夜明けの星15

「……う、ううん…っ」

 

眩しい、そう思った。
窓辺から差し込む光が朝であることを自分に伝えてくる。
シーツが擦れるような音を立てて、ノウは自分がベッドの上で眠っていたことに気がつく。
覚醒しきっていない意識のまま、薄く目を開ける。
見慣れた天井が目に入って、自分が眠るベッドの傍に誰かがいることがわかった。
ぱち、ぱち、と瞬きを繰り返しながら目を向ける。
そこにいたのはノウが予想していた人物ではなかった。
厳つい顔が困惑したようにこちらを見下ろしている。

 

「…親父さ、ん?」
「おお、目が覚めたか、坊主。いつも規則正しく朝飯を食いに来るのに起きてこないから様子を見に来れば床に倒れていて驚いたぞ」
「床、に……?」

 

ぼんやりとした頭で記憶を辿り、ゆっくりと思い出す。
昨日眠る前にのどが渇いて階下に水を飲みにおりたのは覚えている。
目覚めたばかりのノウの記憶はまだ僅かに混濁していた。
何故宿の亭主がこの部屋に、何故自分を心配そうに見下ろしているのか、まだ記憶は不鮮明なままだ。
ぼんやりとしたままノウは考えを巡らせる。

 

(おれ、水飲んでそれから部屋に戻って、そうしたらシェスさんが……。あ、あ、そうだ、シェスさん、シェスさんがすごく、くるしそうで、シェスさん…? ここに、いないの?)

 

茫然としていたノウだが、次第に記憶を寸前まで辿り切った。
亭主が体調についても聞いてくるが、彼の口から放たれたのはノウにとってそれよりも大事なことだった。

 

「……あ、の、……シェスさん、は?」

 

ぽつりと放たれたそれは、シェスの消息を尋ねるものだった。
意地の悪い笑みを浮かべて艶気を練り込んだ声で揶揄してくる彼は、あれでいてノウの体調が優れなければ普段から考えれば意外なほどに丁重に扱ってくれるし、人の姿なら身の回りの世話をしてくれた。
眠って安静にしているときも、じっと蝙蝠姿様子を見ている気配がして嬉しかったものだ。
しかし昨日ノウの意識を刈り取っていったのは確かにシェスで、どこか不安定で怖くて優しい彼はそのあとどうしたのだろうかと思った。

 

「………あー…。それは儂が聞きたかったんだがな…」

 

ノウの問いかけに亭主がガリガリと頭をかく。
後退してきている生え際にダメージが行かないのだろうかと思ったノウだが、そっとしておくことにした。

 

「宿泊代金はあいつがこのまえまたまとめて払っていったんで、そこはいいんだが。いつもお前さんといるのに、床に転がってるお前さんを放ったらかして、朝も帰ってきてないみたいだったからな…。お前さんたちなにかあったのかと」
「……、……」

 

ふるふると控えめに首を振る。

 

「そうだろうなあ…。お前さんがつくった料理、あいつは全部食べたんだろう? ここに何度か転がり込んできてはふらっと出ていくのを繰り返してたあいつが、お前さんのようなちっちゃいのを連れてきたのには驚いたが、それどころかちゃんと飯を全部食ったのは初めてで驚いたもんだ。お前さんも昨日嬉しそうにしていたから、なんで床に転がったお前さんを放置してあいつが見当たらないのか儂も不思議でな…」

 

そう。シェスは、ノウが作った料理を全部食べて「美味い」といった。
普段浮かべるこびりついた笑みではなくて、どこか控えめながらも自然と漏れたような静かで純粋な笑みを浮かべて。
ノウはそれが本当に嬉しかった。だから。

 

(また、おれの料理、たべてほしい、っておもってたのに)

 

意識が遠のく直前に見たシェスの揺れる瞳が脳裏から離れない。

 

 


――お前を自由にしてやるよ。

 

 


このまま、二度と会えなくなるのではという焦燥がノウを襲った。

 

(―――い、いやだ…)

 

突き動かされるように身体をゆっくり起こす。
眠りすぎたのか意識を失ったときにどこかぶつけたのか頭がぐらつくが、起き上がれないことはない。

 

「お、おいおい、大丈夫なのか?」
「だいじょうぶ、です。あの、ご飯食べたら、おれ―――」

 

すっと亭主を見上げるノウ。
ぐっと力を込めて開けられた透明な緑の瞳は。

 

「――おれ、シェスさんをさがしにいきます」

 

強い決意に満ちていた。

 

 

 

 

 

「白銀の髪の神父様? うんうん、知ってるよ。たまに君と街で買い物してるね。この前も見かけて綺麗な人だなあと思って思わず振り返ってしまったよ。ん?今日は別々にでかけているのかい。うーん、彼の行き先かあ。僕は知らないなあ」
「えっと、でかけてる、のかな。そんな、感じです…。そうですか…」
「ああ、いつも日傘をさしてる人でしょ? もうそんなに日差しつよくないのにねえ…? でもなんだか綺麗な人がおしゃれな日傘さして歩いていると絵になるわよね。そういえば今日は見てないわ」
「わかりました。えっと、ありがとうございます」
「あのネーチャンみたいなニーチャンか。いやあ、一杯つきあってくれよっていったら、嗤いながら日傘で刺されかけて死ぬかと思ったわ!虫の居所が悪かったかね~。坊主のニーチャンだったんなら、悪かったな~っていっといてくれよ!あと、機嫌がいいときに一杯つきあってくれるとうれしいんだがな~~~!!美人なニーチャンやネーチャンに微笑まれてぇ~~~!!」
「うわあ…」
「…うーん、知らないですねえ。ところでお坊ちゃん、きれいな壺買いません? この壺を買うと幸せに…」
「い、いらないです!すみません、急いでるので!!」

 

革の胸当てを身に纏って、ショートソードを腰のベルトにつけたノウは、街中でシェスの行方を尋ねて回っていた。
人の往来が激しい街でもシェスの容姿は人の印象に残るようで、彼自身の情報は何度も聞けたのだが残念ながら誰も彼の行方を知らなかった。
そのうえ、壺までかわされそうになったので慌てて断り逃げるように移動したノウである。

 

「また壺買っちゃったらシェスさんに怒られちゃう…。この前の壺は親父さんが野菜漬け込むのに使うからって引き取ってくれたからよかったけど…」

 

通りを暫く歩くと開けた中央に出る。
噴水といくつかのベンチが並んでいるここはシェスと装備品を買い揃え、屋台でサンドイッチやクッキーを買ったあとに寄った場所だった。
今日も親子が噴水の近くで談笑したり、老夫婦がのんびりと散歩をしているのが目に映る。
あたたかくて、のどかな風景だ。

 

――シェスさん、これ、おいひい、よ。
――のみこんでからしゃべれよ、ひよこちゃん。

 

ベンチに座ってサンドイッチを頬張った記憶が蘇る。
装備品を買うだけでなく、屋台を覗きたいといえばそれを叶えてくれたシェス。
サンドイッチを食べ終わるのを待っていてくれたシェス。

 

「――、――シェスさん………」

 

シェスを探そうと出かける前、何か手がかりはないかと部屋を見渡したノウが見つけたのはシェスの荷物袋だった。
申し訳無さを感じながらしゅるりと紐を解いて中を覗き込んで、驚いた。
部屋に置かれたままの荷物袋には、ノウの手のサイズに合わせた手袋が作りかけで入っていたからだ。

 

「シェスさん、手袋も、つくってくれたんだ…。マフラーもつくってくれて、手袋もおれにくれようとしてたんだ…」

 

首元に巻いた山吹色のマフラーにそっと手を這わせる。
ひんやりと冷たい風が吹き抜ける今の季節は手先の温度を奪っていくには十分で。
作りかけの手袋をみつけたとき、ノウは時折ハーッと息を吹きかけて手を温めていた自分をシェスが気にかけてくれていたのを改めて知った。

 

(シェスさんの荷物袋、日傘も入れっぱなしだった。大丈夫かな、日差しで火傷してないかな)

 

陽の光に照らされた瞬間に灰になることはないとシェスはいっていたが、それでも昼間に陽にあたっていると日傘越しでも気分が悪そうにしていたのを思い出す。

 

(こうもりさんの姿なら物陰に隠れやすいから大丈夫かな。あっ、でも、こうもりさんの姿だと見つけるのが大変かも…)

 

歩き回って熱を持った両足を休ませようとノウは噴水近くのベンチに座った。
心細さにぶらぶらと足を揺らす。
前は隣にいてくれたあの白銀の髪を揺らす麗人の姿はない。

 

(ねえ、シェスさん、どこにいっちゃったの…。このままどこかに行っちゃうの? いやだよ…そんなの…)

 

久方ぶりに感じる心細さに、じんわりと視界が滲む。

 

「…、……ぐす…っ」
「泣き虫」と呆れて嗤い突き倒して、最終的には自分のくすんだ金色の髪をくしゃりとなでてくれるシェスがいないのが、さみしくて、悲しくて仕方がない。
「――ええっ、物騒だなあ。よくもまあ無事にここまで来れたもんだよ」
「……?」

 

落ち込む気持ちのまま俯いたノウの耳に見知らぬ男性の声が届いた。
ふと顔を上げると、ノウから少し離れたところに荷馬車がとまっていて男二人が話をしていた。
二人の出で立ちからすると商人だろうか。荷馬車にはいろいろなものが積まれている。
聞き耳を立てるつもりなどないノウだったが、男二人の声は大きくノウの耳にも二人の会話が次々と入ってくる。

 

「いや、まったくさ。こちらはなにもなかったけれど、念の為護衛に冒険者を雇って通ってよかったよ。あんな惨状つくりだす獣か妖魔がいるような森を、護衛もつけずに通るなんて恐ろしくて無理な話さ」
「惨状…ねえ…たしかになあ。あちこち千切られた人間の死体の山なぞ、みたいもんじゃないね」
「バラバラだったよ。うっ…思い出したら、胃がじわっとしてきた…」
「そりゃあ、しばらく肉はだめだな。屋台に並ぶじゅわ~っとした肉が~」
「うわーーーっ!やめてくれよ!!」

 

背筋が寒くなるような話にふるっと身体を震わせ、数秒遅れてノウの思考の端に男二人の会話が引っかかった。

 

(バラバラの人、の、山…?)

 

 

 

――身体をちぎってばらばらにして!血をすすって!!食い殺した…ッ!!!

 

 

嗤いながら瞳を歪めて愉しげに苦しげに呻く声が脳裏に蘇る。

 

「妖魔か獣か…。損傷が激しくて詳しいことはわからなかったが、原型が残ってるうちの何人かは首に噛み跡があったな」
「首に噛み跡?ふーん、調べたのか?気持ち悪がってたわりに豪胆だなあ」
「しかたないだろ。多少は調査しておかないと今後の行商に影響が出る」
「まあ、たしかに。あの森ちょっと前まではそこまで物騒じゃなかったのに。聞いたか、あの、ほら、お前が通ってきた森、最近どうも―、―――が、出る――」

 

(……首に、噛み跡)

 

男たちの会話から気になる単語をいくつか拾ったノウは、居ても立っても居られずベンチから立ち上がった。
もしかすると、もしかするのかもしれない。
違うかもしれない、ノウの考えがあっていたとしてもすでにそこに彼はいないかもしれない。
そもそも今聞いた内容で彼を連想するのは、とても失礼なことかもしれない。
それでも微かな手がかりがあるのなら、ノウはそれに縋りたかった。

 

「…あの、あの、すみません」

 

トコトコと近寄ってきた10半ばぐらいの少年に、男たちが不思議そうな顔をして視線を合わせる。

 

「その森って、どこですか?」
「えっ、君、あの森に行くつもりかい?やめたほうがいいよ」
「そうそう、山賊がでるわ、凶暴な獣は出るわ、最近は――」
「だ、だいじょうぶです!あの、依頼を受けるときに、そっちに行かないように気をつけようと思って…」
「あー、もしかして冒険者なのか。最近は年若い子も増えたなあ。なるほどねえ。確かに依頼を受けた場所の近くがその森だと危ないな」
「は、はい。なので、場所教えてもらえませんか?」
「いいよ。地図は持ってるかな?」
「はい!」

 

この周辺の地図は、以前シェスといっしょに道具屋に行ったときに買ってもらっている。
男たちが話をしていた森は、街から少し離れていたが行けない距離ではなかった。

 

「ありがとうございます」
「いやいや、森に君みたいな子供が入ってしんでしまったら夢見が悪いからな」
「そのうち獣狩りか妖魔退治で安全が確保されるだろうからそれまで待つといいよ。冒険者みたいだけど、まだ若いんだから。そういうのは大人に任せればいい」
「……はい。そうします」

 

心配してくれる二人にぺこりと頭を下げてその場を離れる。
ぎゅっと両手を握りしめて前を向いて歩く。
足早に歩いて向かうのは、街の出口だ。

 

(獣避けの水薬、薬草、毒消しは荷物袋に入ってる。それからシェスさんの荷物袋ももった。もしかしたら、日傘必要になるかもしれないし…。うーん、森までの移動は、徒歩になるのかな…。行けない距離じゃないけど、なるべくはやくいきたいなあ。森に直接は無理でも近くまで馬車出てないかな…。一人で馬車に乗るの久しぶりだ…。ちゃんと乗れるかな…)

 

ノウの頭の中はシェスを探すこと、そのために森に行くことでいっぱいだった。
シェスを見つけられたとして、彼はどんな反応をするのだろうか。
怒られるかもしれない、呆れられるかもしれない。
もしかしたら、昨日の夜のように何かに突き動かされるようにシェスがこちらに飛びかかってくるかもしれない。
強く掴まれた肩はまだ鈍く痛みを訴えていた。

ちらりと見えた鋭利な牙と焦点が合っていない見開いた蜂蜜色の瞳。
あのときノウは確かにシェスに恐怖を感じた。
このまま食べられてしまうのだろうかとうっすら思ったのは逃れようのない事実だ。

 

 

 

 

 

それでも。

 

 

 


(おれは…。シェスさんに、もう一度会って、話がしたい)

 

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