栞と飴玉(リジィ)

リジィが不思議な店に入った時の話。

 

「――ここは?」

ぱちぱちと水色の瞳を瞬かせる。 
狭間の追憶亭という宿で巡る渡り風というパーティに所属しているリジィは、気づけば見知らぬ場所に立っていた。 

薄暗い店内だった。 
きょろきょろと見回すと、青みがかった黒髪と共に耳に添えられた羽飾りがふわりと揺れた。 
いつ自分がこのような場所に入ったのか全く思い出せない。 

「客か?」 
「…!」 

突然の声に身構えてそちらをみれば、小さな作業机に誰かが一人座っていた。 

「誰だ…。店主か?」 

戸惑いながらそう問いかけたのは、その人物がすっぽりと黒いローブで身を包んでいたからだ。 

「そうだ。ここは僕の店」 

問いかけられた人物はフードを取らずにそう答える。 
不信感に眉を寄せながら、もう一度まじまじと相手を見つめた。 
フードで顔は見えないがずいぶんと小柄だ。 
子供だろうか。 
まあ、外見が子供のようであれ、人間の自分よりも遥かに年上の存在は少なくないが。 

「ここは、なんの店だ。いや、何か買うつもりで来たわけではないが。そもそも私は」 
「気づいたらここにいた?」 
「…!!」 
「知っている。ここはそういうところだからな」 
「…」 

「そう警戒しなくても、こちらからなにかしたりはしない。ここは店で僕は店主。お前は客だ」 

淡々と言葉を吐く眼の前の店主はどこか面倒そうにしている。 
客と店主の会話にしては素っ気ない気もしたが、そもそもこの場所自体違和感しかないのだから今更言及することでもない気もする。 

「ここから、出たいのだが」 
「そうか。それなら簡単だ。お前は今から僕が言う2つの行動のうちどちらかをすればいい」 
「何だ」 

「1つ目。ここで商品を見て商品を買うこと。2つ目。ここで商品を見たあと買わないと宣言すること」 

どんな条件が提示されるのかと思っていたが、店主があげた条件は拍子抜けするほど単純なことだった。 

「それだけか…?」 
「ああ、それだけだ」 

少し肩の力を抜く。必ず商品を買えと言われ、法外な料金を請求されるのかと思ったからだ。 
買わなくてもいいのなら、特に気を張らなくてもいいだろう。 

「それで、何を売っている?」 

少しずつ現状に慣れてきたリジィは室内を見回しながら店主に取り扱っているものについて訪ねた。 
商品を見ることが前提条件らしいので、まずは商品を見なければ何も始まらない。 
呪具や死体など、物騒なものでなければいいが。と冷えた眼差しで店主を見やる。 

「…、…」 

ちらり、と。店主がこちらに視線を向けた。 
それでもその容姿はまるで不可思議な力が働いているかのように不明瞭だ。 
発する声も、子供独特の高さのせいで性別を特定することも難しい。 

「ここは、お前の過去に置き去りにされた忘れ物や失せ物を売っている」 
「…は?」 

一瞬、理解が遅れた。 

「理解できなかったか?」 

呆れたように息を吐く店主に、眉を寄せて不機嫌さを伝える。 

「突拍子もない。私の過去? 時間の概念に与する存在か何かなのか君は」 
「近いなにかだと思ってくればいい。だいたい、お前は僕にさして興味もないだろう?」 
「…、…」 

先程はそうでもなかったが、淡々と返事を返してくる店主に微かに苛立ちを覚える。 
むしろ店主の方がこちらにさほど興味が無いといった態度では?と喉まででかけた言葉をぐっと飲み込んだ。 

正体まではつかめないが、この店主からは人ならざる者の気配がする。 
人の身には負担にしかならない有り余った魔力のせいか、リジィはそういう気配に敏感な方だった。 

ここは店主の根城なのだろう。迂闊な行動をして危機にさらされるのはこちらだ。 
今は様子を見るべきだと自分で自分を納得させる。 

「さっき言った忘れ物や失せ物のことだが、これは感情であったり記憶であったり実体の持たないあやふやなものが多い。けれど、売り物にしなければならないからな。もっとも近いイメージに実体化させて売ることにしている。そうだな…、例えるなら幼少時に大切にしていたぬいぐるみとか、絵本とか、そういうものだな」 

頷いて先を促す。 

「お前へ売るものは2つ。これと、これだ」 

店主がすっとリジィの目の前に差し出したのは、売り物と言うにはあまりにも稚拙な物だった。 

「栞、と飴玉一つだと…?」 

そう。眼の前に並べられたのは、栞一枚と飴玉一つ。 

栞は端がよれよれに折れており斜めに歪んでいる。これを作ったものはずいぶんと不器用だったのだろう。 
飴玉のほうは何の変哲もないただの飴にしか見えない。強いて言うならば、包み紙が少し高級そうだということだ。 

「こんなもので私から金を取る気なのか、君は?」 

信じられないものを見るようにリジィは店主を見つめる。 

「金? 誰も対価を銀貨で払えなんて言っていないだろう」 

店主は店主で憤慨したかのように鼻を鳴らした。 

じわじわと焦燥に似た苛立ちがリジィの中で募る。 
先程から言いようのない既視感が自分を襲うのだ。 
こんな酔狂な店を構える酔狂な店主など知らないというのに。 

「金ではない?」 
「ああ。金じゃない。対価は、今、お前が持っている何かでいい」 
「過去のものを買うために、今持っているものを渡せということか」 
「そうなる。例えばそうだな…、そこに持っているクッキーでもいい」 

店主はリジィが手に持っていた小さな袋に目をつけていたようだ。 
包装紙には控えめに西洋菓子店の店名ロゴが印字されている。 

「これは…」 
「めったに手に入らない幻の菓子というわけじゃないんだろう?」 
「む…」 

確かに今手元に持っているクッキーは限定品や高級品というわけでもない。 
定宿で自分の帰りを待っている、自分の従者かつ養い子に渡そうと買った他愛のない有り触れた品だ。 

「クッキーがだめなら、そうだな。その耳についている羽飾り…」 
「これは渡さん」 
「?」 

間髪入れずに拒絶を示したリジィに、店主がきょとんと首を傾げたようにみえた。 

「高級品なのか?それは」 
「それもあるが。これは私の従者が私のためにとってきたものだ。これはなんと言われようとも何を積まれようとも渡すつもりはないな」 

きっぱりと店主に伝えながら、耳に添えられた羽飾りを軽く指で撫で付ける。 
そう。これは大事なものだ。とても。 

「…そうか」 

こくり、と店主がうなずく。 
その声はなぜか機嫌が良さそうに聞こえ、不可解な態度に戸惑いしかない。 

「それならそのクッキーだな。もちろん無理に取引に応じなくてもいい。お前の自由だ。商品を手にとるのも、取らないのも、目を背けるのも、見据えるのも」 
「…、……」 

普段ならば即座に断りを入れるところだが、今のリジィは迷っていた。 
よれよれの栞と何の変哲もない飴玉だ。 
自分に必要なものだとは到底思えない。 
だがその2つを眼前に並べられてから、ずっと言いようのない感覚が胸の奥を渦巻いている。 




どれくらい時間が経っただろうか。 
この店には時計がないらしくいまいち感覚がつかめない。 
店主はただ静かにリジィの返答を待ち続けている。 




「…もらおう」 
「そうか」 

ポツリと呟いたリジィの言葉に、からかうわけでも驚くわけでもなく、淡々と店主はうなずいた。 
酔狂なことだとわかっているが、結局の所ここまで迷うなら試しに手にとってもいいかもしれない。 
危険なものであれば、自身の能力で無効化するなり排除すればいいのだから。 
クッキーはまた買いに行けばいい。 
包装紙ごと店主に渡すと、店主もすっと栞と飴玉をリジィに差し出した。 
手に取ると何故かその2つはしっくりと自分の手の中に落ち着き、やはり不可解な感覚に眉根を寄せる。 

「…しかし、この2つか」 

店主が吐息のような静かな声で呟いた。 

「…?」 
「栞はまだわかる。飴の方は正直驚いたな」 

意味がわからない。 

「何を言っている?どういうことだ?」 
「いや…。出口はそこだ」 

店主が指を指した先には真っ白な扉があった。 
先程まではなかったはずだが、この空間はきっとなんでもありなのだろう。 
扉に罠がないか魔力を這わせて確認し、ドアノブに手をかける。 

「その栞はお前に愚鈍に一途に使えていた庭いじりの男が慣れない手付きでつくった花の栞だ。それと、その飴は――」 
「…、…っ?」 

背後から店主が声をかけてきたので反射的にリジィは振り向いた。 
聞き捨てならない言葉が耳をかすめていったからだ。 
店主がフードにそっと手をかけてつぶやく。 

「僕が喉を痛めたときに、弟が周りの目を盗んで持ってきたものだぞ。…覚えているか? イチゴ味の上等な飴玉だ」 
「…、…は」 

――今、この店主はなんと言った? 




店主がフードを脱いだ。 
店主の顔が顕になる。 



――あの既視感は、気のせいではなかった。 

――あの、何にも興味なさそうにしていた態度に腹が立っていた理由もわかった。 



リジィの【水色の瞳】が驚きで瞬く。 
店主の【水色の瞳】がじっとリジィを見つめる。 

リジィの【青みがかった黒髪】が揺れた。 
昔、リジィが魔力のコントロールができなかった頃、いつも毛先が青白く発光していた。 

店主の【青みがかった黒髪】は毛先が水色に発光している。 

眼の前にいる人物に瞠目する。 

まともに外に出れないほど脆弱な体、青く発光した毛先、今よりも青白い肌、何も期待していない空虚な水色の瞳は希薄な感情と反比例するように煌々と輝いている。 
戸惑うような声色のわりに、その顔はまるで人形のように固く歪だ。 



――昔の自分そのもののように。 



「栞はたしかに嬉しかった。僕は庭師が嫌いではなかった。けれど飴は、意外だったな」 



――幼い姿の自分が呟く。 



「こんなにも憎いと思っているのに。顔を見るだけでうんざりするのに。あのころの僕は、あのときの僕は、その飴が、きっと、うれしかったのか」 

「…、ちが」 
「違うものか。だからこんなに憎いんだろう」 

呆れたように呟いた声には、どこか自嘲の念も感じられた。 
それが、ひどく、癇に障る。 

即座に否定しようとした直後、リジィの体はなにかに引っ張られるように傾いた。 
この場所から退去させられるのだろう。 

君は何者だ、どういうつもりだ、そもそも私はそんなこと思っていない、矢継ぎ早に言いたいことを口に出そうとした声が、体が、意識が呑まれていく。 




「その羽飾りは」 



――幼い姿の自分の声が脳裏に響く。 



「なくさないといいな、僕【私】――」 



――そうして、リジィの意識は暗転した。 










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「…ん?」 

ぱちりと目を開ける。走る馬車の音。通り掛かる通行人たちのざわめき。夕刻をつげる鐘。 

「…? もうこんな時間か。遅くなってしまったな」 

西洋菓子店からでたのは昼過ぎだったはずなのだが…。どうも頭がはっきりしない。すこし体調でも崩したかと首をかしげる。 
はやく、買ったクッキーを自分の従者に、養い子に。サナギに持って帰ってやろうと歩きだす。 

「ん…?」 

ふと違和感を感じ、いつのまにか握りしめていた手を開く。 

「栞と飴…? このようなものいつ…?」 

よれよれの栞と、飴玉が一つリジィの手の中に鎮座していた。 



――兄さん!のど、だいじょうぶ? 飴、もってきたよ。いちごあじ。好きだよね?嬉しい? 



思い出すだけで腹立たしい、異母弟の、リラの幼少の声が脳裏をよぎる。 
あの陰険なメガネも子供のころはまだ可愛げがあった…と思いかけて、そう思い至った自分に非常に腹立たしい気持ちになった。 



――坊っちゃん! ご本が好きな坊っちゃんのために!!栞を作ってみようとしましたが、大失敗しました!!すんません!! 



懐かしい声に戸惑いを覚える。傭兵でもしてたほうが良かったのではと思うような屈強な男が庭いじりをしている姿が脳裏をよぎった。あれはもういない。 


「…、何故いまさらこのようなことを思い出した…? まあ、良い。早いところ帰らねばな」 


今日は空気が乾燥していたのか少し喉が痛い。 
手に持っていた飴玉をじっとみつめ、考え込んだ後口に入れる。 
わりと美味しい。 
栞もこれ以上よれよれにならないよう気をつけて懐に入れる。 
ちょうど新しい本にはさむ栞が欲しかったし、多少古いがこれも使えなくはないだろう。 
少しだけ早足で狭間の追憶亭へと帰途を急ぐ。 


狭間の追憶亭に帰宅したリジィが、クッキーが見当たらないことにショックを受けるのはまた別の話。 

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