夜明けの星20※完結

 

そうして二人は森をでて、定宿「狭間の追憶亭」へと戻った。
荷物袋二人分をかかえてよたよたとノウが宿の扉を開ける。
頭の上には白い蝙蝠の姿になったシェスがおとなしくとまっていた。
羽根も胸元も問題なさそうだ。傷はほとんどふさがったらしい。
 
「シェスさん、ちゃんと頭の上にいる?」
「きぃ~」
「……よかった!ちゃんといる!!」
「ぎぇぇ」
「だ、だって、また飛んでいちゃったらやだなって…あっ、わーわー!髪グシャグシャにしないでー!!」
「ギギギ!!!」
「なんだ、騒がしいな。……おお、なんだ、シェス、帰ってきたのか。まったくまだノウは子供なんだぞ。無責任に放り投げ……なんだ、その怪我は!?」
 
宿の亭主が二人を出迎えて、ノウの片腕に血が滲んだ包帯が巻かれているのに気づいて慌ててシェスを見やるが、ノウの頭の上にいるシェスはぷいッと顔をそむけて耳をぺたりと倒している。
亭主に経緯を説明する気は毛頭ないようだ。
 
「あ、あの、森で妖魔にあって、でも、シェスさんがたすけてくれたんだけど、ええと…ええと……」
 
まさか自分で腕を切ったなどといえず、しどろもどろにノウは言葉を濁す。
 
「お前さん、まさかあの森にいったのか!? おいおい、あそこは今―――」
「あっ、うん、大きい鬼みたいなのがでました…!シェスさんが、たしか、オーガっていってた」
「……たおしたのか?」
「えっと、うん、シェスさんが……」
「キイキイ」
「一応、スクロールつかって、おれもすこしがんばったよ」
「きゅ」
「……はあ、そうか。まあどちらも野垂れ死にせんでよかったな。妖魔を倒した証かなにかはもってかえってきたのか? あれば報酬がはらわれるかもしれんぞ」
「……あっ…」
 
亭主に言われて、あっと声を上げる。
シェスと話をすることで頭がいっぱいだったノウはそこまで気が回っていなかった。
たしかにあんな妖魔が森にいたのならなにかしら依頼が出されていても不思議ではない。
実際依頼として手配されていたのだが、ノウの現在の実力からすれば難しいだろうとシェスが教えなかった。
そのためノウはオーガの討伐依頼が手配されていたことなんて知らなかった。
シェスはシェスで、面倒なのか今更説明する気がないのか、ノウの頭の上でキイキイ鳴くばかりだ。
依頼で手配されている妖魔を倒したとなれば、報酬が手に入ったかもしれない。
しかし、オーガを倒した証なんて手元にもっているはずもなく。
 
「……ないのか」
「うう……」
 
しょんぼりと肩を落とすしかなかったのだった。
 
「………キィ~!」
「えっ、わっ、シェスさん、どうしたの、わあーー、また髪ぐしゃぐしゃにする~~!!」
「キィキィ!」
「荷物袋がどうしたの…?あっ…」
 
ノウの髪をグシャグシャにしたシェスがバサリと羽ばたいて荷物袋の方に張り付く。
中身をみてみれば、そこにはシェスがオーガと戦ったときに使ったナイフと血がついた弾丸が入っていた。
いつのまにか回収していたらしい。
 
「おお、これとオーガの傷口が一致すれば、討伐の証拠になるかもな」
「ほんと? わあ、シェスさんすごいなあ」
「きゅ」
 
きらきらとノウに見つめられて、得意げに耳をパタパタさせているシェスである。
 
「それは儂が届け出しといてやろう。明日には森に調査隊が派遣されるはずだ」
「わかりました。ありがとうございます!」
「ま、ともかく疲れただろう。部屋に戻って休め」
「はーい」
「キィ~」
 
亭主にぺこりと頭を下げて、ノウはシェスと部屋に戻ることにした。
部屋の中に荷物を置くと同時にふわりと白い霧が立ち上り、白い蝙蝠が白銀の髪と蜂蜜色の瞳をもった端正な顔立ちの青年の姿に変わっていく。
 
「はーっ、あーあー、結局帰ってきちまった。カッコつかねぇ~~」
「……えへへ」
 
部屋を見渡しながらガリガリと頭をかいて悪態をつくシェスを眺めながらノウはそっと口元をほころばせた。
 
「アア? 何、笑ってんだ。かっこつかねぇ俺がそんなおもしれぇのか?ん??」
「えっ!?ち、ちがうよ!!ちがうもん!!」
「じゃあ、なんだよ」
「シェスさんがいてうれしいなって…」
「……、…………」
「…? シェスさん、どうしたの…? あっもしかして、具合わる……」
「ばーか」
「……なんで!?なんで、おれ、いま、ばかっていわれたの!?」
「はんっ、自分で考えなァ……!!」
「え、ええ~……」
 
何故突然自分は罵倒されたのかとノウは目を白黒させてシェスに尋ねたが、シェスはついと顔をそらして肩をすくめるばかりだ。
ふん、とどこか機嫌が悪そうな顔をしているが、背中から少し羽根がはみ出している。
しかも羽根先が微かにぱたぱたとしている。
蝙蝠の姿のときシェスは機嫌がいいと、飛んでいないときでも羽根をぱたぱたとうごかしていた。
だからおそらく、今のシェスは機嫌が悪そうな顔をしているが、そうでもないのだろう。
まあ、これ以上余計なことを言えば本当にシェスの機嫌が悪くなりそうなので、ノウはおとなしく口を噤むことにした。
 
「……なんだよ」
「な、なんでもない」
「ふーん? まあ、いい。今日は大目に見てやる」
 
先程まで取り乱していたのが嘘みたいな高慢さである。
 
「う、うん……」
「とりあえず、一旦寝ろ。夜通しぎゃーぎゃーやってたからなァ。俺も寝る」
「……ま、まだねむくないよ」
「嘘つくんじゃねーよ。目がしばしばしてんぞ」
「でも、ねむくない、よ…」
 
ごしごしと目をこすっているせいでノウの言葉には説得力がまるでない。
その瞳は睡魔とは別に不安げに揺れている。
理由がわからず首を傾げていたが、ふと思い当たってシェスはムッと眉根を寄せた。
 
「………、もう飛び出さねぇよ」
「……!」
 
はっと上げた顔を見れば、シェスの予想はあたっていたらしい。
ようはノウは自分が眠っている間に、またシェスが宿を飛び出してどこかに行ってしまわないか心配になったのだろう。
 
「ははーん。そうだ、なんなら子守唄でも歌ってやろうかァ?」
「い、いらない!そこまで子供じゃないもん!!」
「おいおい、俺がベッドの傍らで艶っぽく歌ってやるなんてなかなか願ってもしてもらえない超レア案件なんだぜ?」
「い、いいの!シェスさんいてくれたらそれでいいから!!」
「……はーん、そうかよ。じゃあしかたねぇからいてやるから寝ろ」
「……うん。おやすみ、シェスさん」
「……おやす…おい、人の服の裾掴んだまま寝る気か」
「だ、だって……」
「あーあー、だからァ、もう飛び出さねぇっつってんだろ!ねろ!!」
「わーーー!!」
 
しつこく駄々をこねるノウをひょいと担ぎ上げてそのままベッドに放り投げて布団をかぶせる。
そして自分もふわりと霧に身を包んで白い蝙蝠姿に変わるとベッドの端にバサバサと飛び乗った。
そこまでしてようやく納得したのか、ノウはおとなしく枕に頭を沈める。
 
「あの、あのね、シェスさん」
「……ギー」
「ね、ねる!ねるから…!!これだけ、これだけ…!!」
「ぎゅ~~」
「あのね、他の冒険者の人の話をきいたんだけどね。パーティ組む人たちってみんなパーティに名前つけてるんだって。あの、おれもシェスさんとこれから依頼受けるならえっと、おれとシェスさんもパーティになる、よね……?」
「キィ」
「だから、だからね、あしたいっしょにパーティ名考えてくれる?」
「……キイキイ」
「えっと、いいのかな? じゃあ、また、あした、ね……」
 
くすぐったそうに笑っていたノウがゆっくりと夢の中に旅立っていく。
まもなくすやすやと聞こえてくる寝息に耳を澄ませながら、シェスもまた静かに目を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「――で、だ。次の日、パーティ名どうするって話になって、"セクシーキュートな俺と料理好きなヒヨコちゃん"になったんだっけか?」
「たしかにそんなこと君はいったけど!あのときそれはちゃんと却下したじゃないか!!」
「俺はあれもありだと思ったんだけどなァ」
「もう、シェス!!」
「ケケケ!!!」
 
ある日の昼下がり。外はひんやりとした風がふき、ちらちらと白い雪がふる中。
冒険者がよく利用する宿「狭間の追憶亭」の食堂で、二人の年若い男性が食事をとっていた。
 
一人は白絹のような白銀の髪を緑色のガラス玉がついた髪留めでひとくくりにしている端正な顔立ちの青年――シェス――だ。
黒いカソックを身にまとい、首からは赤黒い十字架を下げている。
色白の肌とつり上がった蜂蜜色の瞳は蠱惑的で、時折別の席に座っている他人から視線を引き寄せていた。
 
もう一人はくすんだ金髪と褐色の肌をした、全身から人の良さそうな雰囲気が滲み出ている素朴な青年――ノウ――だ。
赤い外套と銀色の胸あてを身に着けた剣士風の格好をしていて、腰には一振りの長剣がぶら下がっていた。
 
ノウとシェスが正式にパーティとして組むようになってから何回か季節が巡り、いつしか、ノウはシェスの身長を追い越して少しだけ大人びた口調で話すようになった。
それから魔術師の青年――リジィ――とその青年に付き従う少年――サナギ――がともに行動するようになり、それから桃色の毛をまとった獣人の少女――ウィズ――がやってきて、ふときづくとカウンターでお酒を嗜むエルフの女性――メロディア――が加わって。
今では「巡る渡り風」という名を背負って、六人で様々な依頼を受けるようになった。
テーブルの上でシェスがのんびりと毛糸をたぐりよせて編んでいるのは、パーティメンバーのまだ年若いサナギとウィズのための帽子やマフラーだろう。
ついでにノウの分もある。
シェスからノウに手渡された新しいマフラーは既にノウの首に巻かれている。
室内なので付ける必要はないのだが、できあがったマフラーを嬉々とした表情で持ってこられれば巻かない選択肢なんてなかったのだった。
ひよこの模様もわざわざ糸の色を変えて編み込んである特別仕様である。
ノウが何度言ってもひよこモチーフを入れるのをシェスはやめてくれないのでもう諦めた。
 
薄々ノウは気づいていたが、シェスは子供や年下になにかを作ったり世話を焼くのが好きなようだ。
自分が作った布小物や防寒具を仲間が身につけているのをみて、シェスがぼんやりと機嫌良さそうにしているのを何度も見たことがある。
 
「そういや、そのバンダナ」
「え、うん」
「もう、だいぶ傷んだだろ。もうそれは捨ててあたらしいの買えよ」
 
すいっと白い手袋に包まれたたおやかな指が指すのはノウの額に巻かれた黒いバンダナだ。
 
「えっ、ええと、これがいいんだ…」
 
ノウはぱっと片手で額を抑えて少しだけ身を引いた。
 
「……はーーっ、なーんで、俺がつけてたバンダナがそんなにいいかねぇ!」
「い、いいじゃないか!!君がいらないっていうから、じゃあもらってもいい? って聞いたらいいって言ったのは君だぞ!!」
「へーへー、だって、お前が物欲しそうな顔でみてくんだからよォ。やらないっていえねーだろ~」
「うう……」
 
そう、シェスが昔つけていた黒いバンダナは今はノウのものになっていた。
だいぶ色がくすんで、解れもでていてシェスとしては新しいのにするか、もう捨てるかしてほしいのだが、ノウが頑なに拒否するのでしかたなく現状維持状態である。
 
「はー、まったくひよこちゃんはいくつになっても困ったやつだぜ。すぐいらねえ壺買わされるし~」
「つ、壺についてはごめんっていってるのに……!!」
 
ニヤニヤと嗤いながらノウを糾弾する声は嘲りに満ちている。
けれど嘲りが含まれたその声に、たくさんの親愛が散りばめられているのをノウは知っているし、シェスもノウの反応を見れば自分のどこか矛盾した感情は困ったことにしっかり相手に伝わっているのだろうとわかっているのでこのやり取りは互いに勝手知ったるものだ。
 
外を見れば積もった雪を固めて小さな雪だるまを作っているサナギとウィズの姿が見える。
寒いのが苦手なリジィはサナギの近くに自分の魔力で作った鳥の使い魔をつけて、自身は宿内の暖炉近くの席で本を読んでいる。
メロディアの姿は見えないが、おそらく部屋で寝ているか酒を嗜んでいるのだろう。
 
「………、………」
 
ノウが焼いたクッキーを一枚つまんでさくりと噛みしめる。
本当は、今だって、シェスは明日が来ることが怖い。
気づけばノウだけだったはずなのに、周りで動くあたたかいものは随分と増えていた。
ニヤニヤ張り付いた笑みと、飄々と愉快に騒ぐ声の奥底でどろどろと溶けて崩れてうごめく不安を口にすることはほとんどないが、あたたかいものが明日突然動かなくなったらと思うと怖くて恐ろしくて仕方がない。
 
けれど、ふと思い出したかのよう恐怖が胸のうちに湧き上がり、いつかくる明日に背を向けて逃げ出そうとするシェスを、数年前よりも強く腕を掴んで引き戻す褐色の手が、泣きそうな心細そうないまだ頼りなさを時折にじませる細い瞳が強い意志を込めてぐっと見開き若草色を見せて、連れ歩き始めたあの頃にくらべてやや低くなった声が困ったように笑ってけれど強く望んでくるから。
 
シェスはいつかくる明日に内心怯えながら、それを表に出さずに逃げ出すことを少しだけ先送りすることにしたのだ。
 
「ごめんですめば、壺はお前の部屋に増えねぇし、財布も軽くならねぇんだよなァ。やっぱ、お前はいまだぴよぴよのひよこちゃんってわけだ」
「うう、うう……!!」
 
機嫌が悪いとそのまま説教コースなのだがシェスはくすくすと笑っている。
今日のシェスの精神は比較的穏やかなのだろうとノウは思う。
月の満ち欠けのように、シェスの感情や行動はくるくると矛盾を孕んで変わっていく。
それは穏やかなものばかりではなく、時には覚悟を決めて相対しないといけない危うさを孕んでいるのをノウは知っている。
それでもきっと自分は何度でも声をかけて、空の向こうに飛び去ろうとするシェスの腕を掴んで引き止めるのだろう。
 
「シェスはまだ俺のことをひよこ扱いする……」
「だってお前、焼き魚もうまくほぐせねぇじゃん」
「ううっ……あ、あれは難しいじゃないか! と、ともかく、その、ええと…、それはそれでがんばるし、俺もまだまだ頼りないけどがんばるから…ええと…」
 
言いよどむノウに片眉を上げてシェスが見つめる。
 
「―――これからも、よろしく」
 
照れくさそうに頬をかきながら言うノウに、シェスの蜂蜜色の瞳がまんまるくなったのは一瞬で。
 
「……ばーか!」
 
お決まりの罵倒がシェスの薄い唇からポンッと飛び出したのだった。
相変わらずノウはシェスが遠い過去に壊れて消えた何かを見つけ出してかき集めて不器用につなぎ合わせて差し出してくるのだからシェスからすれば困ったものだ。
吐き捨てたいような泣きたいようなほっとするような力が抜けるような言いようのない感情に蜂蜜色の瞳を歪めて肩をすくめる。
 
「なんで!?」
「……お前さァ、俺がなんてこたえるかわかりきったことを改めていってんじゃねーよ。ばーか、ばーか」
「また言った!!!」
「ケケケッ!!――あーあ、めんどくせぇ奴」
「ええっ!?そ、そんなに俺、面倒かなあ……」
「……面倒だよ。すげぇ、面倒なやつだよ、お前はなァ」
「うう……!」
「……ま、そんな面倒なところ含めて面白おかしく見ててやるよ。っつーわけで、これからも俺にうまい飯をつくって貢いでくれよなひよこちゃん!」
 
そう楽しそうに笑うシェスの顔に浮かんでいるのは、返り血を浴びて赤い水たまりで踊っているときに浮かべるこびりついたような歪な笑みではなくて。
怒ったような困ったような戸惑ったような柔らかい表情だったのは、きっと気の所為ではないのだとノウは思った。

 

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