庭の花(リジィ、リラ)

現在の異母兄弟(リジィ、リラ)の話ですが、リラ(異母弟)は名前しか出てきません。モブからみた兄弟二人の話。

 

この領地一帯を治める貴族、アンロリッシュ家の屋敷で老人は花の手入れをしていた。
老人は庭師でありこの屋敷の庭の一画を任されているベテランである。
貴族社会では庭の良し悪しでその家の程度が判断されることも少なくない。
アンロリッシュ家でも、雇われた庭師たちが広大な土地に広がる庭園に端正に手を入れて美しい外観を変わらず保っている。


「そろそろ花の植え替え時かのう…、……ん?」


ふと、背後に気配を感じた。
使用人であれば気安く声をかけてくるはずだし、自分を雇い入れた主人であってもなにかしら声をかけてくると思うのだが、気配の主は一向にこちらに声をかけてこない。
怪訝に思った老人が振り向くと、そこには意外な人物が立っていた。


この領地では殆ど見かけない、濡れ羽色の艷やかな髪と色鮮やかな天色の瞳が特徴的な男だ。
青を貴重としたローブに身を包み、耳元には羽飾りがふわりと揺れている。




――領主、リラメイア・ファルファラ・アンロリッシュの腹違いの兄、リジェミシュカ・フローゼ・アンロリッシュ。




ごくたまに屋敷を訪れることはあるが、要件を済ませればさっさと立ち去ってしまう彼を屋敷で見かけることはめったにないし、よもやこの一画に来るとは誰も思わないだろう相手だった。


「…そこの、老人」


おもむろに男が老人に言葉を発した。
高圧的で冷気を孕む低い声が男の喉からするりと漏れる。


「はい」


ここに誰かがいたら、領主とも使用人とも最低限の会話しか交わさないこの男が自ら他人に声をかけてている事態に驚いただろう。
それほど珍しいことだった。
老人は狼狽えることも訝しがることもなく、なんでもないように返事をした。


「そのような骨ばった手と曲がった腰で、この無駄に広大な庭の面倒を見れるものなのか?」


微かに首を傾げた男の黒髪がさらさらと揺れる。
男本人は純粋な疑問として投げかけてきているのだろうが、聞いたものによっては些か失礼な物言いである。


何と言えば良いのだろうか。
小さな子供が、疑問をいだいたらひとまず訪ねないと気がすまないような。
好奇心に突き動かされるまま、ただ疑問を解消したいと自分の探求浴を優先しているような、他人の都合や他人の感情の機微を考えていないような。
そんな印象を老人は感じ取った。


老人は、自分の主人とはまた違った面で不器用そうな方だと頭の隅で思う。


「ええ、ええ、大丈夫ですよ。区画で担当が決まっておるのです」
「そうか」
「お兄様はなぜこちらに?」
「特に意味はない」
「左様ですか」


断定的な話し方だ。あまり会話を好まないのか、それとももしや人見知りでもされているのだろうか。
さすがに失礼にあたるだろうと老人が男にそう尋ねることはなかったが。


「…………その、”お兄様”というのはどうにかならんのか」
「へえ、申し訳ありません。ですが旦那様のお兄様ですので」


主人の話題を出した瞬間、辺りの気温が数度下がったような気がした。
花に影響がないといいのだが、と老人は男に気づかれない程度に軽く肩をすくめる。


「……旦那様、旦那様。そんなにあの領主は君たちにとって素晴らしい存在なのか?」


男の冷え切った瞳は皮肉を交えて問いかけてくる。
老人には目の前の男性、自らが仕えている主人の異母兄である男が、一瞬小さな子供のように見えた。


だからだろうか。
時折人伝いに聞く、得体の知れない恐怖を感じると言われた男の表情や眼差しが、納得がいかなくて拗ねている子供のようにしか見えなかったのは。


「庭いじりしかできない、身分の低い私を旦那様は雇ってくださいました。旦那様なら、それこそもっと位の高い技工の優れた庭師を雇えたでしょうに。それに、時折使用人でしかない私の体調を気遣ってくださいます」
「…ほう?使用人には随分と手厚いものだ。まあ、それもそうだろうな。この界隈は腹に何かを飼っている者も多い。反感を持った人間などつくりたくはないか。……要は保身のための偽善だろう」


興味を失ったかのように瞳をそらした男の毛先がほんの微かに青白く発光している。
少し機嫌が悪いようだ。
主人と口論になっているときによくそうなるのだと、使用人のだれかがいっていた。
たしか魔力が体内から漏れてどうとかこうとか。
変わった体質だと思ったが、花にしか興味がない老人はそれ以上どうとも思わなかった。


「そうかもしれませんなあ。伸ばせる手には限りがある。その手を伸ばされなかった者も確かにいるでしょう。ですが、その偽善や誰かの気まぐれで救われた者も、確かにいるのだと私は思いますよ」
「…気まぐれ」
「はい、気まぐれです」


何かを思ったのか、ほんのり発光していた毛先は艷やかな黒に戻っていく。


(この前見かけた子供のことを考えているんじゃろうか)


男が稀に小さな子供を屋敷に連れてくることがあった。
苔のような緑色のボサボサな髪と、淀んで赤く濁った瞳が特徴的な子供。
身体は傷で覆われて、瞳に生気は感じられず、酷く自我が薄い印象だったが、男のそばを一切離れようとしなかったのを思い出す。
子供の赤く濁った瞳が男のほうをみているときは、幾分生気があった。
この男があの子供にとって、自分たちの主人と似たような存在なのだろうとわかるほどに。


きっとこの男の気まぐれがあの子供にとってはかけがえのないもので、そしてあの子供と接しているときの男がまるで別人のように柔らかい表情を浮かべていたのみれば、男の気まぐれは子供と男自身の何かを確かに変えたのだろう。
男の様子が少し変わったのを見守りながら、老人は自分の主人の顔――リラメイアの顔を思い浮かべていた。






――僕が使用人に求めるのは階級でも家柄でもありません。与えられた職務をまっとうすることです。下手に使用人同士で家柄の格上格下でいざこざを起こされるのはごめんですのでそういう人はいりません。一つの仕事しかできない?結構。それを誠実にこなすのならそれでいいです。






今でも若いが、あの頃の主人は今よりももっと若かった。10半ばを越えた辺りだったろうか。そのまだあどけない顔が残る主人の両肩にどれほどの重荷がかかっていたのかなど、老人には到底想像できなかった。
その重圧は、主人の立ち振舞や顔つきを険しくしてしまったのかもしれない。
聞けば、老人の主人も昔は素直に感情を表現する子供だったらしいので。
主人は自分を雇い入れたときも、他の使用人と話をしているときも、常に眉根を寄せていて不機嫌そうな顔をしていた。
領民には微笑んで対応しているが、屋敷で職務に励んでいるときはだいたいそうだ。
物言いの冷たさと仏頂面で誤解されがちなのも仕方がないことだった。


だが、使用人を理不尽に扱うことはなかった。
老人の娘が病気になったときは医者を手配してくれたし、床に額を擦り付けてただただ感謝を述べれば、「娘さんの病気が気がかりで仕事に身が入らないなどと言われては迷惑です。これで仕事に専念できるでしょう?」と、ムスッとした顔で言うだけだった。


「娘さんとの時間を取りなさい。嫌われない程度には。ただ、怠慢は許しませんよ」と、時折だが休暇をくれることもあった。娘が嫁に行って子供を産んだときは、「おめでとうございます」と一言言葉をくれたのだ。
他の使用人にもそうらしい。
そんな主人はいつみても仕事をしているか、異母兄をどうすれば連れ戻せるか考えてばかりで。
ちゃんと休んでいるのだろうかと心配だったが、どうやらあの手この手で使用人たちが休ませているのを知って安堵したものだ。


有能で、使用人にも誠実に対応してくれる主人。
まあ、どうも異母兄のことになると些か制御ができないようだが、その様子は人間味があって老人は好ましく思っていた。




――黒い髪の人間をどう思いますか?




主人が新しく人を雇うとき、必ず問いかけてくることがある。
相手が嘘を言っているかどうかを判断する魔道具を、念入りに隠蔽して手元に忍ばせて。
よくよく思い返してみれば、主人は黒髪の人間に対して差別意識が強い者を雇わないようにしているようだった。


老人はもともとよそから流れてきた人間だったので大して気にも留めなかったが、ここら一帯で黒い髪というのは稀有で畏怖の対象になるらしい。
随分と昔に黒い髪の魔族だの魔女だのといった存在にひどい目にあわされたとかどうとか。
どこまでが真実なのか老人にはわからぬことだったが、確かにこの土地でみた黒い髪の人間は、目の前の男が初めてだったし、市中で時折聞こえてくる声には、黒という色を忌避している気配がすることもあった。


主人であるリラメイアが問いかけるその言葉が、誰のためかなんて明白だ。


ここら一帯で忌み嫌われているらしい魔女達と同じ稀有な黒髪、他人の精神に悪影響を与える魔術属性。
人の身に有り余る膨大で強力な魔力を抱えたいつ爆発するかわからない爆弾のようなもの。


そして、実際に魔女の血をひいている事実が目の前の男、リジェミシュカにはある。


きっと、今目の前にいる男がいつ戻ってきても、今度はここにいてもいいと思えるように主人はしたいのだろうと、老人を含め雇われて長い使用人たちは薄々気がついている。
なぜ素直にそれを伝えないのか疑問で仕方がないのだが、自分たちには想像できないような込み入った事情が二人にはあるのだろう。
いつか、あの不器用な主人が、目の前の別の意味で不器用そうな男と静かに時間を過ごせれば良いものだと思う。


「今日は旦那様にご報告に?」


主人は屋敷に戻ってこない男に定期的な報告を義務付けていた。
男はそれはもうかなり嫌がったようだが、報告に来なければ今よりも干渉されると知って渋々と応じているらしい。
主人は心配半分、あわよくば冒険者という稼業をやめてもどってきてほしいのが半分らしいが、報告を義務付けた際に言葉選びを誤ったらしく、男の表情はいつだって能面のように無表情か、不機嫌さで覆われてばかりだった。


「…………そうだ。もう用は済んだのでな。早々に帰ろうかと思ったが、今日の馬車は全て出てしまったらしい。宿をとることにした。このあたりの街は視線が不躾で腹立たしい事このうえないが、あの男にとやかく言われるよりはいいだろう」


目の前の男も昔は老人の主人のことを「リラ」とよんでいたらしいが、今は決して名前を口にしようとしない。
大抵「あの男」「眼鏡」など、使用人達からすればとんでもない呼び方だ。


それでも主人は兄であるこの男から多少は反応が返ってくることに安堵しているようだった。
まだ男が屋敷にいた頃、一言も喋らず、ほとんど表情を動かさず。
まるで人形のように周りに一切反応しなくなったときがあったそうだ。
たしかに男の顔は作り物めいていて、人間味が薄い気もする。
先程じっと佇んでいたときの男は、なんといえばいいのだろうか、一瞬だけ不安定な存在のように見えたのだ。


つまるところ、反応が返ってくるだけでも主人には嬉しいことなのだろう。
結果、気が緩んだ主人が余計なことまで口出してしまい口論になり、この男の魔力と主人の魔力が反発して室内の壁や壺にひびがはいるのは日常茶飯事で、修繕費に頭を抱えるのはあとで我に返った老人の主人であったが。


「ご兄弟で過ごされるのはお嫌ですか」
「私に弟などはいない」
「旦那様はそう思っておられませんよ」
「だからどうした。私には関係のないことだ。あれは私を下に見て蔑みたいだけだろう」


これは取り付く島もない。
眼の前の男と交流が多いわけでもないので、老人にはそれ以上言うべき言葉が見つからなかった。
確か主人が正妻の子供、目の前の男が愛人の子供、という括りだったろうか。
主人が男を蔑んでいるなんてとんでもないと思ったが、他の使用人の話を聞くと、どうも兄を目の前にすると気が急いてしまい余計なことや、思ってもないことを口に出してしまうようだ。


老人にはしらぬことだったが、男が不機嫌さを隠さずある程度心情を吐露するのは実に珍しいことだった。
常であれば、異母弟である老人の主人には極力無言を貫き通し、能面のような感情を一切削ぎ落とした顔で接して、使用人には上辺だけの笑みを浮かべて一言二言社交辞令の挨拶を述べるだけ。
老人の何かが琴線に触れたのかもしれない。もしくは男の気まぐれだったのかもしれない。


しばらくだんまりを決め込んでいた男が、耳元で揺れる羽飾りを指で摘みながら視線を逸した。


「………………………………ったのは、」


老人が手入れをしている花の方を見ながら、空気に溶けるような小さな音が風に乗って老人に届く。














―――先に、裏切ったのはあちらだ。














そう呟いた声を、老人は耳が遠くて聞こえなかったふりをした。
そこに込められた感情がなんであるのか、男にも老人にもわからない。


「君は庭師か」


唐突に男が老人へ視線を戻した。
先ほども思ったが、自分の好奇心に忠実な方だなと老人は思う。
気になったことは尋ねないと気がすまないようだ。


「そうです」
「花に詳しいのか」
「それなりには」
「どうしても、というわけではないが、わかれば答えを知りたいものがある」
「おお、自分で役に立てるかわかりませんが、どうぞ、どうぞ」
「…白い。白い、花だった。いや赤,黄,白,ピンク,オレンジいろいろあったな。名前がわからん。花はあまり好かぬので、積極的に知識を得てこなかった。昔、到底花弄りに向いてないような男が、冬に、よく渡してきた。あと、一度だけ、まだ本邸にいたときに、あの男が。……いや、特に口にすることでもないな。そもそも私は花は好かぬと言うのに。ここにいる者は誰もかれも私の都合など全く気にも留めん」


男の天色の瞳は老人が手入れをしている花から目を離さない。
そういえばこの男は花の名前を持っていることを老人はぼんやりと思い出した。
主人は蝶の名前をたしか持っていた。
老人は花も蝶も好きだったのでなんとなく親しみを抱いた。


「…わからんのなら、別にそれでもよいが」


男がまたすこし首を傾げた。
微かな間を置いて、老人は男が花の詳細を知りたがっているのに気が付いた。


「この時期の花でしょうか」
「うむ」


老人は男からしばらく花の特徴を聞いて一つの花を脳裏に浮かべた。


「それでしたら、きっと、”カランコエ”でしょう」
「カランコエ」
「愛らしい花ですよ。花言葉は「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「あなたを守る」ですなあ」
「…ふむ。そうか」
「はい」
「…そうか。まあ、花言葉というものまで私は問うていないが、情報の一つとして覚えておこう」
「はい」


気が済んだのか、男はまた老人が手入れしている花のほうへと視線を向けた。


「…………屋敷の中も、外も、どこを見ても、赤。赤。赤。私には目が痛い。だが、この一画は赤い花も物も少ないのだな」


アンロリッシュ家は赤が家名の色である。
常であれば花も赤いものを中心として植えるのだが、老人が担当しているこの一角は赤い花があまり植えられていなかった。


「ここは……、悪くない」


それっきり、男は何も言わず、しばらく花を見つめつづけ、老人はゆっくりと庭仕事を再開した。
花をじっと見つめている男の表情は何とも形容しがたい。
先ほど垣間見えていた不機嫌さも、時折見かける貼り付けたような愛想笑いも、連れ添っている子供に向けるやわらかい表情もそこにはなく。
かといって、主人に向ける能面のようなすべての感情が抜け落ちたものでもなく。
薄いもやがかかったような、そんな不明瞭な感情に覆われているような表情だった。










――兄さんが嫌いな色なので、あまりこのあたりに赤い花は植えないでくれますか。家柄の色ですので、すべての区画に植えないというのは無理ですけど。














(嗚呼、旦那様。どうしてそれをご本人に言わないのです)


ここにいない主人にいろいろ物申したくなりながら、老人はパチンと断ち切りばさみを動かした。

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