夜明けの星05

武器屋で装備を揃えてから数週間が過ぎた。
 
薬草取りの仕事、迷い猫探し、通りから通りへの配達業務。
宿の掲示板に貼られた依頼のなかでも、特にささやかな依頼を着実にこなしていく日々が過ぎていく。
妖魔討伐の依頼も時折はられているのを見かけたが、シェスがノウと依頼を受けるときはそれらを受注することはなかった。
ノウも特に不満はない。
それぞれの依頼をこなすことでどういうことが身につくか、シェスが一つずつ丁寧に教えてくれたからだ。
 
依頼の受け方、報酬の相場、依頼完了後の報告の仕方、報酬の受け取り方を知った。
薬草を集めることで、毒草との区別がつくようになったし、村で暮らしていたときよりもいろんな薬草が外には存在していると知り面白かった。
ペットを探したり、届け物を配達することで、街の歩き方や辺りに手がかりがないかを調べる癖が身についてきた。
地味な仕事ほど体力と気力が必要なのだと知った。
もともと農作業を手伝っていたのである程度体力があるとノウは思っていたが、依頼を受け始めた頃は宿に帰るなりベッドに倒れ込んでぐっすり眠ってしまうことも少なくなかった。
 
宿の庭にシェスが勝手に作った訓練用の木人――亭主は怒っていたが結局撤去は諦めたらしい――で剣の使い方も練習している。
ある程度使いこなせるようになったら、駆け出しの冒険者向けの討伐依頼や妖魔の素材の回収依頼もつれていってくれるとシェスがいったので、ノウは毎日懸命に剣を振っていた。
不器用なノウは剣をなかなかうまく扱えなかったが、シェスは眠たそうに欠伸をしながらも持ち方や動きを見て助言をする。
 
「お前、鈍くせぇな」
「うえ…」
「まあ、体力は申し分ねぇか。自分から仕掛けるより、相手の攻撃を受け流して反撃するほうがお前にはあってんだろ、たぶん。そういう動き方を教えてやらァ」
「……のろま、とかいわないの?」
「……言ってほしいならいってやるぜ?なるほど、ひよこちゃんはいじめられると嬉しいタイプか。やべぇな」
「ちが!ちがうよ!?ちがうもん!!!」
「ヒヒヒ、じゃあ、さっさと構えな」
「ううう…!」
「受け流すとなると、木人じゃ無理か。しかたねーな、俺が直接やってやるからこっちに移動しろ」
 
木陰に移動し日傘を畳んで木に立て掛け手招きしてくるシェスの方へぱたぱたと近寄る。
 
「いーか、まず剣で相手の攻撃を受け止める練習からだ。まあ、まだお前はひよっこだからな。しばらくは俺がフォローしてやるけど、森や洞窟でぼんやり立ったまんまなんてただの的だからな。頭をかち割られたくなけりゃあ自分の身を守れるようになりな」
「う、うん…」
 
シェスが拳ぐらいの大きさの石を手に取る。
 
「これが飛んでくるとする。それを剣で防いでみろ。お前の剣は青銅でできてるから、そうそう簡単に折れはしねぇだろ。切るっつーより、叩くほうが向いてそうなつくりだしな、それ」
「そうなんだあ」
「まー、さすがに初っ端から全力で投げつけてもお前の頭にぶつかって流血沙汰になっちまうし?ヒトでガキのお前の身体はあっというまにぐちゃぐちゃってなァ!」
「ひえ…」
「だから、かるーく、投げてやる。そっちに立って叩き落としてみろ」
「う、うん、やってみる!」
 
アンダースローでシェスが石をノウの方へ放り投げる。
 
「…えいっ」
 
気持ちが先走ってしまったのか、ノウが振りかぶった剣は石に当たらず、スカッと小気味よい空振りで終わってしまう。
 
「…うう~」
「おいおい、石をちゃんとみてんのか?目をあけろよ、目を。何でつぶってんだ」
「えっ!?!?あけてるよ!?ちゃんと目、あけてるよ!!?」
「まじか。細すぎて開いてんのわからなかったわ」
「も、もーーー!!」
 
ノウの瞳は糸のように細いため、時折開いているのか閉じているのかわからないというのはシェスの言い分だ。
故郷でも似たようなことを言われたことがあるので気にしているノウは、困り顔でシェスを非難するがシェスはにやにやと嗤うばかりである。
気を取り直して指示されたとおりにノウが剣を構えなおすと、シェスがまた適度な大きさの石を放り投げた。
 
「…えいっ!」
「もう一回」
「…えいっ!!」
「掠ったな、オラ、もう一回」
「うん、えいっ!」
 
力任せに振っていた剣が、徐々に石の軌道に合わさっていく。
何度も何度も繰り返して。
 
「―――えいっ!」
 
カンッ!!と小気味よい音が聞こえて、シェスが投げた石が地面に落ちた。
 
「…で、できた?」
「おう。当たったな」
「…わ〜っ、やったー」
「はしゃぐのはとめねーが、剣を落っことして足に刺さっても知らねぇぞ」
「あ、あわわっ!」
 
まさに今、そうなりそうだったノウは慌てて剣を持ち直す。
 
「…まあ、悪くねーんじゃね?このまま続けていきゃあ、ネズミ駆除ぐらいには行けるだろ」
「ネズミ駆除も仕事になるの?」
 
ノウの故郷の村にもネズミはいて作物を齧られる被害もあったが、依頼に出さなくても自分たちて駆除できていたので不思議に思い首を傾げる。
 
「お前、ネズミを甘く見るなよ?数で飛びかかられて、身体中食いちぎられたやつもいるんだぜ…?」
「ひぇ…」
 
シェスがすました顔で言葉にしたのは生々しい悲劇。
生きたまま身体を食いちぎられるのはさぞ痛いだろうな、と端正な顔を歪めて嘲笑うはシェスはやはり異様でノウは無意識に身体を震わせる。
 
それでも顔を逸らさずにいたのは、彼の蜂蜜色の瞳がちぐはぐに揺らいでいた気がしたからだ。
あの日、人の姿のシェスと顔を合わせたときから、ノウはいつも言いようのない感情を抱いていた。
 
目の前の麗人は、いつも嗤っている。
時折ぼんやりとどこか遠くを見ているとき以外はずっと、嗤っている。
くるりと日傘とともにまわって白銀の髪をしゃらりと揺らし、端正な顔立ちにいつも笑みをたたえているシェスは、街中ですれ違う者の視線をよく奪っていた。
 
ただ、ノウはいつも思うのだ。
 
(――シェスさんはいつも笑っているけど、なんだか、おれ、ぎゅうってするなあ。なんでだろ…)
 
引きつったような作り笑いを浮かべているわけではなくゆるりと自然な笑みを浮かべているはずなのに、ノウが感じるのはどこか胸を締め付けられるような違和感や、得体のしれない不安や、じわりと這い寄ってくるような寂寥感だった。
今だって、そうだ。
嗤っているのに、苦しそうだと何故か感じてしまうのだ。
それはノウの思い込みかもしれないので、面と向かって口にすることはできないが。
だから、蜂蜜色の瞳が歪んで三日月の形になっているのをじっと見つめて立ち尽くす。
 
「…なんだ、ひよこちゃん。そんなに見つめて…、はーん…? さては俺に見惚れたな?」
「えっ!!!」
「わかるぜ? 俺は美人だからなァ、くくく…」
「そ、そんなに、みてない!みてないよ!!」
「お前、面食いだもんな? 知ってるぜ、市場でもきれーなネーチャンばっかりみてたもんなァ」
「うぇ…、ううう、ち、が、ちがっ…!!」
 
気まぐれに上流階級の女性が庶民が生活する区域にくることがある。
故郷の女性は素朴であたたかみがある人が多かったが、大都市の女性は洗練されておりその華やかさに圧倒されてぼけーっとみてたときのことをシェスは言っているのだろう。
初心なノウは目を白黒させて顔を真っ赤にしながら否定したが、相変わらずシェスは相手にせず、ケタケタと嗤っている。
 
「う、うう、ううう…、シェスさんが、いじわるする…」
「なんだァ、また泣くのか?」
「な、泣かないぃ…」
「涙ぐんでるじゃねーか、くくく…」
「うう…」
「…泣き虫~」
「うええっ!」
「ふふふ、くくっ。…ああ、そういや忘れてた。ほらよ」
 
じんわりと目尻に涙をため始めたノウの前にシェスの白い手がすっと差し出される。
手のひらの上にはずしりとした革袋。
チャリンっと聞こえた音は中身が銀貨であることをノウに教えてくれる。
 
「銀貨…?」
「最近受けてた依頼の報酬だ。雑用ばっかだろうが、依頼は依頼。お前もそこそここなしてたからな。ちゃあんと報酬は分けてやるよ。端金でも金は金。無いに越したことはねーし、あって困るもんじゃねぇ」
「お、おれの?」
「おう」
 
パチパチと瞳を瞬かせながら、手のひらにのせられた革袋を見つめる。
故郷では物々交換で暮らしていたノウである。
外から来た商人との取引は主に二番目の兄がやっていて、ノウは街におりてくるまでお金のやり取りに馴染みがまったくなかった。
ホルドナで世話役をしていた男たちに使いっぱしりにされたことは何度かあったが、買い物の仕方を教えてもらったことはなく、渡された銀貨と品物を交換するだけの毎日で、物々交換と何ら変わりがなかった。
提示された価格以上の貨幣を出した場合、あまりはお釣りとして手元にかえってくる、ということをシェスと行動するようになるまでノウは知らなかったのだ。
 
だから今までも銀貨の管理はもっぱらシェスの管轄で、ノウは必要なものがあったらシェスに報告してぴったりの金額を渡されることが常だった。
まとめてお金を渡されて好きに使っていいと言われたのは初めてで、手に感じる重みに知らず知らず頬に熱がこもる。
 
「おれの銀貨なんだ…」
「そうだぜ、ひよこちゃん。お前が働いて、お前が稼いだ金、だ」
「……!!うん!!」
「今日はそれで買い物でもしてきな。そろそろ市場と宿ぐらい、一人で行き来できんだろ」
「うん、おれ、道おぼえたよ」
「じゃあ、試しに行ってきな」
 
ノウが買い物や依頼ででかけるときは、基本シェスといっしょだった。
今日は一人でいってきてもいいらしい。
 
「え、えへへ…」
 
なんだかシェスに少し認めてもらえた気がして嬉しいノウである。
革袋を両手でぎゅっとにぎって頬を緩め、身体を揺らす。
 
「なんだ、お前、鼻の下伸ばして。だらしねぇ顔」
「ええっ、のばしてないよ!?」
「へえへえ」
「もーっ、もーっ!」
「オラ、さっさといかねーと日が暮れるぜ」
「あっ!?う、うん、じゃあ、いってきます」
「―、――」
「シェスさん?」
「…おー、行ってこい、行ってこい。」
「…うん!」
「金、スられんなよ」
「き、きをつける!」
 
ぎゅっと革袋を大事に握りしめて、何度かシェスを振り返りながらノウは通りの方へと駆けて行った。
 
「………」
 
時折小石につまずきそうになっているノウをぼんやり見送って、シェスは日傘をさしてくるりと回した。
狭間の追憶亭に居座ってから、数週間。
希薄な陽の光が降り注ぎ、透き通るような水色の空が頭上に広がっている。
シェスの白絹のような髪を弄ぶ風はひんやりとしていて、今の季節を如実に伝えていた。
 
「いってきます、なんて久々に聞いたぜ」
 
 
――神父さま!シスター!いってくるー!!
――シェス、そんな格好じゃあ風邪をひいてしまいますよ!ほら、マフラーを巻いていきましょうね。
――え~、これぐらいなんともねーのに~…。
――油断は禁物ですぞ、シェス。さあさあ、帽子もかぶっていきましょう。
――あ~~!神父様上からぎゅうぎゅうかぶせんのやめろよ!!うごきづらい!!もこもこする!!
 
 
たおやかな指がマフラーを巻いてくれて、大きな手が帽子をかぶせてくれた。
 
 
――シェスにぃ、いってきま~す。
――おう、いってこい。
――途中できれいなお花が咲いてたら、持って帰ってくるね。
――花は食えねぇからいらねーな~。
――もー、シェス兄ちゃんは、見た目詐欺だ~!
――おい、なんだ見た目詐欺って。待て、こら!首になんか巻いてけ!!
――きゃ~!!あっ、これシェス兄ちゃん手作り?
――うちは既製品買う金ないからな。
――えへへ、こっちがいいからうれしいな!!
――そ、うかよ。
――あ~、シェスにい、照れてる~!
――ううううるせえ!!
 
 
きゃらきゃらとわらう年下の子供を見送る日があった。
あのとき、お土産だといって子供達がくれたのはなんだったろうか。
 
あたたかい思い出はあまりにも遠くもう完全に忘れてしまいたいと思うほど自分を苛んでくるのに結局手放せない。
その結果が、先程市場へと駆けていったノウの面倒をズルズルとみている自分で、そうして過ごす時間は独りで過ごしていたときよりもずっとあたたかくて、あたたかすぎて、もしかしたらこれは自分が寝ている間にみている夢なんじゃないだろかと思うことがある。
連れ歩き始めた頃は、頭上に手をかざしただけで無意識にビクリと身体を震わせていたノウが、最近は気まぐれにぐしゃぐしゃ髪をかき回すとくすぐったそうに笑うようになったのは悪いことではないのだろう。
ひよこのように、自分の後ろをついてくるその姿に悪い気はしないが。
 
――ふふ、シェスが小さいころは、私や神父様のあとをまるでひよこさんみたいについてきていて、とてもかわいかったです。
 
そう行ってわらう、姉のように母のように慕っていた女性の顔はもうよくわからない。
くるり、くるりと日傘を回す。小柄で艷麗な容姿のシェスが宿の庭を歩く姿は様になり、そこに誰かが通りがかったのなら思わず足を止めてしまうだろう。
 
「……くく、ふふ」
 
相変わらずその薄い唇から漏れるのは、嘲りの混じった一笑で。
 
「――あーあ、しんどいなァ」
 
ポツリと呟いた言葉は、誰もいないその場に溶けて消えていった。

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