白霧の月03

「おれの家、ここじゃなくて山奥の村なんだ。野菜を育ててるんだよ」
「…キイキイ」


路地裏でひっそりと過ごしていたシェスの環境は少し騒がしくなった。
先日迷い込んできた子供が、何を思ったのか定期的にシェスのもとに訪れるようになったからだ。
当初奇声をあげて驚いたシェスは、再び木箱のすき間に逃げ込んで子供を威嚇したが、子供は木箱に果物やパンの欠片を置いて様子を見てくるだけで、以前のように突然捕まえようとはしなかった。
シェスが落ち着くまで待つつもりらしい。
そうそうおとなしく出ていってやるつもりなどシェスにはなかったのだが、幾度も子供はシェスの様子を見に路地裏までやってきて、じっと根気よくシェスがでてくるのを待ち続けた。


根負けしたのはシェスの方で、そのうち渋々と木箱のすき間から姿を覗かせるようになるまでそう時間はかからなかったのだった。
今ではすっかり茶飲み友達――かたや子供、かたや白い蝙蝠だが――である。


「それでね、ミウ姉さんのつくるごはんはとてもおいしいんだよ。ロウ兄さんはすごく強くて、リウ兄さんはとても頭がいいんだ~」
「……キェ~」


聞いてもいないのに(蝙蝠姿だから当たり前なのだが)、子供の名前が”ノウ”だということ、ノウには兄弟姉妹がたくさんいること、両親は山奥で農作物を育てていることなど、必要ない情報を次から次へと手に入れてしまっているシェスである。
いつのまにやらノウの話し相手になってしまっている現状に首を傾げたくなったが、ノウは気にせずシェスにいろんなことを話しかけてきた。
そもそも蝙蝠に話しかけている時点で返答など期待していないのだろう。
ではなぜ話しかけるのかと言われるとシェスにもわからないが。
たまに表通りでペットの犬にはなしかけている人間がいるので、その類なのかもしれないが。


(こいつ、よくもまあ一人でぺちゃくちゃとしゃべりやがるな。ダチがいねぇのかよ。そもそも、山奥育ちっつーなら、なんでこんな港町にいんだ?)


ノウがレアンにやったはずの巾着袋を持っていたのもあるが、シェスも毎日暇を持て余していたので、気まぐれに鳴いて反応してやりながらノウの暇つぶしに付きやっている。
朧気な記憶をたどり、レアンも確か農作物を育てて収穫する人員として孤児院を出ていきどこかの領地へ引き取られたことを思い出した。
そのままあの領地で生活しているのだろうか。
ノウの話を聞いているうちにレアンの話が出るかもしれないという淡い期待をシェスは抱いていたが。


「あのね、だいふく」
「ギエエエエエエエ!!!」


呼びかけられた名称に思わず怒りの叫びを上げることになった。


「わああーー!?どうして急に歯をむき出しにするの!?しらたまのほうがよかっ…」
「ギエエエエエエエエエエエ!!」
「わー!ごめんなさい!!ごめんなさい!!!」


バサーーッと白い翼を広げて怒りを顕にする。


(このガキ、俺に大福だの、白玉だの、好き勝手に食い物の名前をつけやがって!!俺はそんな名前じゃねぇ!!)








そう。意思の疎通ができないシェスに対して、ノウは何を思ったのか勝手に名前をつけ始めたのだ。
しかも大福だの白玉だのクリームだの、あきらかに白っぽくて甘い食べ物で統一してくるのだからたまったものではなかった。
人間だった頃確かに甘いものは好んでいたが、別に自らの名前にしたいとは思わないし、この子供は自分を何だと思っているのか。


「だいふく、いい名前だと思うんだけどなあ…」


まだ諦めていないノウをじとりとにらみながら、シェスは木箱の上に置かれたパンの欠片を口に含んだ。
やはりシェスには味がわからない。味のないパンの欠片はまるでスポンジを噛み締めているようにしか感じられず、思わず顔をしかめてぺっと吐き出してしまった。


「あっ…!パンきらいなの?うーん…、こうもりってパンは食べないのかなあ…。りんごは興味あったみたいだから、今度持ってこれたら果物をもってくるね」
「キェ~」


ノウは次もまたなにかもってくるつもりらしい。


(いらねぇよ。味がわからねぇんだから。っつーか、お前がこう頻繁にこなけりゃ食事に出かけられるんだよ)


悩ましげにしているノウに蝙蝠姿のシェスの言葉は届かない。
シェスは心の中で悪態をつきながら呆れ混じりに耳をパタパタ動かす。
定期的にノウが路地裏へ顔を出しに来るのは、日中シェスが木箱のすき間で微睡んでいるときだ。
吸血鬼と化したシェスの活動時間は夜で、食事と言う名の残虐行為に出かけるのも夜なのだから、日中ノウが来ようと食事とは関係ないと言われればそれまでなのだが。


深夜食事をとって早朝に戻ってきたときに限って、極稀にノウがもう顔を出しにきていたりするのだ。
見当たらないシェスを心配して、”だいふく、だいふく、いないの…?”などと、人が認知していない呼び名で呼ばれたのには参ったし、うっかり返り血を落としきれず体毛に血が残っていたせいで、ノウが心配でべそべそと泣くものだからうんざりしたのもついこの前のことで。


(ガキがぴいぴい鳴いてるとうるさくてしかたがねぇ…)


子供の泣く声がシェスはきらいだった。
もう人間時代の感覚を忘れて久しいが、子供が泣くと嗜虐心を刺激されて思わず噛み付いてしまいそうになる自分と、遠い過去に置いてきぼりにした血のつながらない子どもたちの兄貴分として吟侍がぐちゃぐちゃに入り混じってわけがわからなくなるからだ。
だから仕方なく深夜の食事徘徊を以前より控えた結果、最近のシェスはエネルギー不足気味だ。
「なぜそこまでするのか」と問われれば、「よくわからない。ただなんとなく」としか答えられない。


ちらりと木箱に置かれた亜麻色の巾着袋に目をやる。
ノウはいつも巾着袋を大事そうに首元にぶら下げていたが、今日は珍しく取り外していた。


「キィキィ」


とてとてと巾着袋に近づいて、羽根先でちょいちょいとつついてみる。
間近でみてもやはりそれはシェス自身がレアンに作ったもので間違いなかった。


「あっ!だめだよ、だいふ」
「ギェエエー!!」
「アーーっ!ごめんなさい!!なんだろう、だいふくっていうとすごいおこる…。言葉がわかるのかな…。それともなにか聞こえ方がいやなのかなあ…」


再び勝手な名前で呼ぼうとしたノウに翼を広げて怒りを顕にする。
だいふくなんて名前で定着してたまるかと、バサバサとシェスがノウの周りを飛びかえば、ひゃー!と悲鳴を上げながら、ノウが両手でばっと顔を隠して身をすくめた。
しかしさりげなく巾着袋は回収しているのだから意外とちゃっかりしている。


「……。キィ」


ひとしきりノウの周りを飛び交ったシェスは、やがて気を取り直して木箱の上へ戻っていった。
ノウはギュッと巾着袋を握りしめている。


「うう、びっくりした…。でも、だめだよう…。この巾着、大事なものなんだから」
「キェー」


(そんな色あせた布切れの何が大事なんだよ)


人の姿であったなら、きっとそんな悪態をついていただろう。
似たようなセリフをいつの日か吐いたことがあったかもしれないが、今のシェスにはあまりにも遠い出来事でそれがいつだったか、誰に言ったか思い出せない。


「あのね、これ、大事な"お守り"なんだ。だから、その、持って行かないでほしいな…」


――僕には、シェスお手製のお守りもあるし。案外明日にはすっかり治ってるかもしれないよ。
――…ん。せっかくだし、布がもったいないから、お守りがわりにでもしておく。
――シェスにぃ、ありがとう…。おまもりにする…。
――わーーい!シェスにぃちゃんありがとう!!大事にするね!!
――ふふ、うれしいわ。もっとキラキラしてたらもっとうれしかったけど!!ありがとう、シェス。


「――、――――」


ノウの言葉に懐かしい声達が蘇り、シェスは蜂蜜色の瞳をびくりと震わせた。
まさか、孤児院の仲間たちが口にした言葉と似たような言葉を、また聞くことなんて思わなかったからだ。


「おじいちゃんがお世話になった人がつくってくれたんだって。おばあちゃんも昔は持ってたみたいなんだけど…。おそろいのお守りっていいよね」


(…………は?)


唐突に落とされた爆弾発言にシェスはギョッと目を見開いた。
人間のように表情をころころ変えている白い蝙蝠に対して、何の疑問も抱いてない程度にはノウはのほほんと緊張感の欠片もなくシェスに普通に接しているから、シェスが内心動揺しているなんて思いもしないだろう。
ぽやぽやとノウは話を続ける。


「レアンおじいちゃんも、アンナおばあちゃんもいつもやさしくて、頭なでてくれて~」


そんなノウが立て続けに口にした内容は、シェスの思考を完全に停止させるには十分すぎる威力だった。


(レアン”おじい、ちゃん”…?アンナ"おばあ、ちゃん"……??)


レアンもアンナもそこまで特殊な名前ではない。
探せば同じ名前の人物もいるだろう。
けれど今ノウが握りしめている巾着袋を持っているレアン、昔似たようなものを持っていたアンナという人物はシェスの知る二人で間違いない。


間違いないのだ。


(…は? あいつらいつそんな仲になったんだよ? いや、アンナはベロニカと同じ屋敷で働いてただろ)


孤児院から屋敷の下働きのためにでていった、妹分。
守ってやれなかった、路地裏で冷たくなっていったベロニカ。
奉公先の主人は悪そうではなかったのに、その息子がどうしようもない男だったことを知って、怒りに我を忘れたシェスは、ベロニカを死に追いやったその男をずたずたに引き裂いてやった。
霧化も魅了も、人でなくなって手に入れた能力であったが、意外と使い勝手は悪くないと知ったのはそのときだ。


ずたずたに引き裂いた肉塊を作り上げる前、シェスはアンナの屋敷で探したが、ついに見つけることはできなかった。
同じ屋敷へ奉公にいったアンナも、ベロニカのようにひどい目にあわされてこの世を去ってしまったのではと思い、虚脱感に苛まれながらベロニカ達がいた街を後にしたのだ。
シェスはアンナが生きていたことにホッとしたが、どこでレアンと再会して、レアンとなぜそうなったのか分からず驚きを隠せない。


(レアンがじーさんで、アンナがばーさんだって?…は、はは、おいおい、そんなに? そんなに何年もたってたのかよ??何年だ、俺が、こうなって、何年…何年…たった……)


自分の弟分と妹分だった二人が老人になっていたことが、自身が完全に時間の流れの外側へはじき出されていることを突きつけてきてシェスを激しく打ちのめす。


(そんで? こいつは、こいつが、二人の、孫……?)


つまり目の前にいるノウは二人の孫だということだ。
確かにレアンは褐色の肌だったしノウの肌も似たような色だ。
じっとノウの髪を観察すれば、アンナの亜麻色の髪に近い色合いの髪をしている、かもしれない。


「………?」


突然身じろぎ一つしなくなったシェスを不思議に思ったのか、キョトンと首を傾げるノウ。
シェスはなんとも形容詞しがたい気持ちでそんなノウを見つめた。
開いてるのか閉じているのかわからないぐらい細い瞳が特徴的な顔立ちは、レアンにもアンナにも似ていない気がしたが、なにせ二人の顔をはっきりと覚えているわけではないので、シェスの判断はきっとあてにはならないのだろう。
たぶんノウの父親か母親がこういう顔立ちなのだろうとシェスはそう結論づけた。


「なんだか今日、元気ない、かな…?大丈夫…?」


ノウはこちらを気遣いながら恐る恐る手を動かした。
まだ丸みが残る褐色の手がシェスの方へと伸びてくる。


「………………」


以前は歯をむき出しにして威嚇の声をあげたシェスだったが、今日はおとなしくノウの動向を見守ることにした。
というよりは、まだ内心混乱が収まっていなかったのでそこまで気が回らなかったのもある。
噛みつかれたことを覚えているのか、ノウの手付きは慎重そのものだ。
やがて、そっと両手でシェスを包んで持ち上げると、ようやくふわっと顔を綻ばせた。


「…、……えへへ。今日はさわってもいいのかな…。だいふ、く」
「シャアッ!!」
「な、なんでもない!だいふくっていってないから!!えっと、えっと、こうもりさんはひんやりしててきもちがいいね。わあ、首の周りがふわふわしてる」
「……キィ~」


ノウはシェスをもみくちゃにはしなかったが、胸元の毛に指を突っ込んだり、頭をそろそろとなでたり、全身をもちもちしたりと、思いのほか遠慮なく触ってくる。


「こうもりさんがさわらせてくれて嬉しいなあ…。村にはにわとりとかひよことか馬とかいてね、やさしいこは撫でさせてくれたり、だっこさせてくれたりしたんだ。またさわりたいな…」


ノウが言っているのは自分がこの港町にくる前に暮らしていた山奥の村のことだろう。
農作物を育てながら、家畜の世話もしていたのだろうか。
港町にも野良猫や鼠がいたりするが、警戒心が強いものが多くてなかなか気軽に触れるものでもない。


「キェ~~」


孤児院で仲間や子どもたちによくもみくちゃにされていたシェスなので、別にスキンシップが嫌いなわけではない。
嫌いではないが、一方的にもちもちと触られるのは何とも複雑な気分だ。
なにせ今のシェスは、子供の両手でも簡単に包み込まれるサイズなので、頭から足先まで好き勝手に触られるとこそばゆくて仕方がない。
けれど。




(ガキの体温って、高いよなァ。………忘れてたぜ)




他人から与えられる久しぶりの温度が懐かしくて、温かくて。
その日はノウが満足するまで好きなようにさせたシェスだった。

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