夜明けの星06

石畳の上を歩きながらノウがぎゅっと革袋を握りしめると、中で銀貨がチャリンと音を立てる。
シェスに何度か連れて行ってもらったので、市場や店が立ち並ぶ通りまでの道順は問題なく覚えている。
一人で入ってはいけないと言われた路地裏がどのあたりかもわかるノウは、件の場所には極力近づかないようにした。

――今だから、言うけどよ。お前、ホルドナでさァ、一人で路地裏に入り込んでんじゃねぇよ。路地裏には悪党しかいないんだぜ。わかってんのか?
――うえ…、ご、ごめんなさい…。

ホルドナでノウが蝙蝠姿のシェスに会いに行っていたときのことを話題にしたシェスの顔は不機嫌そうだったのを思い出す。

――薄暗い路地裏のさらぁに奥まで引きずっていかれて、内臓をばらされて売られていたかもなァ、くく…。
――ひえ…。


ノウは指南役の男たちに暴力を振るわれたとき以外危ない目にあったことはなかったが、路地裏は薄暗いし何があるかわからないそうだ。
怪我や問題を起こして迷惑をかけたら申し訳ないので、ノウはこの大都市では自分なりに気をつけることにしている。

「お店、まだあいてるかなあ。ええっと、買うものはきまってるけど、買い忘れないようにメモしてくればよかったかも…」

居住区から市場に向かうにつれて人通りが多くなっていく。
道行く人にぶつからないように気をつけながらノウは目当ての店にたどり着いた。

「あの、あの、こんにちは」
「あら、いらっしゃい!おつかいかい?えらいねー」

恰幅のいい女性が朗らかに笑いながらノウに声をかける。

「――あの、たまごください!」

ノウが買いたいものとは、"食材"のことだった。









――味がしねーんだよ。何食っても同じ。人の食いもんは全部な。










初めてこの街で買い物をしたあの日、シェスが嗤いながらつぶやいたその言葉はノウの胸の片隅にずっと残り続けていた。
ノウはシェスの経歴をほとんど知らない。
知っているのは、シェスが"吸血鬼"だということ。それだけだ。

(シェスさんは、うまれたときから吸血鬼だったのかなあ。吸血鬼のひとは血以外のご飯はたべても味がしないのかな…?でも、もしかしたら、何かの拍子に味がするかもしれない、よね?)

シェスがかつて人間だったことも、なぜ吸血鬼になってしまったのかも、ノウは知らない。
だから少しずれたことを考えながら、買った卵を誤って落としてわらないように、大切に抱えて次の店に向かうのだった。
色んな食材があるのだから、シェスの口にあうものがなにかあるかもしれないとノウは考えていたし、ないなら作ってみるのもいいと思っていた。
落ち込みやすくすぐ泣くノウだが、立ち直りも早く楽観的で前向きなのである。

「…あっ、なんだかいいにおいがする!」

ふわっと鼻腔をくすぐる小麦とバターの匂いに立ち止まって、目の前にあった扉に手をかける。
カラン、カランと音を立てて開いた扉の向こうに立ち並ぶのは焼き立てのパンだ。

「おお!いらっしゃい、坊や。今ちょうど食パンが焼けたばかりだよ」
「ほんと?えっと、じゃあ二つください!」
「はい、まいどあり!」

ほかほかのパンも胸に抱えてノウは帰路を急いだ。
朝から剣の稽古をしていたので、陽はもう高い。
今日は剣の練習をしたがったノウにあわせて先程まで起きていたシェスだが、今は一度自室に戻って寝ているかもしれない。
吸血鬼であるシェスにとって朝や昼は眠っている時間だから。
またあの白い蝙蝠姿で眠っているのだろうか。
なぜだかシェスはノウの前で人の姿のまま眠ろうとしない。

「机の上のクッションでまたねてるのかな? ちょっとみにいって…あっ、今日はだめだった!」

ノウは、シェスが蝙蝠姿で寝ているのを見るのが好きだったのであとでそうっと部屋に見に行こうかと思ったが、今日やろうと思っていたことを思い出してあわてて首を振った。

「……シェスさんがやすんでる間に料理の練習をするんだ。おれがごはんつくれるようになったら、きっと今よりシェスさんの役に立てるよね?」

ノウはシェスが寝ている間に、料理をしてみようと思っていた。
実はシェスには内緒で宿の亭主に頼み込んで、教えて貰う予定になっている。
故郷で姉を手伝って野菜を切ったり煮込んだりはしていたことがある。
不器用なノウはよく指を切ってぴいぴい泣いたことも少なくなかったが、姉と並んで食事の準備をするのは好きだったし、うまく作れるようになりたいと思っているのはその頃からだ。

「味がわからないっていっていたけど、いつかシェスさんが血以外のごはんもおいしいってなってくれるかもしれないもん。あと、シェスさんは、料理が、うん、ちょっと苦手みたいだし……」

思い出すのは数日前に宿で起きた凄惨な事件だ。










この大都市にやってくるまで、シェスとノウは干し肉やドライフルーツの携帯食、もしくはすでに出来上がった料理ばかり食べていた。
宿で暮らすようになってからは、携帯食と懐に余裕があるときは亭主が作った料理を食べている。

シェスが道中に料理をしたところをノウは見たことがなかった。
なかったが、手先が器用でお守りの袋やほつれた服をあっというまに繕うシェスの器用さを知っているノウは、きっと料理も手際よくさくっとつくれるに違いないと思っていた。
だから聞いたのだ。

「シェスさん、料理できる?」

聞いてしまったのだ。
目の前で薄く嗤っていた顔が一瞬きょとんとして、ついっと窓の外に視線が逸れたときに止めるべきだったのかもしれない。

「――……できるぜ?要は切り刻んで焼いて煮込むだけだろ?めんどくさくて最近はやってなかったけどな?」

いつもの細かさが嘘のように大雑把なことを言っている時点で明らかに怪しかったのだが、ノウが首を傾げている間にシェスは勝手に宿の厨房に向かってしまった。
まさか実際に作るとは思ってなかったノウはあわててシェスを引き止めたが。

「えっ!?シェスさん、まって!!勝手にはいったらだめだよ!?怒られちゃうよ!!」
「まあ、お前はそこでいい子にしてな。俺がさくっとおもしろおかしいもんをつくってやるからよォ」
「ごはんだよね!?おもしろくなくてもいいんじゃないかなあ!!」

ノウの努力も虚しく、シェスのすらりとした後ろ姿が奥に消えていき、しばらくするとカチャカチャと調理器具がぶつかる音が聞こえてきた。
おろおろしているノウの耳に続けて聞こえてきたのは、ギュイーンッ、フシューーーーッ、といった音。

「えっ、えっ、な、なに、この音…!?うわわ、どうしよう…。親父さんにひとこといったほうがいいんじゃ…。な、なんか、変な匂いするし…」
「ふう、倉庫掃除は骨が折れ…、なんだこの異臭は!!ま、まさか!!!!?」
「あっ、親父さ――」

ちょうど倉庫の掃除で席を外していた宿の亭主が異臭と異音に真っ青になって厨房に駆け込んだのと、ドンッと謎の爆発音が聞こえてきたのはほぼ同時。
しばらくして煤こけた二人がのそのそと厨房から出てきてひえっと息を呑んだノウだが、二人ともたいした怪我はなかったようだった。
シェスはともかく、人間であるはずの亭主もほとんど怪我がないのは謎である。

「――シェスゥゥゥゥゥゥ!!!!お前は!!!!厨房に二度と入るなと!!!!!!以前いっただろうがァァァァァァ!!!!」

宿の亭主の怒号が響く。

「おいおい、そんなに目くじら立てるなよ親父」
「たてるわ!!儂の厨房を見るも無惨な状態にしおって!!どうしてくれる!!!」
「わかった、わかった、かたづけりゃあいいんだろ!ちょーっと火加減まちがっただけじゃねーか!!」
「あの惨状をもう一度見てから言えぇぇぇぇ!!!!!」
「あわあわわわ…!!」

亭主は怒り狂っていたがその後弁償することを約束した結果、宿から追い出さずに置いていてくれるのだから人がいいのだろう。
厨房がいったいどんな状態になっているのか少し好奇心を刺激されたノウだったが、亭主の怒りが治まるまで勝手な行動をしないほうがいいだろうと判断し、おとなしくシェスと並んで怒られた。

ちなみに、シェスが出してきた料理は、極彩色に輝き、生き物のように蠢き、そのうえ鳴き声迄聞こえた気がするがきっと空耳だ。
目を逸らした瞬間、何処かに蠢き走り去っていったように見えたが気のせいだろう。

(りょ、料理は動いたり鳴いたりしないよね…。きっと、気のせい。うん、おれの、気のせいだと思う)

そうに違いない。そう思いたい。













「……うん」

ノウは学んだ。
シェスに料理をさせてはいけないと。
あの悪夢を繰り返してはならないと。
なんでもそつなくこなせるシェスにも苦手なものがあって安心したノウだったが、それとこれとは話が別だ。
ノウがもっと鍛錬を積めば、いずれ日を跨いで街の外で行動することも出てくるだろう。
運良く宿や休憩がとれそうな山小屋があればいいが、野営もあるに違いない。
そんなとき、万が一保存食がない状態だったら、現地で食料を調達して料理することになるはず。
ノウはさすがにシェスよりはまともなものが作れるはずだが、料理の全行程を把握しているわけではない。
このままでは悲しみしか生まれないのは明白だ。

「や、やっぱり、おれがちゃんとごはんつくれるようにならないと…!山菜、もっとくわしく覚えたほうがいいかな?シェスさんが採集依頼でいろいろおしえてくれたけど…。毒キノコとか食べたら大変だよね…。山や森の動物さんを狩って食べることもそのうちあるのかなあ…」

動物は好きだが、食べるのが可愛そうだとは思っていない。
たとえば故郷で卵を産んでくれるにわとりに感謝や愛情を抱いていたのはたしかだが、いずれ食卓に並ぶこともノウはきちんと理解していたし、父と一番上の兄が鶏や山でとってきた獣を捌くところも何度かみている。
はじめは衝撃がすごくて大泣きしてしまったが、今では食卓に並んだ野菜や肉に感謝を込めてしっかり食べるようにしている。

「よしっ、買いたいものはもうかえたし、宿に帰ろ…、…?」

気を取り直して歩き出したノウの視界にきらりと光るものが映った。
そちらに目を向けると通りの端で布を広げて上に商品を並べている男がいた。

「……見てくかい?」
「えっ、うん…」
「別に強引に売りつけたりはしないよ」

男の声は穏やかだったので、ノウはほっと息をついて近づいた。
布の上に広げられていたのは装飾品だ。

「おじさんがつくったの?」
「お、おじさん…」
「あっ、ごめんなさい…!」
「いやいや、いいよ」

がっくりと項垂れた男に慌てて謝るが、男は軽く手を降って許してくれた。

「これらは妻が作った装飾品さ」
「そうなんだ~!でもどうして、もっと中央の通りで売らないの?」
「申請日ぎりぎりに届け出を出してしまってね~…。ここしか空いてなかったんだよ」
「そ、そうなんだ。元気だしてね」
「ありがとう……」

屋台がなくとも、営業許可証があり、危険がないか確認済みのものなら男のように市場でものを売ることができた。
しかし営業許可証は申請する必要があり、短期で場所を借りる場合、売る場所は取り合いになるのだ。
男は売り場の争奪戦に負けてしまったのだろう。
なにせここは市場があるとおりでも端の方で、そのうえ大通りからはずれている。

「次はがんばらないとねえ」
「がんばってね」
「いいこだなあ。ありがとう、ありがとう」

ノウはコクリとうなずいて男が並べていた装飾品をのんびりと眺めた。
素朴ながら丁寧に作られているのがわかるものばかりで、故郷の姉や妹に買ってあげたらよろこんでくれるかもとあたたかい気持ちになる。

(姉さんに手紙でおくりたいっていったら、シェスさんゆるしてくれるかな…)

今の所シェスから離れて故郷に帰るつもりはないが、せめて現状元気にしていることを伝えられたら、とノウは思うのだ。

(あっ、でも…)

両手に抱えた食材の重みがノウを現実に引き戻す。
まだ懐に余裕があるとはいえ一日でもらった銀貨を使い果たしてしまったら、シェスは眉をしかめるかもしれない。
あの麗人は、お金になかなか厳しい。
意外だったが、入用のものでない限りシェス自身が銀貨を消費しているところを見たことがないぐらいだ。

「あの、おじさん、ごめんなさい。あまりお金もってないから…」
「ああ、ああ、いいよ。強引に売りつけたりしないとさっきいっただろう?」
「……うん。でも、一個ぐらいなら買えるかな…。髪留めなら…」
「…そうだ。タダとはいかないが、少しおまけしてあげようか?」
「えっ」
「このガラス玉でできた髪留め、三つセットで銀貨一枚とかどうだい」

男が示した先にはゴムを通された硝子玉の髪留めが三つ並べられていた。
青い硝子、紅い硝子、緑色の硝子でつくられているそれは、高価な宝石ほどではないが綺麗で洒落ている。

「い、いいの?」
「いいよ。気になる女の子にあげるなら三つぐらいあげるのもありじゃないかな?ハハハ」

男が微笑ましい眼差しを送ってきたので、ノウは目を白黒させながら首を横に振った。

「えっ!!ち、ちがうよ!!?姉さんや、妹に手紙で送ろうかなっておもってただけだよ!!?」
「なるほど、なるほど、優しい子だね~」
「ほ、ほんとだよ!?」
「うんうん」
「う、うう~~」
「ごめん、ごめん。それで、どうかな?買うかい?もちろん、無理に買わなくてもいいからね」
「……うーん」

じっと髪留めを見つめてノウは逡巡した。
銀貨一枚で三つの髪留めが買えるのは嬉しいし、姉と妹に一つずつ送ることもできる。
まだ姉と妹が髪を切っていなければだが。
それにもうひとつ余るなら、ノウには願ったり叶ったりだった。

「じゃあ、ええっと、ください!」
「はい、ありがとうね。どうぞ」
「ありがとうございます!」

男が簡素な紙袋に髪留めを入れてノウに手渡し、ノウは銀貨を一枚店主に渡して取引が終わる。
腕の中の荷物をどれも大事に抱えて歩く。
穏やかに手をふる男に頭を下げて、ノウはその場をあとにした。

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