夜明けの星11

依頼を受けた二人はさっそくワイルドボアが出没する村へ向かった。
予想以上に困っていたのか、村人や村長は依頼を受けた二人に対して好意的に接してくれたので、ノウは内心ほっとした。
今まで接してきた依頼人は良心的な者が多かったが、冒険者という稼業に対して良い感情を抱いていない者も少なくないからだ。
村長の家でワイルドボアの体格や現れる時間帯、場所を聞く。
ここでもシェスの端正な顔立ちは目立つらしく、様子を見に来た村の女性――男性もいた気がする――が外からちらちらとシェスを見ていた。
蜂蜜色の瞳を柔らかく歪めて笑い返し、自分を見ていた村人達が困惑したように俯いて顔を逸らす様子を愉しそうに眺めるシェス。
ことりと首を傾けて、白銀の髪をしゃらりと揺らす様子はたおやかですらある。
宿の亭主が見ていたら、「うちじゃあテーブルに足を乗せるわ、どでかい欠伸をするわ、ガサツさここに極まれりなくせに、とんだ猫かぶりめ!」と悪態をつきたくなるに違いない。

 

「シェスさん、宿にいるときと外で全然違う…」
「俺の見た目だとな、こっちのほうが受けが良いんだよ。なんだお前、同じように接してほしいのか? 優しく笑いかけてやろうか? 他の奴らと同じようによォ」

 

シェスの仄暗い甘い笑顔がノウに降り注ぐ。

 

「えっ、い、いいよ!おれはいつものシェスさんがいい!」

 

シェスの問いかけにノウが即座に否定すれば、シェスは一瞬不思議そうな顔を浮かべた。
それは軽く肩をすくめて呆れたように浮かべた笑みにあっという間に上書きされてしまったが。

 

「……ふーん、そうかよ。物好きなひよこちゃんだぜ」
「も、物好きじゃないもん」
「じゃあ、あれか、面食い」
「ち、ちがう!ちがうよお!!」
「あ、あの~…、それで依頼の方ですが、いつごろ討伐していただけますでしょうか…」

 

二人がやいのやいの言い合っている横で、存在を忘れられていた村長が恐る恐る声を上げる。

 

「…ああ、悪い、悪い。それじゃあ、今日のうちに言われた場所に向かうわ」
「ありがとうございます。その、そちらの方もご一緒に?」

 

外見だけならば20代前後に見えるシェスと、まだ成熟しきっていない小柄なノウの組み合わせに村長は心配しているようだった。
ワイルドボアが全力疾走で突進すれば、熟練冒険者でも怪我、下手をすれば命を落とす可能性があるので仕方がないことなのだろう。

 

「おう。まあ、見目は若いが、ワイルドボアなら倒せなくもねぇよ。俺も、こいつもな」
「……!」

 

村長の不安が滲む視線にシェスは肩をすくめて何でも無いことのように答えて、間接的とはいえ自分の実力を認めてもらえたノウが嬉しそうに頬を赤らめた。

 

「左様ですか。いえ、失礼なことをいってしまいすみません」
「いや、いいぜ。さて、それで報酬の方だが――――」

 

 

 

 

 

 

 

結論から言えば、ワイルドボア討伐は滞りなく終了した。
かつて独りで森に潜んでいたシェスは、獣の鋭敏な感覚をかいくぐる術を知っていたし、もともと野生動物対策の経験があったノウが思っていたよりも効率の良い対策を挙げたのもある。

 

「――シェスさん!たおせた!たおせたよ!!」
「おー、すげぇ、すげぇ」

 

嬉しそうに剣を掲げるノウをみたシェスが思ったのは、子供の成長を実感した安堵と微かな寂しさだ。
もちろん顔に出すつもりはないので、ぞんざいに賞賛の言葉を送るだけだが。

 

「やれるようになったよな、お前。そこは評価してやってもいいか」
「え、えへへ」
「料理はそんなうまくないけどなァ」
「ひどい!?ちょっとずつおいしくなってるよ!? ……なってる、よね?」
「さあなァ。なにせ俺は味が少ししかわかんねぇからなァ~。ひよこちゃんの飯はちょいと残念だし?」
「うう…!」

 

軽口を叩きながらシェスが物言わぬ骸と化したワイルドボアにナイフを突き立てる。
討伐の証に首を持っていくためだ。
ナイフ一つでワイルドボアの首を切り落とすのは至難の業なのだが、それはシェスが人間だったらの話。

 

――ヒュンッ。

 

それはあまりにも速く、まさに一瞬だった。
蜂蜜色の瞳がきゅっと細まり、瞳のまわりがぶわっと黒ずんだ気がしたが、ノウがパチリと瞬きをしながら見つめた先にはいつもどおり端正な顔立ちの青年がいるだけ。

シェスが手に持ったナイフには赤黒い血がてらてらと光っている。
土の上でワイルドボアの首と身体がすっぱりと別れた。
首から吹き上がった血飛沫が、土の上を濡らしていく。

討伐したあとは好きにしていいと言われている。
ならば、使える部分は有効活用してもいいだろう。

 

「さて、と。ワイルドボアなら、肉にできるな。お前、食材がほしいんだろ。いるか?」

 

こくこくとノウが頷いたのを合図に、シェスがワイルドボアの腹に沿って慎重に刃を滑らせる。
血抜きが少々面倒だが、獣の血抜きができる術もあったりするのだろうか。
もし魔術の才能があれば、そんなサバイバル向けの術を覚えたいところだ。
ピッ、と白い頬についた赤い液体をぺろりと舐めながら黙々と皮を剥いでいく。
次に内臓を取り出して、各部位に切り分けていった。
村の作物を食い荒らしていたからか、油の乗った肉質だ。
多少味覚が回復してきたシェスも、これなら焼いたらうまそうだろうなと思えるレベルだ。

 

「で、一週間後にスープとデザートを作るんだっけ?」
「うん!一週間後につく…、……あっ!!」
「なんだよ、急に素っ頓狂な声あげて」
「…えっと、えっと、一週間後じゃなくてちょっとずらしてもいい?」
「おう。なんだ?手に入りにくい材料でもあんのか?…ああ、砂糖か?」

 

デザートをつくるのならば砂糖は必須だろう。
しかし、砂糖は貴族ならともかく平民にとって高級品だ。
たとえ手元に十分な銀貨があったとしても、平民がなかなか手を出せない調味料を店が常備しているとは限らない。

 

「うっ、そ、それもだけど、えっと、えっと、いろいろ…」
「いろいろねえ…。それにしてもひよこちゃんはごまかし方が下手すぎて笑えるな」
「うう…!」

 

何か理由がありそうだが、ノウなりに考えがあるのだろう。
あまりつつくとすぐ涙目になるし、今日は虐め倒したい気分でもなかったのでシェスは見逃してやることにした。

 

 

 


討伐完了を村長に報告し報酬を受け取った二人はそのまま村で一夜を過ごすことになり、案内された宿で一息ついている。
寝泊まりできる場所がある事に驚いたが、野菜や果物を仕入れに来る商人が泊まっていくことが結構あるらしい。
簡素なベッドが二つと棚が一つあるだけの部屋だが、雨風をしのげて眠られれば十分だ。

依頼を受けてくれた礼として格安で料理を振る舞ってもくれたが、口にしたのはノウだけである。
ノウが手掛けた料理の不味さはうっすら分かるようになったシェスだが、他の人間がつくった料理はどうかわからない。
またゴムのような感触がした場合、思わず吐き出してしまうかもしれないのだ。
流石にそれは心証が悪い。
適当な理由をつけて自分はいらないと断りを入れた。
その代わりと言ってはなんだが、森で取れた希少な木の実や山菜を侘び代わりに渡しておいたが、顔を綻ばせていたので良いものだったのだろう。
持ってかえって売れば、小遣い程度の稼ぎになったかもしれないが、まあ、今更返せというのも無理な話だ。

 

「シェスさん、おやすみ」
「おう、おやすみ」
「…ねえねえ、シェスさん」

 

寝間着に着替えてもそもそとシーツに包まったノウが顔だけだしてこちらを見ている。

 

「寝るんじゃないのかよ」
「ちょ、ちょっとだけ!」
「へーへー、なんだよ」

 

ベッドの中に潜り込んだ途端寝るのがもったいなく感じて話したがるのは子供によくあることだ。
肩をすくめて先を促す。

 

「あのね、髪留めつかってくれて、ありがとう」
「…おー。やたら俺の項に熱い視線を送ってるなと思ってりゃ、それをみてたわけか」
「えっ!そ、そんなにみてないよ!!」
「いーや、見てたな。俺のきめ細やかな色白の首がひよこちゃんの熱い視線で焼けちまうかと思ったぜ!」
「も、もーっ!」
「ま、意外と使い勝手も悪くねーし。しばらくは使ってやるよ」
「ほんと?えへへ、うれしい…」

 

もぞもぞと動きながら頬を緩めていたノウは、それからも一言、二言シェスに話しかけていたがやがて静かに夢の世界へ旅立っていった。
警戒なんて一切していない顔ですやすやと寝息を立てているノウに近づいてじっと見下ろすが起きる気配はない。

ホルドナで蝙蝠姿で接していたときも確かに顔を綻ばせながら駆け寄ってきたし、聞いてもいないことをぺらぺらと話してきたノウだが、人の姿のシェスにもノウは笑顔が増えた。
気が抜けているといえばいいのか、年相応どころか、実年齢よりも幼い態度をとってくることが多くなった。
もしかしたら故郷の兄――どんな人間かはノウの話でしか知らないが――に重ねて、甘えが出ているのかもしれない。
孤児院時代のまだまともであった自分が表面化して、ノウに世話を焼きすぎている自覚はうっすらとある。
未練がましい元人間の鬼が、人間だった頃の行動を繰り返している滑稽な自覚が。

 

(流石にこいつのニーチャンは、血塗れな毎日を送ってるとは思わねーがなァ)

 

仄暗い笑みを浮かべながら肉を裂く感覚を思い出して嗤った。
シェスはノウが知らぬ間に薄暗い依頼を受けることがある。

依頼をこなした帰りは錆びた鉄の匂いをさせて帰ってきているのに、ノウは嫌な顔ひとつしない。
それどころか、「洋服洗わないの…?」と訪ねてくる始末だ。
何故怯えないのだろうか。
内心怯えていたとして、表に出さないのは何故だろうか。
自分の中に満ちている矛盾に満ちて破綻した破片を乗り越えて、多少実力はついたとはいえまだまだ未熟なこの子供が、日に日にゆっくりと自分のそばに歩み寄ってきているような感覚にシェスは内心怯えていた。

 

「……くしゅっ」

 

シーツに包まっていたノウが身体を震わせた。
ひんやりとした空気が窓の隙間から流れ込んでいるのにきづいて、カーテンをしめる。
ちらりと見えた外はすっかり暗くなっていて、ポツポツ見えていた民家の明かりも全て消えていた。
シェスはそのまま棚の上に置いておいた荷物袋に手を伸ばす。
ごそごそと中をあさって取り出したのは、一週間前からシェスが作っている物だ。

 

「……これ系統作んのは久々っつーか、何十年ぶりだ? やっぱ、あれだよな~。しばらくやってねぇと勘を取り戻すのに苦労するわ」

 

この村を発つのは明日の正午で、夜が明けたらそれまで眠る予定だ。
今日作業すれば完成の予定なので、夜が明けるまでの時間を潰すのにちょうどいいだろう。
ノウが眠っていない方のベッドに腰掛けて、シェスはゆったりと手を動かした。

 

 

 

 

 


「ふあ……、…?」

 

夜が明けてノウがベッドから起き上がると、シェスは今日もまだ起きていた。

 

「あれ、シェスさん、今日も起きてたの?」
「――ああ? なんだ、もう朝かよ。 通りで眠いはずだぜ」

 

声をかけられたシェスが不機嫌そうに肩をボキボキと鳴らして、くああと欠伸を漏らす。

 

「出発までに一眠りするか。蝙蝠になったほうが場所取らねぇんだけどなァ。部屋に家主が入ってきたときに追い払われんのは面倒だ。人の姿で横になるから昼前に起こせよ。飯は一人で食えるだろ?」
「うん、大丈夫」
「飯食ったあと、時間があれば村をうろついてもいいぜ」
「はーい。じゃあ、ご飯食べてくるね」

 

言葉をかわしている間も、シェスは何処か眠たそうにしている。
早く寝かせてあげようと、ノウは寝間着から着替えて部屋をあとにしようとしたが。

 

「――待ちな」

 

突然シェスに呼び止められた。

 

「えっ、なに?どうしたの」

 

振り向けば、シェスがちょいちょいとノウに手招きをしている。
促されるままトコトコと近寄ると。


「ほらよ」


ふわっと首にもこもことした何かが巻かれた。


「………えっ!」

 

巻かれた物の正体を確かめようとノウが首元を見れば、巻かれていたのは毛糸でできたマフラーだった。
丁寧に編み込まれたふわふわのそれは明るい山吹色だ。
顔を埋めればあたたかくノウを包み込んでくれる。

 

「ど、どうしたの、これ!」

 

キラキラと瞳を輝かせながらノウがシェスを見上げる。

 

「お前が、クシュン、クシュンうるせーからつくってやったんだよ。風邪なんてひかれたら面倒だからな」
「シェスさんが!?このマフラー作ったの!?」
「ヒヒヒ、俺は器用だからなァ。これぐらいちゃちゃっとつくれる」
「うわー、うわー。ありがとう、シェスさん!うれしいな、うれしい…」

 

まるで宝物をもらったかのように何度も何度もマフラーに触れているノウに、シェスは胸底のいびつな塊を削ぎ落としていく感覚が浮かび上がるのをそっと押し殺す。
それからいつものこびついたような笑みを浮かべて嗤った。

 

「たまには貢いでやらねぇとなァ。感謝しろよ、ひよこちゃん」
「うん!ありがとう!あったかいね!!」
「ぴょんぴょんはねて転ぶなよ~」
「こ、ころばないよ!」

 

ノウはノウで突然の贈り物に歓喜に震えていた。
シェスが自分のために防寒具を作ってくれてるとは思っていなかったのだ。

 

(うれしいな、うれしいな…。シェスさんは本当、おれにいろんなものくれる…。おれも、シェスさんによろこんでもらいたいから、がんばらなきゃ…)

「シェスさん、あのね、次こそ絶対おいしいものつくるからね!まっててね!!」

「おー」

 

ひらひらと手をふるシェスに見送られて、ノウが部屋を出ていく。
首元に巻かれたマフラーがふわりといっしょに揺れて、ノウの弾んだ気持ちを代弁しているかのようだった。

 

 

 


外は乾燥した空気で木々がカサついていたが、空は青々と晴れていた。
ノウは雲ひとつ無い青空に屈託のない笑顔を浮かべ、シェスは雲ひとつない青空を忌々しげに睨みつけて嗤っていた。

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