山奥の村にて(ノウ)

ノウの小さい頃の話。

 

「コッ、コッ、コッ、コケー!」
「よしよし、いいこ、いいこ。たまごをたくさんうんでくれてありがとう~」


鶏がせわしなく動き回る小さな小屋で、卵を籠にあつめている幼い少年がいた。
まだまだ心もとない体躯に細い糸目とくすんだ金髪、日に焼けた褐色の肌が特徴的な彼の姿からは、素朴で優しそうな印象を受ける。
少年がいる小屋は、山の奥深くにある山村で飼育されている鶏たちの小屋だ。
村はこの辺り一帯を統治する領主の管轄らしいが、ここには農作物と農民しか存在せず都会の洗練された雰囲気とは程遠い。
外部から来た人間が泊まる用の宿はもちろん、道具や武器を扱う店もないし、食事処だってない。
住民たちは自給自足があたりまえ。
金銭的なやり取りはほとんどなく、時折訪れる商人とのやりとりも何か必要なときは物々交換。
住民全員が顔見知り。
村に名前は存在するが、外の世界に殆ど出ない住民にとってはあってもなくても気にならない程度のもの。

 


そんな小さな村で、少年は―――ノウは生まれた。

 

 


「うーーーん…っ」


明け方の澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。
爽やかな空気は身体を内側からきれいに洗い流してくれるようだ。


「よいしょ、よいしょ…」


産みたての温かい卵と一緒に兄弟姉妹たちが待つ家へと向かう。
小屋は村共同のものなので、自宅から少し離れたところにあった。
申し訳程度に舗装された土の小道を歩くたび、空気に溶け込んだ朝露がノウのくすんだ金髪をかすかに湿らせた。
最近暑い日が続いていたので今日の涼しさはありがたいと、気持ちよさげに顔を綻ばせる。
今日は鶏たちがたくさん卵を産んでくれたので、目玉焼きがたくさん食べれるなあと心も弾んでいる。
採れたての野菜を綺麗で冷たい井戸水で洗って齧りつくのと同じくらい、ノウは目玉焼きが好きだったから心なしか足取りも軽くなった。


「みんなで食べても十分あまりそうでよかった~。ロウにぃもリウにぃもたくさんたべるから」


食べ盛りの兄二人を思い浮かべる。


ここら一体の農民は領主から姓を与えられており、ノウの家はスナウグルという姓をもっていた。
ノウはスナウグル家のごくごく普通の少年だ。
父はどこかのんびりとした穏やかな農夫で、母ははきはきとして快活な肝の座った農婦。
兄弟は兄が二人に姉が一人、妹一人に弟が一人。
六人兄弟の四番目がノウになる。
祖父母も一緒に暮らしており、ノウは祖父母によく懐いていた。
大家族なノウの一家には領主から宛てがわれた簡素な作りの家は手狭だったが、温かいご飯を家族で食べて、鶏や羊の世話をして、村の隅っこで鳥や虫を眺める生活にノウは概ね満足していた。
外の世界を全く知らないからそう感じるのかもしれないが。


「ただいまー…たまごもってかえ」
「んっふふー!今日はしんきろくー!!」
「もーーーっ!!イウ!!食器であそぶのはやめなさいっていってるでしょー!!」
「ミウねえうるさーい」
「なんですってー!!」


ノウが家の扉を開けた瞬間、大音量の騒音が家の中から飛び出してくる。
お皿を何枚も積み上げて遊んでいるのは弟のイウ、それを怒っているのは姉のミウだ。


「ロウおにいちゃん、リウおにいちゃん、メウおなかすいた」
「わかる、俺たちも腹減った~」
「おなかすいたよね~」


マイペースに空腹を訴えているのは妹のメウ。
それに相槌を打つのは兄のロウとリウだ。
両親はすでに畑へとでかけており、朝食は子どもたちで準備するのが決まりだった。
すぐ遊び始めるイウや、だらだらとしているロウとリウに、ミウがおたまを振り回して怒るのは毎朝の恒例行事みたいなものだ。


「あっ、あのね、ただい…」
「だったら兄さんたちも食事の準備手伝ってよね!!」


ノウの控えめな声がミウの声にかき消される。
家の中は大騒ぎでノウが帰ってきたことに誰も気づく様子がない。


「た、ただい…」
「きゃーー!!」「わーー!!」「おなかすいたー!!」


もう一度声を出すが、イウとメウが騒いでいて、ノウの声はまたかき消された。


「わかったわかった、そんな怒るなよ」
「せっかくの美人が台無しだよ」


目くじらを立てているミウを宥めているロウ達もノウに気づく様子はない。
兄弟姉妹のなかでも自己主張をあまりせず、いつもおとなしいノウは少し影が薄かった。


「そ、んなこといってごまかされないか、ら……?あっ…!!」
「ん?………あっ」
「なんだ?………うおっ」


結局、兄二人になだめられてぷいっと顔を背けたミウが、


「……ぐすっ…」


目尻に涙をためて卵を抱えているノウに気づくまで、ノウはほったらかしにされてしまったのだった。


「あああ、ごめんねノウ、きづかなくって…!」
「わ、悪い、悪い。帰ってたんだな!おかえりノウ!!」
「……うえ…」
「あ~…、待って、待って、たまご、たまごもってるんだよノウ、ねっ、ほら、ごめんね??」
「あ、ノウにぃだー」
「ノウおにいちゃん、どうしてないてるの?」
「………っく、……っの」
「やばいやばい、ロウ、たまご、たまご確保!」
「わかった、よし…っ!」


リウが慌ててロウに声を掛けると、テーブルの椅子に押しかけていたロウが瞬時にノウに走っていく。
その直後。


「なんでみんないつもおれをむしするの、うええええええええええええっ!!!!」


まだ幼いノウに感情を抑えるなど無理な話だった。
泣き出したノウの腕の中から、卵がたくさんはいった籠がスローモーションのように落ちていく。


「どあーーーー!!た、たまごーーーー!!!!!」
「死守!!死守して!!ほーら、ノウ、よしよし、ごめんねーーー!!!?なかないでーーー!!!」
「うえええええええええええ、えっ、ぐすっ…っ、たまごもってきた、のにぃ、みんな、むしす、っ」
「うんうん、えらいねえええ!!違うんだよ、ノウを無視したわけじゃないんだよ、ほら、向こうでご飯一緒に用意しよ!?」


板張りの床をロウがスライディングして卵をキャッチし、リウとミウがあたふたとノウを宥めにかかる。


兄と姉にかまってもらえたからか、しばらく泣きじゃくっていたノウの声はやがて落ち着いた。
卵が腕の中からなくなっていることに気づいて、ノウは目をこすりながらロウの方に向き直る。


「…ぐすっ……。ロウにぃ、たまご、おとしてごめんなさい…」
「…あー、いいって、いいって、俺の華麗なスライディングで無事だったし。というか帰ってきたの気づかなくてゴメンな?」
「…うん」
「ノウにぃ、もっとあぴーるしないとだめだって~。ノウにぃ目立たないも…いったい!ミウねえがぼくを叩いた!!」
「このばか!」
「なんで!アドバイスしたのに!!」
「イウは一言多いのよ!!」
「おーぼー!!ノウにぃにするぐらいぼくにもやさしくしてよー!!」
「だったらもうすこしおとなしくしてなさい!!」
「おなかすいた~」
「まあ、まあ。メウもこういっているし、そろそろごはんにしない?」
「…まったく!じゃあ、ノウが卵をもってかえってきてくれたから目玉焼きにしましょ。半熟がいい人~!!」


ミウの言葉に一斉に手が挙がる。スナウグル家では半熟の目玉焼きが大人気なのだった。

 


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「朝ごはんを食べたら、洗濯と皿洗い、あとは庭の柵の補修もしちゃいましょ。父さんと母さんがいる畑にも行かないと」
「オッケー」
「わかったよ」


朝食を終えたミウがロウとリウにこれからの予定を伝える。


「あっ、おれも、おれも、おてつだいする」


家族で一番食べるのが遅いノウはまだ朝食を食べ終わっていなかったが、三人が席を立つと慌てておかずを口の中に放り込んだ。


「ノウ、ちゃんと噛んで食べないとだめよ。おおきくなれないわよ」
「で、でも」
「それに洗濯や皿洗いはともかく、柵の修理はお前には無理だって。釘とトンカチつかうんだぞ?」
「ノウはちょっと不器用だからねえ」
「あ、うう…」


ミウ達はノウを心配してくれているのだろうが、自分の要領の悪さをつきつけられるようでノウは悲しくなった。
みんなてきぱきといろんなことができるのに、どうして自分はなにをするのも鈍くさいのだろうと焦ってしまう。
焦りの気持ちからかせっかくなにか手伝おうとしても慌ててしまい、結果失敗してしまうことも多くて申し訳なくて悲しかった。
でも、自分だってみんなの役に立ちたくて、手伝うことを諦めきれない。


「でも…でも…」
「…じゃあ、夜になったら村の隅っこにある泉へ水を汲みに一緒に行こうか?」


そんなノウの様子を見かねたのか、リウが助け舟を出してくれた。


「……!」


ノウの表情がぱあっと明るくなる。


「リウ兄さん!ノウが暗い夜道で石に躓いて転んじゃったらどうするの!」
「こ、ころばないよう…」
「この前ころんだでしょ!!もう、びっくりしたんだから!!」
「……ミウはノウに過保護だよね」
「心配しすぎだよなあ。ま、そんな心配しなくても、俺がさっとうしろからノウを抱き上げてやるから大丈夫だって!」
「いつもついてこないくせに…。ロウもなにげに過保護だね??」


他の元気で強かな弟や妹と比べてどこかぽやぽやしているノウは、目を離すとなにかに躓いて転んだり、犬に追いかけ回されてぴいぴい泣いていたりするのでロウもミウも気が気ではないのだ。
呆れてジト目になっているリウだって、ノウがお手伝いさせてもらえなくてしょんぼりとしていたのを放っておけず、思わず水くみに誘ったのだから二人のことを笑えない。


「それじゃあ、それまではメウ達といっしょにおじいちゃんとおばあちゃんのところにいてね」
「うんっ、わかった!」

 

 


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「おやおや、それで泣いてしまったのかい?」
「うう、だって、だれもきづいてくれなかったんだもん…」


リウと一緒に水を汲みに行くまで、ノウは今日あった出来事を祖父母に話していた。
ノウは祖父母が好きだった。
兄弟姉妹も父も母ももちろん大好きだったが、祖父母は時間があるときいつも色んな話をしてくれて、普段なかなか積極的に話せないノウの話をゆっくりと聞いてくれるから、それがとても嬉しかったのだ。


メウとイウは遊び疲れたのか祖父母のベッドの上ですやすやと夢の中だ。
あとでロウが二人を抱えて連れて帰ってくれるだろうが、祖父母はまだ眠くないだろうか、とか、ベッド使いたいんじゃないかなとノウは少し心配になった。


「あっ、それでね。今日はリウにぃとお水汲みにいくんだ」
「おや、そうかい。もうお手伝いしているなんてえらいねぇ」
「おれ、えらい?」
「えらいねえ、いいこ、いいこ」
「…え、えへへ」


祖父母に優しく撫でられてノウのこころはポカポカとあたたまる。
頭を撫でられるのは好きだ。
気弱で要領が悪い自分が、まるで特別な存在のような気がしてくるから。


「でも、おれ、あぶなっかしいんだって。あと、すぐ泣いちゃうから、もっとしっかりしたい…」
「ノウは優しくていい子だよ。………ああ、そうだ、ちょっとまっててくれるかい?」


そういってノウの頭をなでていた祖父が立ち上がって、小さな机の引き出しから小さな巾着袋を取り出した。
飴玉や銅貨を数枚入れたらいっぱいになってしまいそうな小さな巾着袋だ。
年季が入ったそれは布地が色あせていたが、丁寧に縫われていてどこか温かみを感じる。


「あなた、それ、まだもっていたのねえ…」


祖母がその巾着袋を懐かしそうに瞳を細める。


「君のも探したけどみつからなかったなあ…」
「そうね、みつからなかったわ。でも仕方がないのよ。きっとどこかに流されてしまったんだわ」
「それ、おじいちゃんとおばあちゃんのおそろいだったの?」
「ええ、そうよ。色違いでね」
「僕らには兄さんみたいなひとが何人かいて、その一人が僕たちに一つずつ丁寧につくってくれたんだよ」
「私にもね。でも、おとしてしまったの」


どこに落としてしまったんだろうとノウは気になったが、祖母はそれ以降やんわりと口を閉ざしてしまった。
祖父母に何があったのかわからないが、きっと、その兄のような人が大好きだったんだろうなあというのはわかる。
巾着袋を見つめている二人の眼差しはとても柔らかいものだったから。


「ノウ、おいで」


祖父に呼ばれて、そばまで寄っていく。
祖母は優しく二人を見守っている。


「あげよう」
「えっ!」


祖父に巾着袋を差し出されて、ノウの細い目が見開いた。
アーモンドのような小さな瞳孔は緑色だ。
いつだったか、「蛇みたいで怖い」と村の誰かに言われて落ち込んで、泣きだしてしまいそうなことがあったのも記憶に新しい。
けれどその後どこからか走ってきたミウが、「蛇みたい」といった相手を怒涛のマシンガントークで泣かせたのを見て、でかけた涙は引っ込んでしまったし、姉の末恐ろしさを感じて震えたのはここだけの話だ。


「色あせてしまってあたらしいものじゃないけれど、ああ、僕の名前も入っているからいやかな…。自分の名前が入っていたほうがいいよね…」
「い、いやじゃない!いやじゃないけど!!……いいの?」


大事なものなのではなかったのだろうか。
きっとこれは世界で一個しか無いものだ。
祖父の兄のような人ということはきっと祖父より年上で、この村にいないということはなかなか会うことができないということだ。
そんな人が祖父のためにつくった巾着袋を自分が持っていていいのかと思わず身じろいでしまう。


「お守りだよ」
「おまもり?」
「つくってくれたひとは、そんな大層なものじゃないっていっていたけど、泣くことより笑うことが多くなればいいなっていって渡してくれたから。僕にとっては大事なおまもりみたいなものさ」
「あなたは泣き虫だからってそっぽを向きながら言ってたわね。素直じゃなかったのよねえ、あのひと」


いつもは静かに笑って、ノウたちの話を聞いて頭をなでてくれることが多い祖父母が、今日はたくさん話しをしていてなんだか不思議な気持ちになる。


「僕はよく泣いていてねえ…」
「おじいちゃんもなきむしだったの?」
「そうだよ」
「そうなんだあ」
「ええ、とてもね」
「も、もう…。君は容赦がないなあ」
「ふふふ」
「だから、家族のように思っていた人たちと別れてここで作物を育てることになったとき、寂しくて、心細くて、すぐ泣きそうになってしまったものさ。でも、それをぎゅっとすると、頑張ろうっておもえたんだよ」


ノウと同じ褐色の肌には幾重のシワが刻まれていて、語る祖父の垂れた緑色の瞳が柔らかく揺らめいている。
いったいいつ頃からこの村で祖父は頑張っていたのだろうか。


「だからね。ノウの笑顔が増えるように、お守りだよ。ああ、でも、無理に貰う必要はないからね。僕がそうしたかっただけだから」
「ううん、あのね、ありがとう、おじいちゃん。おれ、がんばるね…っ」


巾着袋をぎゅっとにぎってノウは笑った。
家の外では、山の向こうに見える空がゆっくりと葡萄色に染まり始めていた。
ノウはロウがイウとメウを迎えに来るのを待った。
もうすぐリウと水を汲みに行く時間だ。

 


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農村には小さな泉がある。
飲用には井戸の水をおもに利用するが、それ以外の水回り仕事にはここの水を使うことが多い。
さらさらとした透明度の高い水は、夜空の星を鏡のように美しく映している。


「あ、お月さまだ」


泉の真ん中に、満月が浮かんでいる。
小魚がパシャリと跳ねると、満月は一瞬水面から消えて、しばらくするとまた何事もなかったように水面で揺れた。
ノウは夜が明けて山の向こうから光とともに登ってくるお日様も好きだったが、濃紺の空に浮かんでコロコロと形が変わるお月さまも好きだった。
夜空に浮かぶ月の柔らかな光と、人や動物がすやすやと眠っている静かな時間は、子供のノウにとってはなんだか特別な時間に思えたからだ。


もっと小さい頃、泉に浮かぶ月は空のものとは違って手が届くのではと思っていた。
残念ながらそんなことはなかったし、自分より活動的な弟のイウに馬鹿にされたが。
その際、思わず涙ぐんだせいで、イウがミウにパコンっと叩かれていたのは申し訳なかったなあと思っている。


夜空の月がなくなってしまったらきっとみんな困るだろうが、泉に浮かんでいる月だったらもしかしたら大丈夫かもしれないのにどうして持って帰れないのだろう。


「お月さま、もってかえれたらいいのに。持って帰ってお部屋にかざったらきれいだろうなあ」


もし月が持って帰れたら、なんて夢物語を脳裏に描く。


「ノウ、帰るよ~」
「あっ!まって、いま、いまいくから!!」

 

 

 

 


そう、リウに声をかけられて、我に返ったノウは慌てて水を木桶に汲んだのだった。

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