雪解け羽 後編
「………」
ガサガサと茂みをかき分けて、茂みに似た色の頭がにゅっと顔を出す。
柔らかい土をふむ足は小さい。
ひらりと葉っぱが舞い、足跡の主の頭の上にくっついた。
視界に映った小動物が、突然現れた異邦者に慌てたように逃げていく。
サナギは森にいた。
街中でさえ一人にすると宿から市場の道を覚えれず、見当違いの方向へと歩いていくサナギが目的地についているのは珍しいことだった。
道を覚えていたわけではないが、妖魔や動物の匂いが強い方に進んでいたら自ずと森についたようだ。
きょろきょろとあたりを見回す。
目的は魔喰い鳥の羽根だ。
リジィやサナギがいる街からすこし離れたこの森は、規模はそれなりに広いが特別な地名もついていないありふれた森だ。
しかし何らかの規則性があるのか、定期的にゴブリンやコボルトなどが活性化し人や家畜に被害が及ぶことがある。
そのため、依頼という形で冒険者や傭兵に討伐が依頼されることも少なくないし、商人や一般の人間がここを単身で通ることはあまりない。
リジィが口にしていた魔喰い鳥は渡り鳥に近い習性を持っており、定期的に住処を移す。
目撃証言がたびたびあるこの森も、魔喰い鳥の拠点のひとつなのだろう。
「………」
魔喰い鳥の特徴を脳裏に思い浮かべる。
サナギはリジィが本を読み漁っている間、常に近くに控えていた。
リジィがサナギの生態を調べるために、種族や動物、妖魔の図鑑を広げていたこともある。
サナギは難しい単語や文章をまだ理解できなかったが、挿絵に興味を惹かれてリジィが見終わった後の本を見せてもらっていた。
強そうな妖魔、おいしそうなお菓子。
気になった挿絵をしばらくじっとみていると、気づいたリジィが一つ一つ丁寧に教えてくれた。
そこには魔喰い鳥の情報も載っていた。
だからサナギは魔喰い鳥の特徴を覚えている。
魔喰い鳥は鋭いくちばしと鉤爪を持った体長二メートルぐらいの鳥の姿をした獰猛な妖魔だ。
名前だけ聞けばスキアストーカーのように魔力を喰らうと思われがちだが事実は異なる。
魔喰い鳥の身体を覆う灰色の羽毛は、受けた魔術を吸収し体内で循環させ攻撃力へと変える特性を持っていた。
うまく加工すれば様々な用途に使える実用的な素材と言われている。
簡単に狩ることができる妖魔ではないが。
魔術がききづらい上に、上空から弾丸のように滑空し獲物に鉤爪を突き立てる速度は早く、強い。
屈強な戦士ですらも致命傷を負いかねない威力を持っていて、魔術師にとっては非常にやりづらい魔物だ。
だから常であれば自ら妖魔を討伐するリジィも、今回は依頼にだすしかないと考えていた。
「羽根、もってかえる」
自分に言い聞かせるように呟かれたたどたどしい言葉が森の中に音になってこぼれ落ちた。
その表情は相変わらず虚ろだったが、生気のない赤い瞳の奥には普段は感じ取れない熱が灯っている。
渦巻くのはリジィの役に立ちたいという想いと、これから相対する魔喰い鳥への興味だ。
サナギは戦うことを好む傾向があった。
生死を決める緊迫した舞台、拮抗する、もしくは自分よりも強大な相手に意識を集中させ、駆け抜け、どちらかが動かなくなるまで血生臭い即興の舞台で踊る。
そこには普段のぼんやりとした虚ろさは鳴りを潜め、激しい闘争心の塊と化した化物が顔をだし、熱を、高揚を確かに感じ取るのだ。
闘技場での扱われ方、またはつなぎ合わされたたくさんの本能のいずれかが原因か、それは定かではない。
戦うことを好むサナギだが、リジィが望まない限り積極的に物や生き物を壊したりはしない。
ただし、身の危険を感じたら好きなだけ応戦して良いとも言われていた。
仕掛けてきた向こうが悪い、らしい。
魔喰い鳥を探して、サナギは森の中を歩き続ける。
スキアストーカーはどちらかといえば魔力が主食のため、魔力純度の高い生物を優先するが、魔喰い鳥の主食は肉で、魔力は栄養にならないらしい。肉は特に柔らかいものを好む。
――たとえば、人間や家畜の子供などの。
風を切る音を常任離れしたサナギの聴覚が拾い上げ、見上げた遥か上空から自分めがけて近づいてくる気配を感じ取り、視認する。
まるで穢れを知らなさそうな純白の羽毛、まるで血のように赤い鋭利な鉤爪とクチバシ。
二メートルどころか三メートルはゆうに超える巨体がサナギへと迫っていた。
――魔喰い鳥に限った話ではないが、妖魔には突出して協力で凶悪な個体が稀に存在する。
他の同族と比べて、巨大であったり、異なる能力を持っていたり、外見が異なったり、特徴は様々だ。
魔喰い鳥は通常の個体だと灰色の羽毛と黄色の鉤爪とクチバシをもっていた。
自らへ襲いかからんとしている巨大な鳥を、サナギは虚ろな表情のままがじっとみつめる。
サナギがリジィに見せてもらった本には通常個体以外の情報と挿絵もしっかりと掲載されていた。
あれは確かに魔喰い鳥。そして。
「きしょうしゅ」
かくして、舞台は整った。
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(あの一瞬のうちに見失った上に森まで追いつけぬとは…。サナギの身体能力は把握していたがあまりにも規格外すぎるだろう…!)
ぜえぜえと息を吐きながら、近くの木にもたれかかる。
リジィもまたサナギを追って森の中へと足を踏み入れていた。
その手にはサナギが扉の前においていったスケッチブックが握られている。
――はね、さがす。とる、する。かえる、すぐ。
羽根を探して取りに行ってくる。すぐに帰る。と書きたかったのであろう、たどたどしい文章。
その文字に残されたサナギの気配を頼りに、普通に移動していては時間がいくらあっても足りないと、転移と追跡の魔術でここまで追ってきた。
追跡はともかく、転移系の魔術は難易度が高く魔力の消耗が激しい。
座標を一度誤れば、二度と出ることのかなわない異界や、死を待つしか無い壁の中なんていうのもざらだ。
本調子ではないリジィもそれを理解していたので、最新の注意をはらいながら、かつ補助として以前手に入れた魔道具を使用し精度を高めて実行した。
おかげで、問題なく目的地へとたどり着いたが、疲労は色濃く、魔道具はリジィの魔力に耐えきれず砕け散ってしまった。
必要以上に魔力を消耗してしまい、息が切れる。
魔道具は高価なものだったが、リジィにとっては些細なことだ。
「…、サナギ」
意識を集中し、気配をたどる。この森は広い。
地面を、木々を伝うように、魔力を張り巡らせていく。
冷たく静かな青い瞳は鮮やかな天色に。
青みがかった黒髪はもともと不安定な魔力のせいで頭の半分ほど青白いまま。
調子が悪いせいか、この森にいるのはわかるのに、サナギの座標の特定ができない。
その事実がリジィを苛立たせる。
――なぜ、こんなに必死に探しているのだろうか。すぐ帰ると言ったのだから、待っていればいい話ではないか。
そんな思いがリジィの胸中で渦巻く。
これでサナギになにかあったとしても、それは勝手に行動を起こしたサナギの自業自得だ。
自分は怪鳥退治を頼んでいないし、素材を回収しろとも言っていない。
多少の怪我などすぐ治る、痛みも恐怖も感じない子供。それがサナギだ。
だというのに、なぜ。
腕に抱えたスケッチブックの存在をふと思い出す。
脳裏によぎるのは、自分の姿をじっとみながら無心で絵を描き重ねていくサナギの姿。
「…、………」
静かに懸命についてくる姿。
隣の席でゆっくりと食事を取りながらこちらを伺うように見つめてくる姿。
控えめに服の裾を握りしめ見上げてくる姿。
スケッチブックを買い与えたとき、それを抱きしめながら丸まって寝ていた姿。
おはヨう、おはよウ、と覚えたての挨拶を、何度も口にしてついてくる姿。
感情も表情も乏しいサナギは、それでも全身でリジィに対してイロイロな姿を示してきた。
この勝手な行動も、理由はちゃんとわかっている。
自発的な行動をほとんどしなかったサナギが、自らの意思でリジィのために怪鳥の羽根を探している。
目覚ましい進歩に喜ぶべきだと思うのに、今リジィの胸のうちに渦巻くのは焦燥と苛立ちばかりで。
「…――そこか!」
張り巡らせて魔力が、サナギの気配を掴んだ。
思っていたよりも近い。そのまま駆け出す。
「探したぞ、サナ、ギ――、―っ?」
サナギの気配を感じ取った場所にたどり着いたリジィの視界に入ってきたのは、赤黒い血溜まり。
傍らには白い羽と赤いくちばしをもつ巨大な怪鳥。
通常個体の魔喰い鳥よりも獰猛で、残忍で、強靭な希少種。
希少種はあらぬ方向に首を曲げられて絶命している。
クチバシと鉤爪には赤黒い血と、布の切れ端が張り付いていた。
あの布の色は、赤黒く汚れているが、サナギに着せていた服の色と同じではないだろうか。
サナギの姿が見えない。
あの怪鳥の。
あの怪鳥の喉が。
大きく膨らんでいるのは"何"だ?
「―――、――」
はっ、はっ…と浅い呼吸がリジィの薄い唇から断続的にこぼれていく。
確かめなければと思うのに、足が動かない。
「…、………さなぎ。どこにいる?」
服の裾を自らの手で握りしめる。
天色に変容した瞳がより一層彩度を増し、青みがかった黒髪は氷つくようにすべて青白く染まっていく。
ぴしっと乾いた音とともにリジィの足元が凍りつき、青い火花がぱちぱちと爆ぜた。
髪も瞳も際限なく蒼く蒼くそまっていく。
青いローブが風もないのに大きくはためいて、全身が青白く光を放って明滅する。
その姿は、もはや人というよりは、魔力エネルギーの塊のように異質で異様。
辺り一帯の魔力濃度が急激に高まっていく。
頭の隅で、冷静になれと警報が鳴り響くが、魔力のうねりを止めることが出来ない。
――このままでは、"爆発"する。
他人事のようにぼんやりと想いながら、渦巻く暴力的な魔力を手放そうとしたその時。
「りじぃ」
「………!!」
たどたどしい声がリジィの耳に届いた。
声がした方へ視線を向ければ、探していた子供――サナギの姿がそこにあった。
安堵する間もなく、サナギの状態に天色の瞳を見開く。
買い与えた新しい服は赤黒く染まり。
顔には深く痛々しい線が走り。
鉤爪とクチバシで抉られたらしい手足は血塗れでない部分を探すほうが難しい。
サナギは常人離れした再生能力を持っているので、ちょっとした怪我ぐらいならば処置を施す前にふさがってしまうだろう。
だが、目の前のサナギの状態は、明らかに満身創痍だった。
死んでいたかもしれない。いや、手当をしなければ、死ぬかもしれない。
そこまで考えて背筋に冷たいものが走ったとき、すとんとリジィの中に何かが落ちた。
(…、…私は)
(…私は、サナギを失いたくなかったのか)
そんな考えがまだ自分の中に残っているなんて思ってもいなかった。
もうずっと昔に、その手の感情はなにもかも凍りついて、二度と芽生えることなど無いと勝手に思っていたからだ。
サナギは立ち上がることなど到底無理で、激痛に身悶えても仕方がない状態のはずだが、リジィの方へとゆっくり近づいてくる。
一瞬安堵に息を吐いたが、すぐさま不機嫌そうな憮然とした表情へ変わる。
「…単独で行動することを、私は許可していない」
拗ねた子供の八つ当たりのような物言いになってしまい、内心自分に対して舌打ちをしたくなった。
もっと他に言うべきことがあるだろうと思うのに、こんなとき何と言っていいかわからない。
サナギの身体を確認し、損傷が激しい部分に手を当てて少しずつ治癒を施していく。
相変わらずリジィの瞳は天色のままで、髪の青白さは戻っていなかったが、全身の青白い発光はもう鳴りを潜めていた。
サナギは高圧的なリジィの物言いに気分を害した様子も怯えることなく首を傾げていた。
リジィの手が傷に触れると、心地が良いのか静かに目を閉じる。
治療をしてもらいながら、ふと思い出したかのようにリジィへとまだあどけない手を突き出した。
その手には白い羽根が四枚握られていた。魔喰い鳥の、それも希少種の羽根だ。
「…うごくみず、つけて、きれいに、した。りじぃ、きれい、すき」
「動く水…。川のことか…」
「…羽根、とれた。げんき、なる?」
サナギが紡ぐのは、たどたどしい、抑揚のない無機質な声だ。
なのに、なぜ、こんなに、熱を感じるのだろうか。
胸の奥で凍りついていた柔らかい部分が撫でられていくような感覚に動揺する。
虚ろだというのにまっすぐな赤がこちらを熱戦のように突き刺さしてくる。
そこには、向けられ慣れていた憐憫も嫌悪も恐怖も蔑視も一切なく。
「――なぜ」
恐る恐ると羽根を受け取ったリジィの言葉が詰まる。
洗われた羽根は冷たかったが柔らかい。
幼いころから、魔女の子供め、と憎悪の視線を向けられた。
下手に癇癪を起こさないでくれ、と懇願された。
食事に毒を混ぜられるのはいつものことだった。
屋敷を離れても、悪意は自分を追いかけてきた。
素材に体の一部を使わせてくれと恐ろしいことを言われた。
あるときは時折青白く発光する黒髪が物珍しいと押さえつけられて髪を引きちぎられそうになった。
あるときは血が有益な素材になると頭のおかしい女に追いかけられた。
あるときは天色に輝く瞳が羨ましいと眼球をえぐられそうになった。
周りにいるのはおぞましくて、汚らわしい者ばかり。
自分以外の人間と呼ばれる生き物は、人の皮を被った別のなにかなのだと思うほどに周りは悪意に満ちていて。
なにもかも壊れてなくなってしまえばいいのにと、一時期本気で思っていた。
他人は嫌いだ。
いや、怖い。怖かった。
リジィは、人が怖い。
一人には裏切られた。一人は殺されてしまった。
誰も助けてくれなかった。
きっともう、誰も助けてくれない。
自分の身は自分で守らなければ。
「なぜ、そこまで」
誰も信用できない。
誰にも弱みを見せてはいけない。
それがリジィの学んだことだった。
だから、こんな子供でも自らの弱みをみせるわけにはいかないと、そう思っているのに。
「君が、そこまでする理由が、私には、わからない…」
リジィの口から溢れていく声は、帰り道がわからない子供のように戸惑いに満ちていた。
「やく、たちたかった」
「…?」
「つかえない、はいき」
役に立ちたかった。使えないものは廃棄。と言っているのだと理解しリジィの顔がこわばる。
「何を言われた?」
地を這うような冷たい声に、サナギがゆるゆると首を振った。
誰かに心無いことを言われたわけではないらしい。
「…、で」
「な、んだ?」
「すてな、いで」
「………っ!?」
うつろな表情のまま辿々しく紡がれた言葉が、突き刺さる。
どくどくと心臓が波打ち、息が止まるかと思った。
なぜ自分はサナギの一挙一動にこんなに動揺するのだろうか。
「…なぜそのような結論にいきついたのかわからんが。君が望まぬ限り、捨て置くことはせん…。確かに私は他人の世話をするのに向いてはいないと思うが」
「…、…い」
「な、なんだ」
「りじぃがいい」
「…、――」
今度こそ息が止まった。
リジィの変化に気づいていないのか、サナギはそのまま辿々しく言葉を紡ぐ。
「ごはん、いっしょ、おいしい」
――そういえば、今はもう何も言わなくても行儀よく椅子に座って食べるようになった。
「ふく、べっど、やわらかい」
――布地の柔らかさにうとうととまどろんでいる様子を見かけるようになった。
「はなす、きく、できる」
――いまだ単語が多いがそれでもこうして会話ができるようになった。
「りじぃ、くれた」
「…、……」
「りじぃが、いい」
「…、……っ」
「すてな、いで」
「…、……っ!」
今日はよく喋るな。そういえば挨拶を覚え始めてから積極的に言葉を学ぶようになっていた、と済ました顔で答える余裕などなかった。
先程からなんと言っていいかわからない。
こんなに言葉が出てこなくなるとは思わず、混乱が収まらない。
「けが、した? てあて、する」
「…、…は…」
サナギが何を言っているか理解できなかったリジィはぱちりと瞳を瞬かせた。
まぶたが閉じる振動で、はらはらと頬を伝っていくものがなにか理解した瞬間、一層動揺は広がった。
「なかない、で」
なんだ、そのような言葉、いつ覚えた。
喜怒哀楽がわかるのか。
そんな言葉は喉の奥に飲み込まれていく。
まともに涙を流したことなんてもうずっと昔の話で、それが何故であったかすらも思い出せない。
感情に引きずられて魔法が暴発する可能性があると知ってから、なるべく感情を抑制してきた。
そうして抑制を重ねていくうちに、感覚は麻痺していったのだろう。
周りが愉快に笑っている場面でも、周りが悲しげに佇んでいる場面でも、リジィの中には冷ややかな感情しか湧き上がらなくなっていたし、他人にぶつけられた言葉の刃も忌々しく思えど、揺さぶられるようなことはなかった。
よくない。これはよくない。
なにがよくないのかわからないが、よくない。
思考がまとまらずぐるぐるとまわって空回っていく。
わからない。しらない。
こんな感情は、しらない。
サナギの首の角度が少しずつ下へと傾いていく。
自分が座り込んだからだとリジィが気づいたのはどのタイミングだったか。
「わたしが、いい、のか」
何を聞き返しているのかと理性の端で呆れた声が響くが、口から滑り出たのはまるで子供のような言葉で。
「りじぃ、が、いい」
まるで子供同士の会話だと、情けなくも思うのに、服の裾を控えめに掴んで見つめてくる虚ろな赤に移ったリジィの顔は。
「君の、言葉は…。私には、強すぎる…」
泣き出しそうな子供のようだった。
(ああ、言わねば。何を言えばいいのか、思い出した)
「君が」
「………?」
「君が、生きていて、よかった」
「……、……とつぜん、もり、きて、ごめんな、さい」
「もう、よい…」
「………生きているのなら、良い」
喉の奥から漏れた音は、静かな森の空気へと溶けていって。
渡された羽根を握りしめながら顔を覆ってじっとしているリジィに、サナギは静かにずっと寄り添っていた。
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それから数日後、リジィとサナギは違う街にいた。
前にいた街よりも比較的治安がいいところだ。
街中の役所で書類にサインをしているリジィの傍らに、ぴたりとサナギが寄り添っている。
リジィの耳には、白い羽根が両耳に二枚ずつふわふわと揺れていた。
耳飾りとして特殊な加工を施されたそれは、リジィの体質と相性がよく、今の髪の長さでも頭痛や目眩に悩まされることがない。
暇があれば羽飾りに触れているリジィを、サナギは眩しそうに眺めていた。
「これで、一通りの手続きが完了したな」
どうやら終わったらしい。
満足そうに笑みを浮かべるリジィを見つめていると、すっとサナギの目の前に紙を差し出した。
首をかしげるサナギ。
まだ読めない文字が多いサナギは首を傾げるしかなかったが、【リジェミシュカ・フローゼ・アンロリッシュ】という文字は読めた。その横には、
【サナギ・アズライト・アンロリッシュ】
という文字。
サナギ、それは自分の名前だ。続く文字は何を意味しているのだろう。
リジィのローブを控えめに握り、不思議そうに見上げていると、顔がなんともこそばゆそうに歪んだ。
「これは、そう、そうだな。従者の登録と養子の届け出というものだ。忌まわしいことだが未だ私の戸籍はアンロリッシュ家にある。まあ、そのおかげもあり、わりとスムーズに届け出を出せたのだが…。あのメガネが騒がんといいが…」
「…?」
「ん、いや、そんなに難しく考えることでもない。君は正式に私の従者になったし、それから、親と子のようなものというか、っく、なんといえばいいのだ…。もし不要であれば解消してもかまわんし、その際は私にいえばよ」
「…いっしょ?」
「ん?」
「いっしょ、いて、いい?」
「そのための手続きだ」
「…、ん」
裾を握っていた力が少し強くなるのを感じて。
「…ふふ」
リジィは、くすぐったそうな笑みを浮かべた。
それは、降り積もった雪がゆっくりと溶けていくような、柔らかい穏やかな笑みだった。