夜明けの星13

食事を終えたシェスはノウが食べ終わるのを待ってともに自室に戻った。
舌に残る懐かしい味は、シェスの精神をちりちりと焼け焦がして掻き乱している。

わからない。

焦燥が胸を焦がして、視界がグラグラと揺れているのがなぜなのかわからない。
取り繕うように笑顔を浮かべようとしたが、やはりうまく嗤えず眉根を寄せる。

 

(それにしても、なんだ…?くっそ眠ぃな……)

 

加えてシェスが感じているのは倦怠感だ。
もともと狂気と正気の間で揺れているシェスの思考はまとまりのないものだったが、いつにもまして考えがまとまらない気怠さがある。
原因が思い浮かばずシェスはじんわりと苛立っていた。

朝方はもちろんだが昼も依頼がなければ惰眠を貪っているシェス。
吸血鬼になったこの身は夜になると活力が満ちて目が冴えるはずなのに、今日は夜も眠くて仕方がない。

 

「……腹が膨れたら眠くなっちまったわ。今日はもう一眠りする。お前もさっさと寝ろよ」
「うん。…シェスさん、具合悪いの?最近寝てることが多いね…」

 

ノウにも自分の不調が隠しきれていない事実に思わず舌打ちしたくなったが、肩をすくめてすました顔を浮かべて飲み込んだ。

 

「美人には苦労も多いんだよ。ちょーっとそこら辺歩いただけで声をかけられちまうからなー!ま、俺は眠いときに寝るし、食いたいときに食う。そしてひよこちゃんをいじめたいときにいじめるってとこよ」
「ええーー!?さ、最後のセリフはいらないとおもう!!」
「ヒヒヒ…、まあ今日は飯もうまかったし、見逃してやらァ。蝙蝠になって寝るけどな、あんまペタペタ撫で回すんじゃねぇぞ」
「えっ…」
「…いや、残念そうにすんじゃねーよ。じゃあな、おやすみ」
「はーい…。シェスさん、おやすみなさい」

 

人の姿よりもエネルギー消費が少ない蝙蝠に姿を変えて自作の止り木にぶら下がる。

 

「…………」

 

……だが。やはり、身体が重くてだるい。

 

「ギィ~~…」

 

ぶら下がっているのすら億劫になってきて、不機嫌さをにじませた濁った鳴き声を上げながら机の上に飛ぶ。
荷物袋に入れておいたクッションを足で掴んで取り出して、適当に形を整え上に乗った。
触りたそうにしているノウの視線をじとりと横目で制しながら、シェスはクッションに埋もれてうとうとと睡魔に身を任せる。

 

「あっ、そうだ。ねえねえ、シェスさん、えっと、ちょっと下でお水飲んでから寝るね。……あれ、もう寝ちゃった?」

 

まどろみ始めたシェスの耳に、たどたどしい声が染み込んでくる。

 

「…今度起きてるときにもちゃんといわないとだけど、えっとね…いつもありがとう、シェスさん」

(なんだ、こいつ改まって。そもそも、俺は今蝙蝠になってるだろーが。なんも返事帰ってこねーぞ)

「シェスさんと毎日すごせてうれしいんだ。今日はご飯もたくさんたべてくれてありがとう」

(何なんだよお前。もういいから寝ろよ、うるせーな…)

「最近つかれてるのかな。シェスさんが元気になりますようにって、お祈りしておくね」

(いらねぇ。やめろ。やめろよ。もう、やめろ)

 

ノウの好意を隠さないまっすぐな言葉がシェスの胸を焦がして、焦がされた何かが焼け爛れていく。

 

「明日もがんばってごはんつくるね」

(いい、つくらなくていい。もう十分食っただろ。なあ、ひよこちゃん)

 

まどろみに沈んでいくシェスはじくじくと感じる痛みに不快げに眉を寄せる。

 

 

 

 

(―――俺に)

 

 

 

「明日は何をつくろうかなあ」

 

 

 

(―――俺に明日を期待させるなよ)

 

 


移り変わる季節に置いていかれて、駆け抜ける年月に置いていかれた自分が明日を期待するなんて、あまりにも滑稽だ。
ざわざわとどこからか音がする。
もうずっと、音が止まない。
これ以上ノウの声を聞きたくなかったシェスは、半ば意識的に音を遮断して昏い眠りに沈んでいった。

 

 

 

 


(――、―――――)

 

夢を見ている。夢の中で夢だと自覚するのも奇妙な感覚だ。
嫌な夢を見ている。

 

(――、―――――、――――――――)

 

嫌な夢だ。
恐ろしい夢だ。

どろりと粘つくような暗い漆黒の空と地面。
自分の身体だけはっきりと見える異様な空間。
そこにぼんやりと立ち尽くすシェスの視線の先に広がる光景は懐かしくて愛おしいものだった。

明日の食費を考えながら、内職をする忙しい日々を送る自分の姿。
半信半疑にお祈りをする自分の姿。
毎日テーブルの上にはささやかながらもあたたかい食事がのっていて、自分より上の子供、下の子供がたくさん笑って料理を口に運んでいる。
子供の笑顔をみて嬉しそうにしている神父やシスター。
自分の周りには幼い頃から一緒に暮らしていた弟分や妹分、同年代の仲間。


やさしくて、あたたかくて、裕福ではなかったけれど幸福ではあった日々の夢。


(……あーあ、ひっでぇ夢)


空虚を塗りたくったような顔でじっと身体を硬くする。

ひどい夢だ。
もう二度と戻ってこないのに。
もう二度と戻らせてもらえないのに。

夢の中で笑いながら食事をとっている、まだ髪が陽の色だったころの自分を、厚い透明な硝子みたいな壁に隔てられたこちらからみている自分がいる。
黒い、黒い足元には紅い水たまりができていて、傍らにはあちら側で嬉しそうに笑っていた神父とシスターによく似たなにかがばらばらになって転がっている。
じっとりと靴を濡らすのは重たくて紅い色。

ひどい夢だ。
お前は鬼だと何度も言い聞かせてくるような夢だ。
口にこびりついた紅い破片と喉を潤した紅い水がなにか忘れるなと思い出させる夢だ。
端正な顔がくしゃりと歪み、口元には歪な笑みが浮かんでこびりつく。

 

ころん。っとなにかがころがって、コツンと自分の足元にぶつかった。

 

 

「……?」

 


足元に自然と視線が下を向く。
紅い液体が渇いてこびりついている丸い物体だ。
どこかでみたことがあるようなくすんだ金色の毛がついている。

 

「――、――――」

 

頭の中で警報が鳴り響いているのに、赤黒く汚れた手袋につつまれた手が吸い寄せられるようにそれに伸びていく。

 

(―――――――やめろ。拾うな)

 

思ったよりもずしりと思いそれを拾い上げて。

 

(――――――――――やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、拾うな、拾うな、みるな、みるな、だめだ、やめろ、やめてくれ)

 

くるりと回す。

 

「――、――――…」

 

それは、自分のあとをひよこのようについてまわり、しつこいぐらいにこちらに声をかけてくる、あたたかったはずの、「  」の頭部だった。

 

「――、――――…っ……」

 

夢だと理解していたはずなのに、頭の中が真っ白に染まる。
夢、夢なのだろうかこれは。
もしかして夢じゃないのではないか。

蜂蜜色の瞳が極限まで見開かれて、それを持った手が小刻みに震えた。

 

(――なんでだ?さっき、料理を作ってただろ。腑抜けた顔でヘラヘラ笑って、なぜ、いつ、なにが、ころしたのか? 俺が? いつ、知らない、覚えてねぇ、なんでだ、いつ)

 

我を忘れて無意識に首をねじ切ったのだろうか。
そしてそのまま血を啜ったのだろうか。

 

(―――あのときのように?)

 

途端に視界が真っ赤に染まる。
足元に転がったかつて慕っていた誰かの残骸が、風もないのにコロンと転がってシェスに濁った瞳を向けている。

かつて優しく自分を見てくれていたはずの彼の人の残骸と目があった。

 

―――また、ころしたのですか。

 

誰かの残骸はそういった。

 

「――、――――…ぁ」

 

息が詰まる。ハクハクと口を開閉するが、うまく息が吸えない。

 

「――、――――ち、ちが、う。おれはころしてない」

 

酷く情けない声が薄い唇から漏れる。
退廃的な空気を纏った普段の飄々とした態度が嘘のように怯えた表情が広がる。

 

今、シェスの狂気は鳴りを潜めていた。

 

立ち尽くして忙しなく瞳を揺らしている彼は今、鬼ではなかったころの雰囲気をまとっていた。
激しい動揺が、怯えが、後悔が、悲哀が、皮肉にもシェスに絡みつく狂気を上回っていたから。

 

――あの子供もあなたはたべてしまうのですか。
――非常食だといって、なんてひどい。

 

慕っていた誰かの声が言葉がシェスの何かを切り裂いていく。

 

非常食。

 

言った。たしかに自分はそういった。
情がうつらないように、あの子供が自分に好意を抱かないように。
最初は気をつけていた適度にかまって適度に突き放した。
絶妙に距離をとって、ある程度実力をつけさせたら故郷に返すか自立させる気だった。

 

欲が、出たのだ。

 

久しぶりに感じた他人のぬくもりが懐かしくて手放し難くて。
久しぶりに誰かの世話を焼くのが面倒だが楽しくて。
久しぶりに誰かに好意を向けられるのが苦しかったが嬉しくて。

小刻みに震える手からするりとそれがこぼれ落ちる。

 

「――――っ!」

 

反射的に伸ばした手から逃げるように。
それは地面に落ちてぐしゃりと赤い花を咲かせた。

 

「―――、――――」

 

ひゅっと息を呑む。
どくどくと心臓が波打つ音が聞こえる。
鬼と化した自分の心臓が果たしてまともに動いているのか疑問だが、そんな事を考える余裕は今はない。
はっ、はっ、と断続的に息が漏れる。

 

絶望した。

 

なぜなら足元に広がる赤い花と、くすんだ金色の髪がじとりと紅く染まっていく様子を見たシェスが最初に感じたのは悲しみでも恐怖でもなく。

 

 

 

 

 

―――新鮮な血だったのに、もったない。

 

 


だったのだから。

 

「……、……ぅ…っ…」


勘違いしていた。
そうだ、自分は"鬼"なのだ。
まるで人間みたいに、人の料理の味がわかった気でいたが。
口内に広がるどろりとした紅いそれだって、甘く美味しく感じるのだから。

 

結局自分は鬼なのだ。

 

潰れたそれから辿々しい声が聞こえてきた。
最近嬉しそうに「おはよう」と「おやすみ」と言ってくるときと同じ声で、別人のように冷たい音を孕みながら、それは、言った。

 


――シェスさん、どうして。

 


シェスの視界がぐにゃりと歪んだ。
背後でパリンと何かが割れる音がした。
漆黒の世界が今度は紅く、紅く染まっていく。

 


(――――――ああ)

 


ごくりと自分の喉が鳴る音がした。

 

 

(――――――ああ、アア、嗚呼…)

 


薄い唇が微かに開く。

 


(――喉が、)

 


気づいた。気づいてしまった。
なぜあんなに身体がだるかったのか。
どうしてあんなに眠かったのか。

 

「―――――喉が、渇いた」

 


シェスが感じていたのは、飢餓だった。

 


「喉が、渇いた。のど、が」

 

 

何か飲まなければ、「あれ」を飲まなければ、そうしないともっと喉が乾いて下手をすれば動けなくなる。
それは困る。
だって、動けなくなればまだ一人前とは言い難い「  」を守れない。

 

(――まもる? ――――なにを…?)

 

激しい飢餓感に襲われて、焦りと苛立ちに何も考えられない。
カタンッと聞こえた音に、野犬のように身体を震わせたシェスは、本能のまま飛びかかり、

 

「――――う、わぁっ!?えっ、えっ、シェス、さん…?どうしたの…?」

 

聞こえた声にびくりと肩を震わせた。

 

(――――――ゆ、め)

 

ぼんやりと瞬いた蜂蜜色の瞳がゆらゆらとあたりを見回す。
ノウの肩を掴みながら幽鬼のように見下ろすシェス。
突然人の姿に戻ったシェスに肩を掴まれて戸惑うノウ。
どこからが夢だったのか、どこからが現実だったのか、シェスにはわからない。

部屋に取り付けられた窓ガラスに映っていなかったが、シェス自身が状況を把握するには十分な状態だった。
ノウは不安げに様子を伺っていたが、シェスは激しく動揺していてノウの様子に気を回す余裕はなかった。

 


(――今、何をしようとした?)

 


日に焼けた褐色肌の細い首を見つめて、薄く開いた口に鋭利な牙をのぞかせながら、自分は何をしようとしたか。
そんなことわかりきっていた。

 

(俺は、こいつの、血を)

 

シェスは、ノウの首を食いちぎって、血を啜ろうとしたのだ。

 

「……、は……」
「シェス、さん…?」

 

眼前の子供の薄い皮膚の下で流れる紅いそれがシェスの喉を大層潤してくれることを知っている鬼の本能が、狂ったように荒ぶっている。

 

(喉が乾いた、やめろ、喉が乾いた、やめろ、喉が乾いた、やめろ、喉が乾いた、やめろ、喉が)

 

上書きしたくない。
今日食べたあのスープの味を。
甘い菓子の味を忘れたくない、上書きしたくない。
それなのに、喉が、喉が渇いて、苦しい。

 

「……は、はっ…」

 

じわりと頬を伝っていくのは飢餓を抑えつけて苦痛を感じるがゆえの冷や汗だ。

 

「シェスさん?シェスさんくるしいの…!?だいじょうぶ…!?」

 

怖い。

 

(馬鹿か、お前、馬鹿なのか、喉が渇いた、お前、危機感がねぇのか、喉が渇いた、目の前にある、目の前、俺が、俺、が、いま、明らかにやばいのがわかんねーのか、喉が)

 

この子供が怖い。
うっかり殺してしまいそうで。
うっかりその首を食いちぎってしまいそうで。
怖くて怖くて怖くて怖くて、仕方がない。

ぬるま湯のような穏やかな時間が手放し難くて、手元に置き続けてしまったが。
もし、はっと気づいたときにその子供が血溜まりの中に沈んでいたら。
きっと、自分はその血溜まりに飢餓感を刺激されるに違いないのだ。

 

「……は、ふふ……」
「しぇ、シェスさん…?」

 

そろそろ潮時なのかもしれない。
このざわつきが、いつ自分とこの子供を飲み込むのかわからない。

 

「いた…っ!?」

 

ぎり…っとノウの肩を強く掴む。
吸血鬼になってから筋力があがっているシェスに掴まれればきっと痛いだろう。

 

「しぇ、シェスさ…」
「……おしえてやろうか、ひよこちゃん」
「……え、なに、うっ…」

 

みしみしという音にノウが痛みと恐怖で瞳を揺らす。
ぐいとシェスが顔を近づけた。
その顔は相変わらず艶気を帯びた端正な顔立ちだったが、蜂蜜色の瞳は極限まで見開かれていてその美貌は狂気に染まっている。
ノウからすれば、突然シェスが豹変し恐怖でしか無いだろう。
怯えた視線にちりちりとなにかが焼け焦げて、何もかもどうでもよくなっていく。

 

「まあ、いいや、はは、ふふ…、お前が、なんていおうと教えてやるよ。大サービスだ」

 

ノウの反応を拒絶するように、シェスは嗤いながら口を開いた。
鬼と化してから何十年も誰にもいわなかった話だ。

 

「お前さァ、俺が吸血鬼ってしってるよな? 言ったもんな、知ってるよなァ。でもな、でも、俺は、俺は――――――」

 

口にするのもおぞましい滑稽な笑い話だ。
気づいたらなにかも終わっていた馬鹿な男の話だ。
口にするだけで、いやその時に思いを巡らすだけで、激しい吐き気と微かな愉悦が全身を満たして、嗤いが止まらなくなる話だ。

 

「俺は、人間だった」
「…………えっ…」

 

 

 

 

「―――――お前とおなじ、人間だったんだ」

 

 

 


首をカクっと傾けて、シェスはノウの肩に細い指を食い込ませながら嗤う。
ノウを見つめる蜂蜜色の瞳は焦点があっておらず、ノウをみているようで、違う場所を見ているようだった。

 

「お前と似たような金色の髪でお前と違って血はつながってなかったがお前と同じように仲のいい家族がいて俺は、俺は、人間だった」
「シェス、さ…」
「人間だったんだよ」

 

ノウが狼狽えるように唇を震わすのを見て、シェスの笑みが強まる。
ニンマリと嫌な笑いを浮かべながら、その薄い唇から漏れる声は、楽しげで、軽やかだ。
シェスの口は閉ざされない。

 

「―――――それが、いまやすっかり化け物だ。見た目の小綺麗さは変わらないけどな、俺は、家族を食い殺した。食い殺したんだよ。身体をちぎってばらばらにして!血をすすって!!食い殺した…ッ!!!」

 

口にすれば、それがどれだけおぞましいことか。
鬼ではなかった頃の自分が悲鳴を上げて顔をかきむしったに違いないと感じるシェスだが、それでも表面に滲み出るのは歪みきった笑みだった。

 

言った。言ってしまった。

 

あんなに怖がられたくないと思っていたくせに、本性を知った相手が自分に向けてくるあの怯えと嫌悪が練り込まれた視線をこの子供には向けられたくないと思っていたくせに。

 

「前、いっただろ?非常食ってな!お前の血はうまそうだってなァ!!…ハハハ、はははははッ!!!でも、お前の飯はうまかったから、今日は食べないでいてやるよ、ふふ、ふふふ…!!」

 

ああ、でも、もう、ここまで言えば、この子供は二度と自分に近寄ってこないに違いない。
そう思えば、シェスはほっとした。
近くにいなければきっと、きっと。

 

(―――――食い殺さないで、すむ)

 

どこかで調達しなければ、早く、早く。
他のいけ好かない人間や、あまり美味くはないが妖魔の血なら啜ってもいいと思う程度には、シェスの内面は鬼の思考に染まっていたので、何の問題もなかった。
喉の乾きがひどいが、まだ、まだなんとか耐えられる。

 

「―――――なあ、ノウ」
「――――――!」

 

ポツリとシェスが零した言葉にノウがはっと目を瞠る。

 

「お前を自由にしてやるよ」
「えっ」

 

口を開いたノウの言葉は形になる前に空気に溶けて消えてしまった。
トンッと首にはしった衝撃に、ノウの意識はあっというまに黒く塗りつぶされてしまったからだ。

 

(――――――どうして、シェスさん)

 

その蜂蜜色の瞳が苦痛に満ちているのを、やっとノウは確信したのに。

 

(シェスさん、おれの、なまえ、ちゃんと、やっと、よんでくれたのに。待って、待ってよ、シェスさん……)

 

バサッなにかが羽ばたく音が遠くに聞こえる、遠のく意識に縋り付きながら音がする方に伸ばしたノウの手は虚空を切った。

 

 

 

 

 

 

 

シェスはその日、姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 


胸の底で歪に凝り固まったそれがほどけていくことに恐怖を感じて。
恐怖に駆られ、飢餓につきうごかされた自分がまた凶行に至ると確信したシェスは、ノウから逃げ出したのだ。

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