夜明けの星03

室内の窓枠が明るくなって、温かい光が差し込んでくる時間。
ベッドの中でぐっすり眠っていたノウはパチリと目を開けた。

「……うーん…っ!」

ぐいっと背伸びをして、目をこすりながらベッドから起き上がる。
内容はあまり覚えていないが、怖い夢を見ていた気がする。
ただ、いつのまにか温かい穏やかな夢に変わっていた気もした。
まるで故郷の家族と一緒に眠っていたときのような。
怖い夢を見てぐずぐずと泣いていたノウの髪をくしゃくしゃとなでてくれたり、そっと寄り添うように寝てくれた兄弟姉妹の姿が脳裏に浮かぶ。

(シェスさん、やっぱり昨日の夜でかけたのかなあ)

きょろきょろと部屋を見回すが、あの白銀の髪と蜂蜜色の瞳をした麗人の姿はない。

(昨日は、うん。っていっちゃったけど、やっぱり一人は寂しい…。シェスさんが帰ってくるまでまってようかな)

ベッドの端に腰掛けて、足をプラプラ揺らしながら窓の外を見る。
窓の外をみれば、二羽の小鳥がチュンチュンと高い声で鳴いていた。

「あっ、小鳥だ!…えへへ、かわいい」

農業が盛んだった故郷では農作物を食べてしまうからとあまりいい顔をしない村人もいたが、ノウは基本的に動物が好きだったし鳥も可愛いと思う。
寒い冬に鳥がまんまるくなって木の枝に寄り添ってとまっているをみると、思わず頬が緩んでしまうし、許されるならそのふわふわの羽毛を触らせてくれないかと期待を込めて木の上を見上げたりしたものだ。
ただ鳥は警戒心が強いので、近くに来てくれることは殆どなかったが。

(――だから、シェスさんが、コウモリ姿のときさわらせてくれて嬉しかったな。白くて、ふわふわしてて、だいふくみたいで…。あっでもだいふくっていったら怒られたんだった…!)

だいふく、しらたまと呼ぼうしたら奇声をあげられてしまったこともあったが、木箱にはりついてキイキイ鳴いていた姿や、りんごにくっついて転がっている姿を思い出して温かい気持ちになる。

持っていった食べ物を殆ど食べてくれなかったのは残念に思っていたが、吸血鬼である彼の口には合わなかったのかもしれない。
そもそもシェスはノウのことを非常食というが、ノウはシェスが食事をとっているところを見たことがない。
夜出かけている間になにか食べているのかもしれないが、食事のことに触れようとすると低い声で拒絶されてしまうので深く聞けないでいる。
吸血鬼なのだから、何を食べるのかおおよその検討はつくが、それ以外のものは食べられないのだろうか。

「…シェスさんとごはん一緒に食べたいなあ」

ノウは誰かと食事を摂るのが好きだ。
小さな山村で生まれ、たくさんの兄弟姉妹に囲まれて育ったノウが食事をするとき、たいてい誰かが一緒だった。
一人で食事を摂る日も極稀にはあったが、寂しくていつもとかわらない食事なのになんだか味気なく感じたものだ。
ホルドナでは指南役をしていた男達に散々な扱いを受けていたので、誰かと食事どころかちゃんと食べることができるのかすら怪しい日も多かったが、それでも時間を見つけて蝙蝠姿のシェスのところに軽食を持っていて食べる時間はノウに明日も頑張ろうという気持ちにさせた。

名残惜しくベッドの上で足を揺らしていたノウだったが、自らのお腹が「くぅ」と音を立て主張してきたのを合図にベッドからのろのろと降りる。
階下に降りて昨日話をした亭主に言えば、きっと食事を用意してくれるだろう。
人見知りな自分は多少どもってしまうかもしれないが、食事の注文ぐらいならできるはず。
いや、しなければシェスに呆れられてしまうだろう。
寝間着から簡素な軽装に着替えようとタンスに目を向けたノウの視界にちらりと気になるものが映った。

「…あっ!」

机に置かれた小さなクッションの上に白い塊が乗っている。

(シェスさんだ!コウモリさんになってる!!)

思わず寝起き姿のままパタパタと机に近寄る。
どうやら眠っているようで、蜂蜜色の瞳は閉じて身体は静かに上下している。
時折耳がパタパタしているのをみて、ノウは思わず目元を緩めた。

(やっぱり、小さくて可愛いなあ。なでたい!)

白い塊を撫でようと手を伸ばしたが、ぴたっと動きを止める。

(で、でも、急になでたらシェスさんおどろいて起きちゃうかな…)

いつでかけたのか、いつ帰ってきたのかわからないが、ぐっすり眠っているシェスを起こすのは迷惑だろう。
それに蝙蝠姿で寝ているのは何故だろうか。
ベッドで寝ると言っていたので、てっきり人の姿で帰ってきて眠るのだろうと思っていたのだが。

(…もしかしておれが起きるまで、シェスさんベッド使わないで待っててくれたの?)

なかなか起きないノウに呆れたような顔をして、机の上でまるまる蝙蝠を思い浮かべると嬉しさと同時に申し訳なくなる。
シェスを起こさないように気をつけながら、ノウは窓のカーテンを閉めた。
机は窓から離れていたが、時間の経過で太陽の光がシェスが寝ているところに差し込んだら大変だと思ったのだ。

(今日は、ちゃんとひとりでご飯たべよう…。シェスさんがゆっくり眠れるといいな)

着替えをすませて扉に手をかける。
年季が入った扉はギシ…っと軋んだ音をたてたが、シェスは机の上で耳をパタパタさせ眠ったままだった。














食事用にシェスから渡されていた銀貨をカウンターにおきながら亭主に声をかけ料理を頼む。
料理を待っている間きょろきょろと周りを見渡すが、繁盛しているとは言い難い客の数だ。
ノウの他にいるのは、男女の客一組と屈強な男の三人組。
男女の客はパンとスープを食べていて、三人組の方は壁の端の円形テーブルで昼からエールを飲んでいるようだ。

「……、…っ……」

三人組をちらりと見たノウは、ホルドナで自分の指南役をしていた髭面の男と隻眼の男を思い出して無意識に身体が強張った。
体格以外は大して似ていないしあの三人になにかされたわけでもないのだが、胃のあたりがきゅうっとしてしまい情けない気持ちになる。
ほどなくして、ノウのもとに宿の亭主が料理を持ってやってきた。

「……ノウ、だったか?ほら、注文された飯だ」
「えっ!?あっ、はい。ありがとう、ございます…」
「いつもは給仕をしている娘がいるんだが、今、遠出していてな。愛想の悪い親父の給仕で悪いが、味はいいと思うぞ」
「あの、あの、だいじょうぶです。ごはん、いただきます…」
「おう。…まったく、あいつが連れ歩いてるとは思えない素直な子供じゃないか。本当どういう風の吹き回しなんだか…」
「おーい!!おやっさん!!エールおかわり!!」
「あー、あー、今行くから大声でがなるな!まったく!!じゃあ、ちゃんと食べるんだぞ」
「うん」

先程ノウが気にしていた男達に呼ばれた亭主がエールをついで持っていくのを見送る。
カウンターには素朴ながら美味しそうな料理が並んでいた。
ほんのり湯気が立ち上るひよこ豆のスープ、焼き立てのパン、瑞々しく黄身がゆれる目玉焼きとカリカリに焼かれたベーコン。
食欲を刺激する香りに思わずゴクリと喉を鳴らす。

――俺一人なら、そこらへんの獣道でもどうにでもなるが、お前を連れて歩くとなるとまともな道をいかねぇとなァ。非常食の味が落ちると困るっつーか?
――ひえ、ひじょうしょく…っ!
――ヒヒヒ。…しかしまともな道行くとなると金がかかる。そしてお前は今のまんまじゃ対して小遣いも稼げねぇひよっこ。多少蓄えがある俺の金だって無限じゃねぇ。

だから、目的地にたどり着くまでは節約するとシェスにいわれ、道中は携帯食が多かった。
それに不満なんてなかったが、やはりまともな食事は久しぶりで。
ノウは夢中で料理を口に運ぶ。

…といっても、よくかんで味わって食べるノウは、とても食べるのが遅い。
本人はガツガツむしゃむしゃ食べているつもりなのだが、はたから見れば、のそのそもぐもぐ食べているようにしか見えない。
まあそれでも食べているノウの綻んだ顔を見れば、美味しいと感じているのは相手に如実に伝わるので悪印象を抱かれることは少なかったが。

「おお、坊主、ひとりかー?」
「……んぐ!?」

食べるのに夢中になっていたノウは、頭上から降り掛かった聞き覚えのない声に食べていたパンを反射的に飲み込んだ。
見上げればいつ近寄ってきたのか、エールを飲んでいた三人組の一人がそばに立ってこちらを見下ろしていた。
焦げ茶色の細い瞳と短く刈り上げた茶褐色色の髪をした浅黒い肌の知らない男だ。
手に持っていたフォークをギュッと握りしめる。

「おい、こら。その子供にちょっかいかけるんじゃない」
「カーッ!ひどいな、おやっさん。別に坊主をいじめようと思って近寄ってきたわけじゃないんだがなあ~。こんな寂れた宿に小さい坊主一人は危ないんじゃないか?」
「え、あ、う……」

見知らぬ男は善意で接してくれているのだろう。
かつて指南役をしていた男たちと違ってその声は高圧的でないし、視線も気遣わし気だ。
しかし、元来の人見知りとホルドナで男たちに振るわれた理不尽な暴力がうまくノウの口を動かしてくれない。

(な、な、なにかいわなきゃ…。ひとりじゃないです、とか、だいじょうぶです、とか、なにか、どう、どうしよう、どうしよう…)

気を使ってくれている相手にちゃんと応えなければと焦りと罪悪感で視界がじわりと滲んでしまう。
泣いたら迷惑だとわかっているのに、じわじわと目尻に涙がたまる自分が情けなくて嫌になる。

「お、おお…?おいおい、どうした?大丈夫か、坊主…」

ノウの様子に慌てた男がすっと大きな手をこちらに伸ばしてくる。
不安げに涙ぐむノウを宥めようとしたのだろう。

(………あ)

振りかぶった大きな手にバシンッと叩かれた記憶が蘇り、反射的にギュッと身体が縮こまった、が。

「――よう、うちのひよっこに何か用か?」

聞き覚えのある蠱惑的な声が聞こえてハッと顔を上げる。

「し、シェスさん…」

いつ起きてきたのか、ノウの傍らにシェスが立っていた。
白銀の髪をしゃらりと揺らしながら自らより頭一つ分は大きい屈強な男を見上げて嗤うその姿は艶やかだ。
端正な顔立ちを彩る蜂蜜色の瞳は眠たげでどこか不機嫌そうに感じるが、それがわかるのはノウだけだろうか。

「ん、あ、ああ…。いや、坊主ひとりなのかとおもってなあ」

ぽりぽりと頬をかく男はどこか困ったように目を逸らす。
ノウはなんとなく少し頬の紅い男の気持ちがわかったが静かに口を噤むことにした。

「あー…、アンタ、あんちゃん…であってんのかね?」
「…おいおい、見たまんまだぜ?」
「その見た目で迷ってんるだが…。いや、まあ、聞いて悪かったよ。声でわからぁなあ…。それと、坊主をおどろかせたのもな。そんなつもりはなかったんだが…」
「…ひよっこ一人に食わせてたのはこっちだからなァ、まあ気にしてねーよ。どうも俺は朝が弱いんで先に食わせてたってとこだ。ご心配、どうも」

シェスが白い手袋に包まれた細い手で男の肩を軽く叩いて向こうに戻るように促すと、男も頭をかきながらテーブルの方に戻っていった。
テーブルの方から「おいおい、だれだあのネーチャンは?」「ずるいぞお前だけ!」「馬鹿!ありゃあネーチャンじゃねーよ!」と騒ぐ声が聞こえたが、シェスは気にしていないのか素知らぬ顔でノウの隣に腰掛けた。

(おれのせいで起きちゃったのかな、シェスさん…)

ベーコンを噛りながらそっとシェスを見れば、本人はくあ…とあくびを漏らしている。

「……何か、されたのか」
「えっ?」

唐突に投げかけられた言葉に、きょとんと首を傾げる。
どこか虚ろな瞳がノウを見ていて、数十秒後先程男に声をかけられていたことについてだと理解して慌てて首を降った。

「う、ううん。あの、子供ひとりでご飯食べてると危ないぞって…」

ノウがそう言うとシェスは興味を失ったようにふいと窓の外へ視線を向けた。

「…はーん。なるほど。ずいぶんと人がいいオッサンだったみてぇだな。まあ、この宿寂れちゃいるが、客層はそこまでクソじゃねぇのは変わらずか」
「おい、黙って聞いてれば!寂れてるは余計だぞシェス!!」
「ひひひ…!」
「あわわ…」

シェスの憎まれ口に亭主が怒りの声をあげたが、本人はニヤニヤ笑うばかりである。

「にしても、お前、まだ食い終わってねーのか」
「う、うん…」

スープはまだ半分残っているし、目玉焼きには手を付けていない。
ノウは本当に食べるのがゆっくりなのだ。
起こしてしまったうえに、食事が終わらず待たせてしまっていることにしゅんと肩を落とす。

「あの、たべるの、遅くてごめんなさい…」
「あ゛?」
「ひぇっ」

じろりと蜂蜜色の瞳がノウを見据えて面倒そうに歪む。
それだけでノウは萎縮してしまった。
美人が怒ると迫力があるというがまさにそのとおりだと思う。

「飯を食うペースなんてばらばらだろうが。ガキが気を使ってんじゃねぇ。んなこと気にする暇があったら飯を食え」
「―、―――」
「なんだよ。ひよこが豆鉄砲食らったみたいな顔しやがって」
「えっ、あっ、うう、な、なんでもない、です」

フォークをそっと口に運びながら俯いたノウは、自然と口元が緩んでいた。

(シェスさん、食べるの遅くても怒鳴ったり叩いたりしないんだ…)

それどころか、シェスはテーブルの向かい側で荷物袋から小物を取り出して整理をし始めている。
本当に食べ終わるまで待っててくれるのだと気づいて、ノウはさっきから美味しいと感じていた食事がもっと美味しくなったような気がした。

「おい、ひよっこ。それ、食い終わったらお前の武器と防具を買いに行くぞ。つってもまずは初心者用の木刀と皮の胸当てと膝当てだけだ」
「えっ、でも、おれ、武器と防具もらってるよ」

ホルドナで支給された武器と防具がまだ確かあったはずだ。
あれは使わないのだろうか。
ちょっと変な匂いがしたので率先して使うつもりはなかったが、お金がかかるだろうから我慢しようと思えば我慢できる。
そうノウが尋ねれば、シェスが肩をすくめてじろりと睨んで皮肉交じりにつぶやいた。

「ばーか。あんなブカブカのサイズが合ってない防具に持ち手があってない武器なんぞ役に立つわけねーだろうが」
「うえ…」
「あれは売っぱらう。粗悪品ばっかでたいした金にはならないが、しかたねぇ。いいな?」
「う、うん」
「……終わった後は気になる店があればみりゃあいい」
「……!!ほんと…?」
「こんなことで嘘ついてどうすんだ。金に余裕はねぇから何でもかんでも買えるとは思うなよ」
「う、うん!!うん!!」

昨日ちらっとみかけただけでもきになっていた店はたくさんあった。
武器と防具も選んでくれるというのだからノウに心は浮き立つばかりだ。

「も、もうちょっと急いで食べる…っ」
「くく…っ、それで喉につまらせんのか?」
「つまらせないよ!?」

意地悪く嗤うシェスにあわあわと否定を述べながら、ノウは少しだけ早くフォークを動かすことにした。

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