夜明けの星01

小さな村に二つの人影があった。
一人は白絹のように透き通った白銀の髪に、蜂蜜色の釣り上がった瞳が印象的な神父服をきた青年。
日傘をさして歩く姿は、風がひんやりとしたものにかわり、日差しが弱くなりはじめた今の季節にはやや場違いではあるが様になっている。
整った容貌と小柄な身体も相まって、時折遠目でささやく声には性別に関する戸惑いが混じっていた。
 
もう一人は十代前半ぐらいのあどけない顔立ちの子供だ。
褐色の肌は隣を歩く神父の色白の肌と対照的で、くすんだ金髪と細い瞳はなんとも素朴な印象を周りに抱かせる。
身長は神父服をきた青年の肩よりもだいぶ下だ。
 
白い手袋に包まれた細い指と褐色の丸みを帯びた指は意外としっかりつながっており、よくよく観察すれば子供の歩幅に神父服の青年はあわせて歩いているようだった。
身寄りのない子供を教会へ連れて行くのだろうかと眺めていた村人の一人が小声でつぶやく。
両親を失った孤児、生活が困窮し手放されることになった子供を教会が引き取り連れていくことは少なくない。
教会関係者ではなく、奴隷商人が連れて行くこともあるが。
 
「…ちょっといいか、お嬢さん」
「えっ、あっ、は、はい!なんでしょう…!!」
 
それとなく歩いていた観察していた一人の村娘は、件の青年に突然声をかけられ大げさに身体をはねさせた。
ぼんやり眺めていた間に思いの外近くに来られていたらしい。
村で暮らしている素朴な娘にとって、神父服を着た青年の美貌は思っていた以上に刺激が強かったのだ。
 
「馬車に乗りたい。今日この村に乗合馬車はくるか?」
「あ、き、きますよ!ええとたぶん夕日が沈む前には…。でも今日の馬車には乗れないかもしれないです。基本前日に予約しないとだめだったかと…」
「そうか、わかった。ありがとな」
 
しどろもどろに答える娘に、艶やかに微笑みかける。
それだけで娘は赤く茹で上がった顔をわたわたと両手で隠しうつむいてしまった。
 
「馬車に乗るぞ、ひよっこ。めんどくせぇが、まずは予約だな。ちゃんとついてこいよ」
「う、うん…」
 
神父服を着た青年は、子供の手を引いてその場を離れる。
村の井戸があるあたりに馬車がやってくるらしいのでそこで待つことにした。
子供に向けた言葉は先程よりも荒く、見た目にそぐわぬガラの悪さだったが、幸か不幸か娘の耳には届かなかった。
 
 
 
 
 
町から村へ、村から町へ。
ガタゴト、ガタゴトと馬車が揺れる。
自分の馬車を持たない行商人や平民にとって、遠方へ向かう交通手段に馬車は欠かせないものだ。
世には、飛行船や飛竜便などといったものもあるらしいが、それこそどれほど財が必要なのかわからない。
 
交通手段として使用される馬車は、基本的に他人との乗り合いである。
このあたりでは、前日までに規定の時刻に出発する馬車の乗車を予約しておき、当日同じ時間に乗る予定の乗客とともに馬車に乗り込むのだ。
 
神父服を着た青年――シェス――と、あどけない顔立ちの子供――ノウ――は、港町ホルドナから離れ、とある大都市に向かっていた。
そこにはわけありの冒険者でも仕事をちゃんとこなせば長期滞在を許可する宿がある。
ひとまずそこへ向かうことにした。
 
もちろんノウが帰りたがればシェスはノウをさっさと手放してやるつもりだ。
そう思っているならノウが住んでいた山村方向に連れて行くべきなのだが、シェスは無意識に山村の場所や帰りたい旨を訪ねることを避けていた。
ノウの方もちらちらとシェスの方に視線をおくってくるが、故郷のことを口に出してこないので、ならばいいかと、シェスは気づかないふりをしている。
 
ノウはシェスにピタリとくっついたままきょろきょろとしていたが、乗り合わせた初老の女性に飴玉をもらっていた。
"綺麗なお姉さんと一緒で素敵ねえ"と聞こえてきたが、否定するのも面倒だったので肩をすくめて微笑んで礼をしてしておいた。
 
「え、あ、は、はい…」
(いや、お前は否定しろよ)
 
蝙蝠姿のときから思っていたが、どうもノウは口下手というか人見知りするようで、シェスの性別が間違われたことに対してもしどろもどろに答えて結局否定できていない、
夫らしき初老の男性が、シェスの笑みにうっすら顔を赤くして身動ぎ、初老の女性が「もう」と眉を寄せて男性をつついていた。
性別を間違われたぐらいでグダグダ訂正するのも面倒だとシェスは思っている。
今日出発する馬車は朝早くに出発する便しか空いていなかったため、夜が活動時間であるシェスはまともに眠ることができていないのだ。
正直なところ、眠たくて仕方がない。無駄なエネルギーを使いたくなかったので移動中静かに過ごすことにして身体の力を抜いた。
ノウが馬車からうっかり転げ落ちないように気を配りながら狭い馬車の中を見渡せば、相乗りになった初老の夫婦、商人風の男がシェスやノウと同じように馬車に揺られている。
 
(……馬車。相乗り、か)
 
遠い昔に馬車に揺られていた記憶がシェスの脳裏に蘇った。
柔らかくほほえみながら些かずれた発言をする彼の人。
勢いにまかせてこちらがとめるのもまもなく、道中に現れた妖魔を素手で殴り倒す彼の人。
呆れ怒る自分をなだめる乗り合わせた冒険者の男女と、苦笑を浮かべる御者。
 
(……違う)
 
今とは全く違う顔ぶれ、時間帯だって、天気だって、場所だって違う。
ああ、それなのに、ひどく心がざわついて気分が悪い。
早朝から起きておかなければならず、忌々しい太陽の光が馬車の隙間から見えるせいでこんなに気分が悪いのだろうか。
光から目をそらすように、シェスはそっと瞳を閉じた。
自分にピタリとくっついているノウのくすんだ金髪が一瞬見える。
 
ああ、あのころは。自分もこんな色の髪だったのに。
 
視界に映る白銀の髪は、確かに美しく感じることもあるがまるで老人のようだとも思う。
自分の実年齢を考えればそれはあたりまえのことのような気もするが、生憎見目は若々しい20代前半のまま変わることがない。
変わることが、ないのだ。
 
「……、………」
 
どろどろと浮かび上がってくる衝動を抑えつけて、意識を鎮めた。
ノウが気遣わしげに自分を見上げていたことにシェスは気づかなかった。
 
 
 
 
 
眼を閉じてしまったシェスを見上げながらノウは揺れる馬車の中で飴を口に入れた。
初老の女性がくれた飴はほどよい甘さで美味しい。
ガタゴトと馬車が揺れるたび、シェスの透き通った白銀の髪がノウのほうにパラパラふりかかってきて実はくすぐったいのだが、なんとなくノウは離れたくないと思いそのくすぐったさを耐えることにした。
こそっと毛先を掴んでみたが、シェスは気づいてないのかどうでもいいのかじっとしたままだ。
 
シェスに廃屋で手当をされてそれからずっとノウは連れ回されていたが、思ったより疲労は感じていない。
ノウの疲労が限界に達する前に、村で、道中で、シェスが小休止を入れたり宿をとってくれていた。
別の馬車で移動していた際、揺れが酷くて外に転がり落ちそうになったときもさっと抱きとめて隣に戻してくれた。
 
シェスは素っ気ないが優しい人だとノウは思う。
本人にそう言ったら、きっとひどく不機嫌そうに笑うという器用なことをしながらこちらの頰をつねりそうなので口にしないが。
 
(…またコウモリさんになってくださいっていったら怒られるかなあ)
 
髪をくるくると手遊びしながらノウはぼんやりと白い蝙蝠を思い出す。
シェスは蜂蜜色の瞳をもった白い蝙蝠に姿を変えることができるのだ。
 
今思えば、たしかにただの蝙蝠にしては賢すぎたかもしれない。
とりとめのない故郷の話に相槌をうつタイミングは完璧だったし、ノウが殴られた日に薬草をすりつぶしてつけてくれたのも、きっとわかってやってくれたことだったのだろう。
ふわふわの首周りの白い毛や高めの鳴き声を思い出してノウは微笑んだ。
 
(シェスさんと、コウモリさんが同じってわかってるけど、なんだかふしぎだなあ)
 
あの白い蝙蝠と、今自分の隣で瞳を閉じているシェスが同一人物だと知っても、実感するにはまだ時間が必要だ。
なにせ人間の姿をしているシェスはとても綺麗な顔立ちをしていたのでなんだか気後れしてしまうのだ。
 
 
――しばらく面倒を見てやる。なにせお前は"非常食"だからなァ。その間に自分のなりふりを決めな。俺がお前を食っちまう前によ。
 
 
数日前に言われた言葉を記憶の中で反芻する。
シェスがどういった存在であるか、ノウは知っている。
 
 
――随分と余裕ぶりやがって。俺の姿をみてまだわかんねーのか?
 
 
そういって背に白い翼を広げ、八重歯を見せて嗤う姿。
夜に生きる血をすする鬼、そう。
シェスは吸血鬼だ。
 
(……失敗したら、食べられちゃうのかな。痛いのはやだなあ)
 
シェスが理不尽に殴ってくることなんてなかったが、自分が取り返しのつかない失敗をしたらきっと怒られてしまうだろう。
もしかしたら本当に食べられてしまうのだろうか。
以前自分の指南役をしていた男二人を思い浮かべてぎゅっと目を閉じた。
あのときは必死に堪えていたものの、やはり理不尽な暴力を振るわれた恐怖は消えきっていなかった。
 
「…、……」
 
ふるりと身体を震わせながらシェスの方にもう少し寄りかかる。
やはりシェスから反応らしい反応は返ってこなかったが、突き返されないだけいい方だろうか。
少し人見知りであるノウは、シェスが寝ている間に乗り合わせた客たちと会話することもできず手持ち無沙汰だ。
 
(あっ、シェスさんの髪ぐしゃぐしゃにしちゃった…。ど、どうしよう…)
 
先程からずっとくるくると遊んでいたせいで、シェスの白銀色の髪が一部絡まってしまっている。
あわあわしながらゆっくり紐解き直すが、不器用なノウでは時間がかかりそうだった。
こんな状態でも何も言われないので、もしかしたらシェスは寝てしまってるのかもしれない。
そういえば、吸血鬼は夜起きて、朝に眠るものだったことを思い出す。
だというのに、基本的な移動が昼であることが多いのは何故だろうとノウは考えて思い至る。
 
(シェスさん、俺に合わせて朝でも起きてくれてるんだ…)
 
なんだか申し訳なくてでも嬉しくて胸が暖かくなる。
見た目も性格も全く違うが、鈍くさい自分を気遣ってくれた故郷の兄や姉を思い出して懐かしくなった。
 
(どうしてここまでしてくれるんだろう…。コウモリさんのときも仲良くしてくれたし)
 
小さい頃に会ったことがあるのかと思ったが、物心つく頃に会っていればこんな綺麗な顔立ちを忘れるはずがないと思う。
なにせ、はじめは女性だと思ったのだ。
初めて声を聞いたときは見た目にそぐわぬ低い声と荒い口調に目を白黒させた。
今は流石に間違えないが、それでも驚くときは驚いてしまう。
 
(そういえば、俺がおじいちゃんにもらったお守りのことすごく気にしてた。シェスさん、おじいちゃんのともだちだったのかなあ)
 
首から下げている巾着袋にそっと手を這わせる。
色あせた亜麻色の巾着袋は、以前は解れがひどく薄汚れていたが今は少し綺麗になっている。
一週間前、シェスがどこからか裁縫道具を取り出して綺麗に繕い直してくれたのだ。
 
 
 
――お前のじいさんとばあさんは?
 
 
 
シェスの細くたおやかな指が、銀色の針でくるくるとほつれを整えていく様子を眺めていると、ふいにそう尋ねられたのをノウは思い出す。
ぼんやりと一週間前に交わした会話を記憶から掘り起こしていく。
 
 
 
――えっと、おじいちゃんもおばあちゃんもいなくなっちゃった。
 
 
 
慕っていた祖父と祖母は空に昇って神様のもとにいったのだと村人たちが言っていた。
そう伝えた瞬間パキンッとなにかが折れる音がしたが、ノウがそれよりも気になったのは。
 
 
 
――かみさま。
 
 
 
小さな子供のように、たどたどしく一言つぶやくシェスの方だった。
自分に向ける戸惑うような不機嫌そうな笑みも、道行く人に振りまく艷やかな眼差しもそこにはなく。
まるですべての色が抜け落ちたかのような虚ろな瞳がこちらを見ていた。
 
 
 
――う、うん。かみさま。
――かみさま、かみさまねぇ。馬鹿だなお前。
――えっ。
――神様なんて。いねぇよ、ふふ、ハハハ。
 
 
 
巾着袋がシェスにぎゅうっと握られる。
 
 
 
――レアンとアンナがもういねぇなら、ルギオももういねぇよなァ。
 
 
 
ルギオというのが誰だかはわからないが、レアンとアンナというのはノウの祖父母のことだろう。
嗤うシェスの声が震えていた。
 
 
 
――ああ。
 
 
 
シェスが嗤いながら新しい針をとりだして巾着袋を手際よく繕い直す。
 
 
 
――――ああ、ああ、ああ。
 
 
 
謳うように漏れる声はどこか楽しげで悲しげで、理由がわからないノウの胸すらざわつかせた。
 
 
 
――――――ああ、みんないなくなった。
 
 
 
シェスの顔は酷く朧気に揺らぎ、継ぎ接ぎだらけの瞳が揺れていた。
だというのに口元はいびつに弧を描いているのだから、明らかに異様である。
 
 
 
――――――、――シェスさん…。
 
 
 
そろりと声をかけたが、シェスは巾着袋を繕う手元に視線を向けたままこちらを見ない。
 
 
 
 
 
 
 
 
なぜだかそれが、ひどく悲しいとノウは思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
ガタンッと馬車が揺れ、ノウの意識が現実に引き戻される。
きょろきょろと周りを見れば、未だ馬車の中なのだと思い出した。
隣には変わらずシェスが目を閉じてじっとしている。
こうしてくっついているというのに、ノウに伝わってくるのはひんやりとした感覚ばかりで。
 
(シェスさん、ひんやりしてる…。これから寒くなるけど大丈夫かな)
 
吸血鬼は体温がないのだとシェスは言っていた。
それだと冬は体が冷えてとても寒いんじゃないかとノウは思う。
 
(おれ、体温たかいから、シェスさんがさむそうにしてたら暖めよう…)
 
うん、と強くうなずいてノウは馬車の外を眺めた。
ガタゴト、ガタゴトと揺れる馬車は野盗や獣に襲われることもなくゆったりと走っていく。
 
次の村を経由したら、目的地である大都市につく。
今度は頑張ろう、とノウは決意を新たにした。
港町ホルドナでノウとシェスが出会って、それから数週間がたっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみに、起きたシェスが絡まった自分の髪を見て、ノウの頬をぐにぐにと抓ったのは仕方がないことだった。

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