朝を連れてきてくれたひと 前編

 

サナギの昔の話。
実験体、子供への暴力表現、奴隷などの表現が随所に出てきます。 この作品はあくまでフィクションですが、不快感を感じる方は閲覧をお控えください。

 

日が差し込むことがない薄暗い地下。
赤黒い染みが飛び散る重厚な壁。 
鼻につく薬品の匂い。 
異臭を放つ布切れに包まれた、赤黒く変色した丸いもの、四角いもの。 
見渡す限りに広がる、コポコポと音をたてる巨大な筒。 
筒の中にはどろりとした液体が注がれて、中には粘土のようにこねられてつながれた何かが蠢いている。 

点在する大小交えた鉄格子でつくられた黒い箱にも色んなものがしまわれていた。 
鉄格子の隙間から何かに縋るように腕のような棒状のものがのびて、溶けて、無機質な床の上を流れていく。 

――実験場と称されたここは、地獄だった。 

「なんだ、また失敗か。配合率を間違えたなあ。せっかく面白い特性が出たからもう少し検証をしたかったのに」 

流れていった液状の何かを横目でみながら呟く男が一人。 
薄暗い地下に広がっているのは、この場にいる白衣に身を包んだその男の無邪気な悪意と好奇心の成れの果てたちだ。 

「お前もだよ。被検体ナンバー0371。せっかく珍しい素材をたくさん集めて母体まで用意したのに、想定以下ので出来になってさ」 

男は心底がっかりしたとでも言いたげにため息を付きながら口を開く。 
目の前には人が一人は入れるであろう筒が鎮座していた。 
液体で満たされた筒の中で、被検体ナンバー0371と呼ばれた存在は男を虚ろに見つめている。 

彩度の低い緑色の髪はぼさぼさで腰近くまで伸びており、未発達の身体は無数の傷に覆われている。 
小柄であどけない容姿を一般的に表現すれば、筒の中にいる被検体ナンバー0371は五歳児程度の人間の子供そのものだ。 
生気のない紅い瞳は薄暗い室内で煌々と輝いていたが、そこには何の感情も見えなかった。 
最低限の衣類をまとった被検体ナンバー0371の腕や足には異様な模様や鱗、蔦のような模様が入っている。 

「多少の自己再生能力と鉄を粉砕できる力程度じゃ全く割に合わないんだ。聞いてる?」 
「………」 
「ああ、でも…顔をきってみたけど傷が塞がるの早くなったかな? ただ、傷跡が残るんじゃやっぱり欠陥品だなあ」 
「………」 
「そういえば最近はうめき声も泣き声もあげないね。うるさいよりこっちのほうがいいけど」 

男はぺらぺらと筒の中へと話しかけるが、返答は一切ない。 
そもそも男は被検体ナンバー0371に言語学習を行っていなかったし、まともに話しかけたのは今回が初めてだ。 
そのうえ筒の中は特殊な液体で満たされている。 
会話をする気など毛頭ないのだろう。 

「配合元のキメラのほうは満足できる能力だったけど、組織の結合力が不安定で活動限界を少し超えただけで一部の組織が溶けて崩壊してしまうからなあ。母体からうまれれば安定した状態で新しいのが生まれるとおもったのに、出てきたのは下位互換にも満たないお前だし」 
「………」 
「結局キメラは身体が崩れてしまったからまた素材の集め直しか。骨が折れる。竜の幼体、人魚、人狼は捕まえてくるのが大変だったし、比較的丈夫だって聞いて母体にしたドワーフもだめになってしまったし。影で構成された魔法生物の核、レッサーデーモンの羽根、人魚の声帯、竜の幼体から取り出した組織と鱗、人狼の腕、人食い獅子の頭、シーサーペントの牙、アルラウネの…あげるとキリがないからもういっか」 
「………」 
「もう少し調整が終わったら、お前は売るから。本当はこんな失敗作廃棄処分したいんだけど、お前って意外と丈夫で廃棄するのに手間がかかるんだよね。お前を廃棄するためにあてがった別の試作品はぐちゃぐちゃにするし。もっと強いのもいるけど、気に入ってる被検体に悪影響がでるのはゴメンだ。研究資金の足しになる額も提示されたし、向こうで精々役に立ってよ」 
「………」 
「何だったかな。ああ、そうそう。戦闘や裏で嗅ぎ回るネズミの処理に使えるのがほしいってさ。まあそれぐらいならお前も役に立つんじゃない?」 
「………」 
「変身能力とか変形とかできればもっと遊び甲斐があったのに。まったくつまらない!」 
「………」 

男がぺらぺらと喋り続け満足しその場所から立ち去っていくまで、被検体ナンバー0371はそれを虚ろに見つめていた。 
男が立ち去ってからしばらくして、遠くから男以外の何かの断末魔が聞こえる。 
それにも一切反応を返すことなく、被検体ナンバー0371は静かに瞳を閉じた。 

栄養は培養液の中で補給され、耐久実験は多岐にわたり、行われた所業をあげてもあげてもキリがない。 
絶え間なく与えられる激痛に、被検体ナンバー0371もはじめは悲鳴をあげ涙を流し叫び声を上げていたが、いつ頃からか表情は動かなくなり、声を上げることもなくなった。 

「……」 






幾度かの夜、被検体ナンバー0371は強靭な檻に収容され、別の場所へと輸送された。 





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「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」 

咆哮が轟くのは開けた舞台。 
周りをぐるりと囲む観客席。 
夜ごと開かれる妖魔と奴隷の一騎打ち。 
闘技場と呼ばれるその場所で、先程咆哮をあげた体長3メートルを有に超える妖魔が、相対していた相手に襲いかかる。 
妖魔が飛びかかった先にいたのは、彩度の低いぼさぼさの緑髪の子供、371(今は被検体ナンバーまで含めると長いという理由で番号のみで呼ばれている)だった。 

「――!!」 

妖魔の豪腕が371の、10にも満たない子供の身体を殴り飛ばす。 
ゴキリッ、と異様な音を立て、371の身体は地面を数回バウンドしながら壁に叩きつけられた。 

ウオオと観客席から声が上がる。 
痛々しさに目をつむるものなど一人もいない。 
妖魔がどうなろうが、相対している人間がどうなろうが、楽しめればそれでいい。 
ここではそれが日常なのだ。 

そして相対していた貧弱な、かよわそうな身体の子供が。 

「…、……」 

先程壁に叩きつけられたのが嘘のように起き上がり、地面を蹴り弾丸のように駈け、妖魔の身体へと張り付いて。 

「…っ、…」 
「…!!ガッ!!」 

ミシ、ミシミシ…ッ 

「…っ、…」 
「ギッ…!!…!!」 

暴れる妖魔をものともせず。 

「…っ、――!」 
ブチィッ!!! 

「――――――――――――!!!」 




断末魔を上げる間も与えず、相対する巨大な妖魔を壊して潰して引きちぎった。 
どしゃり。と妖魔の一部が闘技場に転がり、371の身体が妖魔の血で真っ赤に染まる。 




オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!! 

そんな異様な光景に観客席から盛大な歓声があがる。 



――日が差し込むことがない薄暗い地下と赤黒い染みが飛び散る黒い壁の次は、血なまぐさい闘技場が371の世界になった。 



「よくやった371。観客は大盛り上がりだ」 

上機嫌でそういって近寄ってくるのは、371を買い取った闘技場も経営している奴隷商人だ。 
371を称賛する声は弾んでいるが、その眼差しは路端の廃棄物を見るように歪んでいる。 
産まれたときから似たような扱いを受けていた371は奴隷商人の態度を全く気にせず、今日は食事が出るのだろうか、と淡々と考えていた。 
食事がとれることによる満足感や喜びを言葉にする術はないが、生物の本能として食事が必要だというのは理解している。 

観客を楽しませることが出来ず妖魔に身体を叩き潰されたときは、食事の代わりに罵声と鞭が飛んできた。 
371はそれに恐怖や悲しみを感じる精神を持ち合わせていなかったが、食事が取れないのは困ると感じた。 

空腹になると、自らの身体から黒くうごめく物体が現れて、その場に居合わせたネズミや虫を飲み込んだりするからだ。 

それをたまたま見かけた奴隷商人や取り巻きに気味悪がられ、何度か鞭を振るわれた。 
痛みはなかったが、しばらく動けなくなったせいかさらに機嫌を損ねられ、途中からは何があったか覚えていない。 
自らの身体から流れる赤い液体の広がる生暖かい石の床に転がりながら、朝も夜もわからず時間が過ぎていく。 

一日という概念すらも371の中には存在していなかった、 
371の中にあるのは、薄暗い地下の実験施設と、冷たい石のある収容場所と、夜に行われる悪趣味な娯楽のために駆り出される闘技場だけ。 




――371の中には【夜】しか存在しない。 




そんな日々が続く中、試合で使う妖魔を捕獲するため371が連れ出された日があった。 
妖魔を生け捕りにするのを生業としているハンターに頼むこともあったが、371の化け物じみた怪力と丈夫さ、それに加えて自我や感情が希薄で、機械のように従順に、淡々と命令を実行する方が使い勝手が良かったのだろう。 
生け捕りに出来ずばらばらになってしまった個体もいたが滞りなく作業は進み、371が奴隷商人とその取り巻きに連れられその場を離れようとした矢先。 

「…、……」 

371の視界の端に、小さな泉が映った。 
連れ出された時間帯は、夜の帳が下り始めた頃だったので、今は夜だ。 
月明かりに照らされた光で青白くゆらめくその泉は、ひんやりとした心地の良い空気を纏っている。 

実験施設にいたころから、371は特定の色彩と特定の物体に強く惹かれていた。 
泉、川といった水場もその一つだ。 
まるで母体のなかに満たされた暖かな水に揺蕩っていたころを知っているかのように、371は水場をみかけると思わず身体が動いてしまう。 

そのまま引き寄せられるように、371は泉へ歩を進めようとした。 
途端、371の首に腕に足にはめられた枷が重量を増し、首にはまっている枷から伸びた重厚な鎖がひっぱられ、地面へどしゃりと倒れ込む。 
勝手な行動をするなと声が聞こえ、何かがしなる音のあとに背中と足に赤い線が走り、熱を帯びる。 
はめられた枷は対象の行動を束縛し支配する紋が刻まれている。 
枷の数は五つ。 

371がいる場所には他にも妖魔と戦うためであったり、雑用を行うためであったり、捨て石のように消耗されるために買い取られた奴隷が在籍している。 

その者たちにも似た枷が嵌められているが、たいてい一つ、多くても二つ程度だ。 
五つも嵌められている371の異様性がこれだけでも伝わるだろう。 

371は便利な道具として重宝され、奴隷として蔑まれ、異様な化物として恐れられていた。 

引きずられている371の視界の端に、きらりと小さな光が見えた。 
反射的にそれを掴む。 
奴隷商人は気づかなかったのか371を強引に起こすとそのまま移動を再開した。 







371が掴んだのは青いガラス玉だったらしい。 
丸くて、透き通っていて、それはとても素晴らしいもののように感じた。 

生憎371はそれが何であるか、何色なのか、言葉にする術をもたなかったが、ひんやりとした心地の良い色とまんまるとした柔らかい造形は、動くものを壊して潰すとき以外に揺らめくことがなかった371の何かが波打つ気がした。 
この数日間、371は闘技場や別の仕事で駆り出されるときをのぞいて、その青く美しいガラス玉を自らの怪力で砕かないよう気をつけながら、意識が途切れるように眠るまでただずっと握りしめていた。 
そこには微かではあるが自我というものが存在していたのかもしれない。 

「――ええ、ええ。ここにはいろんな商品がありますので。お気に召したものがあれば是非に」 

あくる日、コツコツ、と二人分の足音が聞こえ、奴隷商人の猫なで声が廊下に響く。 
奴隷として収容されている誰かが言った。 
「客だ」と。 

見目麗しい者、丈夫な者、強い者、賢い者。 
ここにはいろんな奴隷がいる、 
時折物好きな好事家が気まぐれに買っていくことも少なくない。 

コロシアムの地下は奴隷と一部の奴隷と戦わせるために用意された妖魔が収納されている。 
まっすぐに伸びる廊下の両脇に囚人のように鉄格子がはめられた小さな小部屋が複数。室内には簡素なベッド。 
奴隷によっては他にささやかな嗜好品や道具、本などが置かれている。 
反抗的な奴隷の場合は何も置かれてはいない。 

371は基本従順だったが、自身の何倍もの巨体を誇る妖魔すら素手で縊り殺す力を危険視され、大量の枷に加え下手な知恵を持たないよう何も与えられていなかった。 
見目美しい奴隷などはもう少し上等な環境に置かれているらしいが、それを知る術はここにいる者にはない。 
今日もしかしたら誰かが買い取られていくのだろうか。 

…最も、買い取られた奴隷が必ずしも幸福になるとは限らないが。 

売られた奴隷はその場で奴隷商人の手により、買い取った主人との隷属契約を施行される。 
施行された奴隷は主人に逆らうことが出来ない。逆らえば全身を激痛が駆け巡り、主人の許しがなければそれが止むことはない。 
たとえ強靭な精神力でそれを乗り越え主人を害した場合、主人の命が尽きると同時に自らの命も尽きる徹底ぶりだ。 
そこまでの精神力を持つ奴隷もなかなかいないのだが。 
追い詰めた結果、奴隷と主人の心中という笑い話にもならない事態も時折あるが、それでも基本は従順である奴隷というのはここへやってくる客にとっては使い勝手がいいのだろう。 

暇つぶしに愛でるにしても、暇つぶしに壊すにしても。 

拾った青いビー玉を握りしめたまま、371はぼんやりと視線を泳がせながら、廊下に面した鉄格子の近くに座りじっとしていた。 
置物のように動かない371は極稀にやってくる客が目の前を通りがかっても一切反応せず、客は客で371の異様さを無意識に感じ取るのか気味悪そうに足早に通り過ぎていくのが常だ。 
今日も奴隷商人と客は371の前を通り過ぎていき、371はそれを見送るのだろう。 


――そのはずだった。 


コツコツ 

コツコツ 

コツ…。 

「……、…」 

371の眼前の世界が青く染まる。 

「――、…ぁ」 

呻くような吐息に近い声が371の口から漏れた。 
それが客の衣服だと理解するよりも先に、先日行われた試合で損傷した手を伸ばし、動く指だけで眼前の青色を371は掴む。 

掴んでしまった。客らしき人物の服の裾を。 

そんなことをすれば、どうなるのか371は知っていたのに。 
様々な生き物が混ざった371の身体には複数の本能が渦巻いていたが、そのなかでもひときわ特定の色に焦がれるそれが、371の身体を突き動かした。 

客がかすかな引力に歩みを止める。 
当たり前のことだが客はこの場に似つかわしくない出で立ちをしていた。 

肩よりやや下まで伸ばされた青みがかった黒髪は371のきしんだ緑髪より艷やかで、きらきらとしたこぶりな石を装飾として到るところに身につけている。 
身に纏った足元まで覆う青い服は、柔らかく上等で肌触りがいい物だろう。 

しゃらりと布がこすれる音がして、客が371へと視線を向けた。 
奴隷商人が「何をやっているんだお前は!!」と声を荒げたが371はそれどころではなかった。 
その客は長身で、371が精一杯首を上に向けなければ顔もまともに見れないほどだったが、それもどうでもよかった。 

「……、何だ」 

浮世離れした中性的な容姿から、思いの外低い声が客の口から発せられる。 
煌々と輝く碧眼が371を訝しげに見下ろしていた。 



――その瞳は、371が拾った青いガラス玉よりずっと蒼く碧く澄んだ深い色だった。 



客が向けてきた眼差しは、奴隷商人が371へ向ける眼差しよりも冷たい色をしていた。 
それは音も光も届かぬ深海のように冷え冷えとしていて、正常な精神を持っていればこの客に対して恐怖や不安を抱いたかもしれないほど鋭利で警戒に満ちていた。 
だが、恐怖を感じない371にとって、今あるのは惹かれる色がこちらをみているという事実だけ。 

「……」 
「……」 

371の虚ろな赤と、客の冷然たる青が交差する。 






これが、はじまり。

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