在りし日の昼下がり(シェス)

 

まだ人間だった頃のシェスの幼少時代の話。

 


教会が支給している服を身に纏う少年が軽やかに市場を駆けていた。
黒が基調のゆったりとした服は古びているが丁寧に補修されているのがわかる。
少年の年は10歳前後だろうか。つんと通った鼻筋、くりっと釣り上がった蜂蜜色の瞳、腰辺りまでのびた金色のやわらかい髪。
少女と見紛うぐらいにその少年の容姿はとても整っていて、通行人が思わず振り返るほどだった。


「おや、おつかいかい。シェス」
「おー!今日のおれはおつかいをちゃんとしてるんだぞ!えらいだろ!!」


市場の中年女性に声をかけられて、その場でくるりと回って胸を張る。
得意げに笑うその少年は、教会が経営する孤児院で暮らしており、名前をシェスといった。
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「ピエタール」という街があった。
人がまばらに祈りを捧げに訪れる教会、食料や日用品を仕入れに来る商人が寝泊まりに使う宿、素朴な家庭料理を扱う食事処、住民と距離が近い市場がある、そんな小さな街だ。
住民には裕福な者から毎日の生活で精一杯の者まで満遍なく存在している。
ときおり喧嘩や小競り合いもあるが、昼間に突如殺し合いがはじまるほど物騒ではない。
せいぜい酔っ払いが路地裏で寝ていて財布を持ちさられることがたまにあるぐらいだろうか。


「ふんふんーふーん♪」


市場で買った日用品や食材が入った紙袋を両手で抱えて、シェスは鼻歌を歌いながら我が家である孤児院へ向かっていた。
物心がつく前から孤児院で育ったシェスは両親の顔を知らないが、現在は悲しみも怒りも特に抱いてはいない。
孤児院を経営する教会の大人たちは、孤児院で暮らしている子どもたちに質素ながらも美味しいご飯をくれたし、つぎはぎだらけだが丁寧に補修した服を与えてくれた。
時間を見つけては文字の読み書きを教えてくれたり、本を読み聞かせしてくれたりもする。


決まった時間にお祈りをしないといけないのは遊びたいざかりのシェスにとっては面倒だったが、礼拝堂のきらきらとしたステンドグラスと静かな空間は嫌いではなかったし、置かれているピアノを触るのは楽しかった。


市場ですれ違う裕福な子供がたべている甘いお菓子なんてめったに食べられないが、シェスはシスター達が焼いてくれる素朴なクッキーが結構好きでいつだって楽しみにしている。
極稀にもらえるチョコレートという茶色い甘い板のお菓子や、プリンという少し苦味のある茶色いソースがかかった黄色くてやわらかいお菓子も楽しみの一つだ。


孤児だからといって理不尽に扱われたこともあまりない。
まあ、時折富裕層の人間とすれ違うときに向けられる視線は気分のいいものではなかったが。


つまるところ、贅沢はできないが今の環境に満足していたのだ。


「ただいまー!!おれがかえったぞー!!」


町外れの教会と孤児院が立ち並ぶ敷地内に入るやいなや、大きな声で帰還を告げる。
庭先で掃除をしていた大人たちがシェスの大きな声に苦笑を浮かべているがいつものことだ。


「しぇすにいちゃんだ!」
「おかえり!!」
「シェスにぃ、おかえりなさい」
「シェス、おかえり~」
「おかえり」


程なくして何人かの子どもたちがシェスの周りに集まってくる。
年齢は8歳~13歳ぐらいだろうか。
全員、シェスと同じような簡素な服を纏った孤児たちだ。


「へへ、ただいま!じゃじゃーん、なんと今日はおかしをおまけしてもらったんだぜ!!」


シェスが得意気にお使いの紙袋からお菓子が入った包みを取り出すと歓声が上がった。
持ち前の愛嬌で市場の店主たちにちょっとだけおまけしてもらったお菓子だが、子供全員に行き渡るかといえば心もとない数だ。
それでもお菓子が食べられる!とみんなの表情は明るい。
特にシェスと同じくらいに甘いものが好きな青い髪の子供が嬉しそうに顔をほころばせている。


「おかし、うれしいな」
「なー!せっかくだし、あとで勝負して勝ったほうが多めにたべるってどうだ?」
「…のぞむところ」
「またか?シェスとルギオはいつも勝負してるな…」
「なかよしだ~」


青髪の少年―――ルギオとシェスは年齢が同じくらいだったのもあって、なにかと張り合っているのは孤児院内でも有名だ。
仲が悪いわけではなく一種のコミュニケーションだとみんなわかっているので、二人に向けられる視線はあたたかい。
寡黙なルギオが騒がしいシェスにひきずられるように表情をくるくる変えるのも微笑ましいと思われる一因かもしれない。
お菓子は大人たちに頼まれたものを渡した後に食堂でたべることにした。


「シェスにぃ…」
「おー?なんだよレアン」


このあたりでは珍しい褐色肌の少年がシェスの服の裾を引っ張ってきた。
シェスよりも背が低い少年の名前を口にすると、照れたようにはにかんでシェスを見上げてくる。
ふわふわとした茶色い髪と目尻のたれた緑色の瞳はシェスより年下の彼を一層幼く見せた。


「あのね、おとといはありがとう」
「あー、あれなー。きにすんなっ。でもさ、うちって結構いろんなのがくるからちょっとずつ慣れろよ? でも、変なやつだったらおれにいうんだぞ!」
「うん」


レアンは人見知りで泣き虫だ。知らない人に話しかけられると混乱して泣き出してしまう。
先日孤児院の視察に訪れた富裕層の人間に話しかけられて、レアンは案の定泣き出してしまったのだ。
シェスがそこにさり気なく割って入り、レアンをなだめながら愛想よく応対したときの事を言っているのだろう。
内気なレアンがきらきらとした瞳で自分を見てくるのは少しくすぐったいが悪い気分ではない。


「ふふん。子分は親分の言うことをきくもんだし、親分は子分をまもるもんだからなっ」
「またガキ大将みたいなことを言ってる。シェスは見た目と中身が一致しないよなあ」
「…おれがおとなしくしてると変な顔するじゃん」
「風邪ひいたのかと思う」
「アトス!!」
「あはは」


アトスと呼ばれた少年はシェスより年上ですこし背が大きい。
シェスに向ける眼差しは兄が弟をみつめるのに似ていた。
短く切りそろえられた鶯色の髪と瞳は優しく柔和な印象を与えてくる。


「風邪っていうとさあ、今日はげんきなのか?」
「ああ、へいき。ありがとう」


アトスは生まれつき身体が弱く、体調が悪いときはベッドから起き上がれなくなる。
乾いた咳をしながら苦しそうにベッドの上で丸まっている姿を見るたび、そわそわと落ち着かない気持ちにさせられる。
どちらかといえば恵まれているこの孤児院でも、次の日見知った子供が起きてこなくなることは少なくないのだ。
今日は体調がいいらしい。いつもより血色がよいアトスの顔にシェスは内心ほっとした。


「ねえねえ!しぇすにいちゃん!!」「ねぇ、シェス」


そう同時に声をかけてきたのはシェスより少し年下の二人だ。
赤毛を三つ編みにしている少女がベロニカ、亜麻色の髪をポニーテールにしている少女がアンナ。
ふたりは仲がよくいつもいっしょにいる。


「あのね、あたらしいお歌うたえるようになったの」
「ベロニカは歌うまいもんなー。まあおれもそこそこうまいけど」
「だからねぇ、あとできいて!しぇすにいちゃんはピアノひいて!!」
「しかたねーなー。いいぜ!」
「シェス、なにかきれいなものひろったりしなかった?このまえくれた色硝子みたいなのがあったらまたほしいわ」
「お前光り物好きだよなあアンナ…。今日はみつかんなかったからまた今度!」


複数の子供が同じ場所にいると賑やかだ。
シェスたちの声を聞きつけて他の子供達も集まってきていつのまにか大所帯になっていた。


「あら、賑やかですね~」


くすんだ金髪を後ろで一つの三つ編みにまとめた女性が、ゆったりと微笑みながら子どもたちを出迎えた。
質素なシスター服に身を包み、分厚い眼鏡をかけている女性の耳は細長く尖っており、女性が人間ではないことを物語っている。


「ただいま!シスター・ベルナッタ!!」


シェスが元気よく声をあげれば、「はい、おかえりなさい。シェス」と優しく笑いかけてくれる。
ベルナッタと呼ばれた女性は"エルフ"という種族らしく、シェスたち孤児より時間の流れが緩やかだ。
ずっとこの教会と孤児院で働いているらしく、孤児院から一人立ちした者が世話になったとベルナッタに会いに訪れることも多い。


ベルナッタはとても優しい女性だが、子どもたちに危害を加える相手には話し合い(物理)に応じるアグレッシブな一面があった。
また、少々世間ずれしているところもあるのだが、今は言及しなくてもいいだろう。


「シスター・ベルナッタ!シェスがお菓子をもらってきてくれたのよ」
「今からみんなでたべるんだ」
「まあ!よかったですね。みんなちゃんと手を洗って食べるんですよ~」
「は~い!!」
「そういえばシェス。神父様がさがしていましたよ」
「げっ!!き、きんにくおばけの神父様とか、おれ、しらねぇもん」
「もう、シェス。またそんな事を言って!」
「だってきんにくおばけじゃ…っ!?」


口を尖らせてそっぽを向いたシェスの身体がふわっと浮き上がる。
ぎょっと顔をひきつらせて周りを見れば苦笑を浮かべる子どもたちが視界の端に映った。
誰かに後ろから持ち上げられたようだ。そしてこの大きな手は見覚えがある。
ばっと後方を見やればそれはもう爽やかな笑顔が間近に会った。


「呼びましたかな!!!!」
「ぎゃーー!!きんにくおばけ!!!」
「シェスったら!神父様ですよ!!」
「はっはっはっ!私の鍛え抜かれた肉体を称賛してくれているのでしょう!?喜ばしいことです!!」
「神父さまだ~。こんにちは!」
「はい、こんにちは。カワイイ子どもたち!今日も健やかでなによりです!!」


暴れるシェスをがっしりと抱えながら白い歯を見せて笑う屈強な男性がそこにいた。
この孤児院で神父と呼ばれる男性は彼しかいなかったが、二メートルはある長身、浅黒い筋骨隆々とした身体は世間一般がイメージする神父像とは程遠い。
その外見に違わない力強さでうっかり木を樹木ごとへし折ってしまい、孤児院に来て間もない子供が泣き出してしまったこともある。
しかし、シスターたちに隠れてこっそりおやつをくれたり、空き時間には子どもたちとたくさん遊んでくれる彼を嫌うものはいなかった。
シェスも口では小生意気なことを言っているが、こうしてかまってもらえるのは嬉しいと思っている。


「おつかいお疲れ様でした。シェスが購入してくれたものは後で預かりましょう。では食堂に行きましょうか!お菓子を子どもたちみなでたべるならお茶を用意しなければなりません!」
「!? いやおろせよ!!」
「しぇすにぃちゃんいいな~!だっこだ!!」
「ばっ…!!べつにんなことたのんでない!!」
「シェス照れてるの?」
「ちーーがーーうーー!!!神父様のばか!!おろせーー!!」
「はっはっはっ」
「あらあら」


じたばたと暴れるシェスの抵抗虚しく、一同はそのまま食堂へと向かう。
本人が本気で嫌がっていないのをみんな知っているのだ。
そのうちシェスも市場でおまけしてもらったお菓子をみんなでたべる楽しみに意識が向いて、自分が抱きかかえられている気恥ずかしさも気にならなくなる。
みんなで食べるお菓子はとても美味しい。
同じお菓子でも一人でこっそり食べたときはなぜか味気なくて不思議で仕方がなかったが、あるときシスターに言われた言葉が幼いシェスの脳裏に印象深く刻まれていた。


「大好きな人達と食事をすると、幸せの味がするんですよ」


「しあわせに味があるなんてほんとうかよ」と首を傾げたが、実際みんなと食べるご飯やお菓子は美味しかったからきっとシスターが言っていることに間違いはないんだろうとシェスは思った。


血のつながらない兄弟姉妹たちと世話をしてくれる大人たち。
自分だけに愛情を注いでくれる親はいなかったし、もっと幼い頃は愛情が独り占めできないことに癇癪を起こしてまわりの子どもたちと喧嘩したことだってあったが、子どもたちは互いを家族だと認識していて、大人たちは理不尽な暴力を子どもたちに奮ったりしなかった。
いつまでもみんなと一緒だといいなあと本気で思っているぐらい、シェスにとってここはとても大切な場所なのだ。


穏やかな笑い声が孤児院から聞こえてくる。
花壇に咲いた菜の花から柔らかい香りが漂ってくる穏やかな一日のことだった。

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