神父になった男となれなかった男の話(シェス)

冒頭は別の人物の話。「赤い花びらが散った日」よりも後の話。「鬼が生まれるまで」、「在りし日の昼下がり」関連の話。

 

「あーーっ!!それ私のーーーっ!!」
「残してるからいらないのかとおもった!」
「のこしてたのーー!!!」
「ほらほら、喧嘩してはだめですよ」


ピエタールの孤児院は今日も賑やかだ。
孤児たちは今日も質素な食事を食べながら大騒ぎしている。


「シスター!!ごはん、ごちそうさまでした!!」
「ええ、ちゃんと歯を磨くのですよ」
「みがくもん!あっ、神父さま!ごちそうさまでした!!」
「…ああ。神にも感謝の気持ちを伝えるようにな」
「はーい。かみさま今日も一日がぶじにおわりました。ごはんはおいしかったです~」


ご飯を食べ終わった子どもたちが椅子から降りて、青い髪をした壮年の男性へ集まっていく。
神父服を着た男性はがっしりとした体格で、身長も高い。
大人から見ても長身の彼は、子どもたちの視点からすると巨人のようだ。
鋭い目つきと堀の深い顔は寡黙で物静かな雰囲気も相まって初対面の子供に怯えられることも少なくないが、子供が泣いているときは慰め、遊んでほしいときは肩車をしてくれる彼に子どもたちはすぐに慣れて懐いていった。


「ねえねえ、神父さま」
「ん…?」
「神父さまの神父服、ぱつぱつだね。はじけとばないの?」
「………!? いや、とばないが………???」
「そうなんだ~」
「こら、神父さまをからかってはいけませんよ!」
「はぁーい!」


シスターたちに窘められて、きゃらきゃらとわらいながら子どもたちが散っていく。
夕食が済んだ後、子どもたちは自分の皿を洗い、各々時間を潰した後は早めに就寝するのが決まりだ。
子どもたちが眠った後、孤児院の大人たちも各業務を片付けたり、祈りを捧げてから床へつく。


子どもたちを見送った神父は自分の服を見下ろした。
一般的なつくりの神父服だ。
黒を基調としたカソックに黄色いラインが入っている。
変わったところといえば、通常ゆったりとした裾がピンと張っていることぐらいだろうか。


「……そんなに、私の服はきつくみえるのか?」
「え、ええと…少々…」
「……………………………そうか」
「あ、ああ、申し訳ありませんっ」
「いや、きにしないでくれ…。この服もサイズが大きめのはずなんだ、が」


腕を組もうとして服がピリッと不穏な音を立てた。
物静かに控えていたシスターが思わず身じろいだのを視界の端で捉えてしまう。


(………服のサイズを図り直したほうがいいかもしれないな)


しかし自分の体躯に合う服があるだろうかと少し心配になる。
もともと、彼は神父になる予定などなかった。
この孤児院出身である彼はどちらかというと用心棒のようなものを目指していたのだ。
心無いチンピラや傭兵くずれの人間から孤児院と教会の人間を守ろうと、少年だった頃から鍛錬を重ねていった。
結果、逞しく成長した身体は180センチを有に超え、もともと鋭い顔立ちをしていて寡黙だった彼は昔から相手に威圧感を与えがちだったが、今なら視線で相手を気絶まで追い込めるかもしれない。
試したことがないのでわからないが。


神父になるなんて、二十五年前は思っていなかった。
もともとこの孤児院を支えていた教会の神父が行方知れずになったのが発端だった。
代理で来ていた神父もずっとここにいるわけにはいかず、孤児院の危機を感じた自分は必死で勉強し、神父になるために必要なことを学んできた。
推薦を頼み込んで学校へ入学、試験へ挑み合格、その後は助祭として励み、今の彼はピエタールの教会の神父として毎日を過ごしている。
おかげで、自分が育った孤児院は今は行き場のない子どもたちの家だ。
子どもたちの笑い声が聞こえてくるたびに、彼の胸は暖かくなる。


「……服のことは明日考えるとして。今日という日が穏やかに終わりを迎えることに感謝を」


祈りの聖句を唱えると、シスターたちがそれに続く。
廊下では子どもたちの元気な声が響いている。


「…では。一旦私は自室に戻るので、何かあればそちらまで」
「はい、わかりました。おやすみなさいませ、神父さま」
「ああ、おやすみ」


シスターたちと別れ、すれ違う子どもたちの頭を優しくなでながら自室に足を踏み入れる。
神父として教会と孤児院に従事することになった際に宛てがわれた部屋だ。
木造の壁に窓が一つ。板張りの床には薄い絨毯。
周りにはカソックをしまうためのタンスと日誌を書くときに使う小さな机と椅子があり、傍らには聖書が置かれている。
何故か鉄アレイが置いてあるが、それ以外は至って殺風景な部屋だった。


「……………………」


ふと、机の上に置かれた群青色の巾着袋が視界に映る。
年季が入ってところどころ擦り切れているそれをそっと指でつまみながら、孤児たちの面倒を見ている神父――ルギオは静かに目を伏せた。


(………神父様。シスター・ベルナッタ。シェス)


この孤児院の中心的人物だったとも言える神父のカスペルと、シスターのベルナッタ。
そして孤児院で一緒に育ってきたシェスがある日突然消息を絶った。
あれはたしか、ヴィルトワールという大都市で会合があり、カスペルとベルナッタが召集され、シェスが二人についていった日だ。


予定日を過ぎても一向に帰ってこない三人に嫌な予感がして捜索を依頼したのは誰だっただろう。
けれど、遅かったのだ。何もかも。


(誰も、見つからなかった。神父さまもシスター・ベルナッタも、シェスも)


ヴィルトワールを出て馬車でピエタールへ出発した彼らの足取りだが、道中の森付近までは追えていた。
だが、それ以降はまるで神隠しにあったかのようにぱったりと消息が途絶えてしまった。
ヴィルトワールとピエタールの間にある森はそんなに広くない。
ほぼ一本道だから迷うはずもないし、万が一崖から転落したとしても何かしらの痕跡はあるはずだった。
けれど、何も。何もなかった。


誰かが生きているかもしれない痕跡も、誰かが命を落としたかもしれない証拠も。何も。


(お前が神父になるっていったから、俺は用心棒でもやろうと思っていたのに。おかげで慣れない話し方をするはめになって大変だ)


私、なんて言うようになった自分に「うわーー似合わねぇーーー」と笑う男はここにはいない。


何事もなく帰ってくると思っていた。
たしかシェスの誕生日が近かったから、軽く祝ってやるつもりだった。
市場できれいな布を見つけたのだ。
値段も手頃だったし、裁縫を好む悪友に渡したら、「どんな風の吹き回しだ」といいながらも喜んだに違いないと確信があった。


喜ぶ顔が見たいと思っていた。
基本軽口をたたきあう悪友のような関係だったが、確かに自分とシェスは家族だったから。
結局、渡そうと思っていた布は、シェスに渡ることはなかったが。


(……二十五年。もう、二十五年だ)


せめて墓の一つぐらいたててやるべきかもしれないが、ルギオはどうしてもできなかった。
遺体がみつからなかったから、生きているかもしれない。
そんな淡い希望をどうしても捨てることができなくて。
きっと自分が神の元へいくそのときまで、墓を立てることはないだろう。


椅子へ腰掛けて日誌を開く。
子どもたち、シスターや他にもここで働く者たちの健康状態と、今日一日の出来事をさらさらと羽ペンで記載していく。
金銭管理、書類の記述、そういった内々の仕事をよく手伝っていたのはシェスだった。
ルギオはどちらかというと力仕事や荒事に注力していたので、文字を書くのも読むのもかなり苦手だったし、改めて神父になるために勉強を始めたときは苦労したものだが、今はだいぶ読めるようになったと思う。


―――まだまだだなァ、ルギオ。俺のほうがうまく書けるぜ。ハハハ!


鼓膜をくすぐるように懐かしい声が聞こえた気がしてはっと顔を上げるが、もちろん室内は静まり返ったままだ。
いないのだ。ここには。


あの、見目はきれいなのに口が悪くて怒りっぽくて、けれども子供好きで面倒見が良かった彼は。


普段は自信に満ち溢れていて、しっかりとしているように振る舞っていたあの悪友は。


実のところ仲が良かった六人の中で一番寂しがりで臆病な面があったシェスは。

 

 

 

 

 


二十五年前のあの日から、帰ってこない。

 

 

 

 

 

 


ため息を付いて窓の外へと視線を向ける。
細長い雲が茜色の空を泳いで、葡萄色に移り変わっていくところだった。

 


もうすぐ、夜が来る。

 


---------------------------------

 


ピエタールから遠く離れた森深くに佇む白い影があった。


「…で、どうだ実際に会ってみた感想は。俺はそりゃあもう美人でかわいくて艶やかだろ?」


月明かりを背ににこりと笑うのは、黄色のラインが入った黒いカソックを身にまとった一人の男だった。
真っ白な髪と蜂蜜色の瞳は夜闇の中でもよく目立つ。


「なあ、ヴァンパイアハンターさんよ」


そう呼びかけた相手から返事は帰ってこない。


「…ああ、なんだ、死んじまったのか。熱烈に追いかけてきたから、こっちも熱烈に相手してやったのに。つれねえなァ?」


首をかくっと傾けて微笑みながら視線を落とす。
地面に転がる武器や道具は対吸血鬼用のものだろう。
透明なガラス瓶の中でゆらめく水は、昔は綺麗に感じていたが今はただ忌々しい。


ジャムよりも赤ワインよりもどす黒くて赤い水たまりが広がっている。
中心には真っ赤に染まった人間だったもの。
小さな子供のようにぴょんと水たまりの上で飛んでみた。
ぱしゃりと跳ねた赤い液体に、顔が映る。
蠱惑的な美貌にこびりついた笑みは、月明かりに照らせれてとても美しく、それから。


「…ははっ」


ひきつったように歪んでいた。
感情のすべてが抜け落ちたかのような、感情のすべてが張り付いたような。
そんな笑みだった。

 

 


―――ばけ、もの。

 

 


眼の前で沈むそれが最後に放った言葉をぼんやりと反芻する。


「化物、ねぇ。たしかに、ひとじゃあ腕とか足とか取れかけてもくっつかないよな。なんと!俺の場合は腕が取れてもがんばればくっつく!!すごい!!!拍手喝采!!!!」


どうだ、とばかりに仰々しく手を開いてアピールするが、もちろん返答はない。


「さっき飛ばされた左腕もこのとおり。っつーかさ、俺って結構見た目綺麗じゃん?腕きりおとすとかさ、美術品に対する冒涜みたいなところあるよな??な???だめだぜそんなことしたら」


年下の子供に注意をするかのような声色で男が語りかけている相手はもう動かない。


ひととおりはしゃぐように目の前の遺体にかたりかけていた男は、ぱたりと電池が切れたように押し黙った。


「また、ころした」


ぽつり、とこぼれた声はさきほどまでとは打って変わって、平坦で冷たい。


「また、ころした。けど、正当防衛だよな?だって、なにかするまえにあっちが襲ってきたじゃん。腕切り落としたあっちがわるいな?おれはもりをさんぽしてただけ。最近はおとなしくしてた。してたな?たぶん。してた、してた」


地面をじっと見ながら、とつとつと呟く様子はさっきとはまた違った異様さだ。
蜂蜜色の瞳がぐるぐるとせわしなく動いている。


「ばけもの。ばけものな。だよなー、だって俺が、くびとか、うでとかとったからな。だれの、ふたりのだ。そうそう」


二人。他にもいろいろした気がするが、指摘するものは誰もいない。
赤い水たまりを子供のようにスキップして、錆びた鉄の匂いを身体にまとわりつかせて。
きっとこのままのらりくらりと過ごしていずれは自分は討伐されるのだろう。
おぞましい化物、と言われながら、惨たらしく、徹底的に、灰すら残さずに。
三流ハンターに遅れを取るつもりはないが、かといってなりふり構わず生き足掻いてどうするというのか。
けれど、自ら聖水を飲み干したり、聖弾で自分の頭部を撃ち抜くことは怖くてできない。
ああ、なんて、なんて、情けないのか。


(シスター。神父様)


赤黒い十字架を月明かりに当てた。
十字架はどす黒い赤色に変色して元の色がわからない。
裏に掘られている文字がみえる。
シェスという自分の名前すら捨ててしまおうかと思ったが、それを捨ててしまったら、いよいよ自分には何も残らなくなるのが恐ろしくてできなかった。


(どうして俺を助けてくれなかったんだ)


白絹のような髪がゆらゆらと揺れる。
もうあのやわらかい金色の髪には戻らない。


なんとなくもってきてしまったカスペルの聖銃も何故か血のように赤くなっていた。
あの場所には怖くてもうもどれない。
ああ、そういえばカスペルたちの身体はどうしただろうか。
ちゃんと寝かせてあげただろうか。
よく思い出せない。


(どうして、俺を、"殺して"、くれなかった、んだ)


「…さぁて。次はどのあたりにいくかな。どこいっても熱烈に口説かれてたまんないぜ。モテる男はつらいよなァ、ヒヒヒッ」


白絹のような髪が月明かりに照らされてキラキラと光る。
真っ黒な神父服に身を包んだ、真っ白な髪をした鬼は、蠱惑的な美貌に笑みをはりつけたまま、一人夜闇に溶けていった。

 

 

 


(俺を一人に)

 

 

 

 


(独りにしないでくれ)

 

 

 

 

 


悲鳴のような嗚咽がどこから聞こえたが、物言わぬ躯となった男と、艶やかに笑う白い鬼以外、そこには誰もいなかった。

PAGE TOP