのでひっそりとだが)できれば孤児院で子どもたちの世話をしたいと思っていたので、時間の合間をぬって教会または孤児院に従事できるよう文字や職務の勉強に励んでいる。


ルギオも似たような感じだ。
レアンはまだ幼いのもあるが、人見知りが災いしていまだ引き取り手が決まっていない。
アンナ、ベロニカは一年後に二人一緒に貴族のもとへ奉公にでることになっている。
神父やシスターたちがしっかりと面接を実施していたのできっと悪い相手ではないだろう。


「なあ、何で厨房に入ろうとするとみんなして止めんだよ」
「厨房が魔境になってしまうからだろ」
「どういう意味だルギオ!!」
「シェスは少しだけ料理が苦手ですからねえ」
「シスター、シェスを甘やかしたらだめだ。死人が出る」
「でねーーーよっ!!!!!」
「胃袋の鍛錬にはなりますが、子どもたちにはおすすめできませんね!!」
「おい、神父様! 」
「シェスにいちゃんのつくってくれるもの大好きだけど、ごはんはちょっとごめんなさいしたい!!」
「わかるわ。ご飯は本当無理。お願いだから自重してほしいの」
「ベロニカ!アンナ!!お前ら後で覚えてろよ!!!」
「きゃー!」「ふふふ!」


人手が足りないだろうとやる気をみなぎらせて厨房に入ろうとしたことが何度かあるが、何故か全力でみんなに阻止される。
掃除、洗濯、裁縫、来客の応対など、なんでもこなせるシェスだったが、なぜか料理に関してだけは大雑把で独自のアレンジを加えようとするのだ。
出来上がるものが悲劇を呼ぶのは確定事項であった。
孤児院で暮らす自分やみんなの胃袋の平和を守るため、一丸となってシェスを止めるのも仕方がないことだったのだ。


「くそ…っ。…ああ、そういや明日またあたらしくちびっこいのが来るんだったな」
「ええ、あたたかく迎えてあげましょうね」


孤児院には今も居場所を失った子どもたちがたくさんやってくる。
シェスは子供が嫌いではない。
むしろどちらかといえば好きだったが、孤児院に子供が増えるということは行き場のない子供がそれだけいるということだ。
そして子供が増えるということは生活に必要なものも比例して増えるということ。
ありがたいことに定期的に教会へ寄付をしてくれる人達はいる。衣料品や食料もだ。
けれども差し入れられる衣料品や食料ではとても足りない。
お腹いっぱいご飯を食べられることは稀だったし、衣服は古いものを繕い直して何度も着回すのが普通だった。


孤児院のシスターたちが都度子どもたちの服を繕い直していたが人手が足りず、シェスが手伝うようになったのはいつ頃だったろうか。
端切れでつくった布小物が意外に受けがよく、バザーに出して生活費の一部にもした。
シスターたちが困っていたから仕方なく始めた裁縫だが今ではすっかり趣味になってしまい、余った布をもらって何か作ることが日課になっている。
簡単な服ならばつくれるようになったのだから自分でもずいぶん上達したと思う。
幼い子供に犬や猫のぬいぐるみを作るととても嬉しそうにするので、シェスも気分が良かった。
冬場に毛糸で何か編んでやってもいいな、と考えを巡らせるのも楽しい。


他には木材のあまりをもらってきて、先が丸い木刀や盾、木馬や積み木などもつくってみた。
おままごとが好きな子供もいれば、冒険ごっこが好きな子供もいるので拙いながらもいろいろ作ってやろうと思ったからだ。
想像以上に好評だったらしく子どもたちの間で取り合いが発生してしまい、「こら、喧嘩すんな!」と軽く叱ったあと急いで追加分をつくったのも今となっては笑い話だ。


お人好しばかりのシスターたちと神父様は金勘定がいまいちなので、孤児院と教会の財政にも口を出している。
良心的な住民が多い街だが、がめつい人間がいないわけではない。
帳簿を見せてもらった時は、自分が口出しするまでいったいどんな財政管理をしていたのか背筋が凍る思いだった。
それから手が空いたときには孤児院の子どもたちと遊びながら、各自の健康状態もさり気なく確認する。


「おー、お前ら、今日も元気かー?」
「「「げんきー!!」」」
「なら、よし」
「シェスお兄ちゃんいつも元気か?ってきくねー」
「お前らが風邪ひくと薬代がかさばるんだよ」
「そうなんだあ」
「そうなんだよ。うちは金がねぇからな。風邪ひかねぇようにしろよ。ただし具合悪いと思ったときは我慢はすんな。悪化すると洒落にならねぇからな」
「はーい。シェスお兄ちゃんどこか行くの?」
「裏庭の掃除。お前らもあとでこのあたり掃除しておけよ」
「わかったー」


目まぐるしく忙しい毎日だったが、神父やシスターたちは優しく、孤児院にいる子供達はみんな自分の弟分妹分のようなものだし、昔なじみの仲間たちも手伝ってくれる。
今もこの場所はシェスにとって大事な場所だ。


子どもたちと別れて、一人裏庭の方へと歩いていく。
教会と孤児院が併設されていることもあって、敷地は結構広い。
人手が足りなくて荒れているところもあるが、人が通るところは極力みんなで綺麗にしていた。
ときおり吹く風がひやりと頬をなでていくのに目を細めながら、目的の場所へ足を踏み入れる。


そこは小さな墓地だった。


等間隔で並べられた石には文字が彫られていて、それぞれの石の前に花が添えられている。
共同墓地とは別にされているこの場所は、孤児院の子どもたちが眠っている場所だ。
あちこちに積もっている枯れ葉を箒で掃いていく際、ふと、一個の墓石に目が止まった。


「………、…………」


いくら孤児院の大人たちが尽力しても、すべての子供が平等に明日を迎えるわけではない。
体調不良を拗らせて、思わぬ事故にあって、原因は様々だが若くして天に召される子供は少なくない。
石の上に積もる枯れ葉を軽くはらって落とす。
他の墓石と同様、石には名前が刻まれている。


「………アトス」


ぽつりとつぶやいた声は静かに空気へ溶けた。


-------------------------------------
































「もうすぐ春がくるね」
「おう」
「雪かき、参加できなくて悪いなあ」
「お前は早く風邪をなおせよ」
「うん、そうだね」


アトスが寝室のベッドの上で苦笑を浮かべている。
孤児院のベッドは固くて床に寝るよりはマシと言った程度のものだ。
それでもできるだけ子どもたちが眠りやすいようにと、タオルや布をしいてやわらかくしようとシスターたちが努力してくれているのだが。
みんなで補修を繰り返している壁は隙間風が入ってきて冬の寒さがとても厳しく、子どもたちで寄り集まって寒さを凌いだ日もあった。
質がいい医療薬を常備するなんてもっての外だったから、体調を崩した子供は安静に横になっておくしか無かった。
大人たちはせめて栄養を十分にと優先的に食事を回していたが、それでも。
それでもどうしようもないことはあるのだ。


「僕には、シェスお手製のお守りもあるし。案外明日にはすっかり治ってるかもしれないよ」


笑いながらアトスが見せてくるのは、若草色の小さな布袋だった。
紐が通してあり首から下げれるようになっているそれは、シェスが裁縫の練習も兼ねてつくった物だ。
布小物をようやくまともに作れるようになってきたシェスが仲の良い五人のためにつくった物。
アトスには若草色の布、ルギオには群青色の布、ベロニカには朱色の布、レアンには亜麻色の布、アンナには菜の花色の布を使った。
せっかくなのでそれぞれの名前も刺繍で入れた。
各自大事なものを入れたり、お財布代わりにしてるらしい。
シェス自身も、解れと破れがひどく再利用が難しくなったベッドのシーツの端切れで作った。
擦り切れて少し汚れた白い布だったが、意外と丈夫で満足している。


「お守りとか大げさだろーが。継ぎ接ぎだらけの布袋にそんな効果ねぇよ。作りもまだまだ甘いし。お前もあいつらも作り直すから返せっていっても返しやしねぇ…」
「シェスが僕たちのために作ってくれたものなんだから、大事にしてるんだよ」
「…あっそ」
「あれ、照れた?」
「照れてねぇ!!」
「あはは」
「笑うな!…あー、そういやさ、明日また物好きな大人が来るってよ」
「そんな言い方、よくないよ。良い仕事先や家庭に迎えてもらえるかもしれないんだから」
「まあな。他の奴らは今日は来なかったのか?」
「さっき来てくれたよ。アンナとベロニカは花を摘んできてくれたし、レアンは絵を描いてくれてさ。ルギオは毛布を持ってきてくれた。シェスと同じだね」
「くそ、かぶったか!!」
「えっ、今、くやしがるところあった!?」


こうして軽口を叩いているが、アトスの顔色は良くない。
でも誰も触れなかったのだろう。シェスもだ。


「明日も外出するの?」
「日雇いのバイトで売り子すんだよ」
「ああ、シェスの見た目ならお客さん増えそうだね」
「面倒な客も増えてたまったもんじゃないけどな。俺はお嬢さんじゃねぇっつーの。そうだ、今度の売り子は飯屋なんだぜ」
「えっ、シェスが料理するの。や、やめよう?悲劇しかうまれないよ」
「おい!!出来上がったもんを売るだけだよ!!」
「ああ、そうなんだ。よかった」
「このやろう…。ま、まあ、売上が良かったら賄いで飯をわけてもらえんだ。アトスにも持って帰ってきてやる」
「ほんとに?ありがとう」




嬉しそうに目を細めるアトスになんともいえない気持ちになる。
できることなら医療薬、あわよくば医者を呼べればと思ったが、日雇いでもらえる給料ではとても足りない。
「それよりみんなのご飯や洋服にまわしてよ」とアトス本人も言ってくるのだから全く困ったものだ。


「けれど、シェスこそ大丈夫? ここのところいろんな日雇いの仕事を受けてるみたいだし…」
「特に問題ねぇよ。俺はいつでも活力に溢れてっからな!」
「そっか」










「…ちょっとだけ、羨ましいなあ」








あのとき浮かべた寂しそうな表情も今は薄っすらとしか思い出せない。
その日が最後になるなんて、思っていなかった。
もうすこしお金が溜まったら、医療薬を買えるかもしれない。そうしたらアトスもまた元気になるのだと信じてやまなかった。
日雇いの仕事から帰ってきたシェスを待っていたのは、泣きじゃくるベロニカとレアン、うつむいて服を握りしめているアンナ、歯を食いしばっているルギオと。
ベッドの上で冷たくなっているアトスだった。














身体の弱かったアトスは、冬を超えられなかった。












風邪をこじらせたアトスは、そのまま春を迎えることなく静かにその短い生涯を終えたのだ。
シェスは刻まれている名前を何度か眼で追いかけて深く長い息を吐いた。
ほんの一瞬浮かび上がった翳りのある表情を見るものはここにはいない。
五年。仲の良い家族が一人欠けて。もう五年だ。


「……さむ…っ」


日が陰ってきた。肌寒さにシェスの思考が現実に戻ってくる。
もうすぐ冬が来る。
今年は何事もなく無事に冬がおわるといいと思いながら、言葉少なにシェスは掃除を終えた墓地を後にした。

PAGE TOP